今度は,『本当に君は総理大臣になれないのか』(小川淳也)

  1. 前回は小説『総理の夫』で、政権交代による女性首相がどのようにして実現するかを紹介しました。現実はなかなか、こうは行かないでしょうね。

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 と思っていたら、藤野さんから、小説の主人公相馬凛子と重なる現実の政治家を取り上げたドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないか」(2020年)を紹介して頂きました。

 たまたま、映画の主人公小川淳也衆議院議員を取材した『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書、2021年)を読んだばかりでした。

 

  1. 本書は6月刊行で、すでに3刷です。

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(1) 小川議員は50歳、香川県出身、東大法学部卒、自治省を経て2005年に初当選、現在立憲民主党所属。「2009年の衆議院予算委員会厚生労働省の統計不正問題を取り上げ、「統計王子」の異名をとる」。

 

(2)本書は、同氏の生い立ちや活動を紹介した部分と、彼がインタビューに答えて自らの政策(「国家改造抜本改革」)とそのための「タイムテーブル」を語る、2部構成になっています。

 

(3) 小川は1971年、「高松市ののどかな田園地帯に生まれた。自らを「パーマ屋の倅」と称するように、両親は市内で小さな美容室を経営している。

1948年生れの父は、「讃岐弁の「へんこつ」を絵に描いたような頑固者で、正義感が強く、曲がったことが大嫌い。ひとつ年下の母はいつも明るく温和な性格だった」。

 

(4) 30歳で自治省を退職。その直前、ロンドンに1年勤務したことも多少影響したかもしれない。「それまでの凝り固まった価値観が音を立てて崩れる気持ちだった」と彼は語る。

根本には仕事への不満があった。「俺たちは国家に奉仕する行政職であって自民党の下請けではないぞと何度も思いました」。

 

(5)本書では同氏を、「目先の党利党略には関心がない。他方、日本という国家の理想を熱っぽく語らせるととまらない」と評します。

中高大学が一緒の私の友人(弁護士)は、「真面目で一点の曇りもない男」というのが党内の評判だと教えてくれました。

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3.(1) 『総理の夫』は小説ですから、話の面白さが中心にならざるをえません。相馬首相の訴える政策は、「消費税増税脱原発」が紹介されるぐらいです。

 

(2) 他方で小川議員は自ら「日本を良くしたい政策オタク」と言い切る人物ですから、すでに2014年には『日本改革原案』と題する著書を出して、具体的・意欲的な「政策」と、それを実現するための「タイムテーブル」について熱心に語ります。

 

(3) 私が面白いと思ったのは、直ちにやりたいこととして、

党内の党議拘束を解除する

国民とともに政権公約を作成する

政権与党の事前審査制を廃止する

といった具体策をあげていることです。

 

(4) この中で、とくに「事前審査制」を廃止したいとして、同氏はこう語ります。

――「日本の政治における独特な慣行で、内閣が国会に提出する法案は、事前に自民党の中にある総務会や政務調査会などの「審査」を経て、そこで了承されたものだけが国会に提出されるという暗黙のルールです。

 法律はないので、慣行にすぎません。

しかしそのせいで、国会で提出された法案を与党と野党が議論しあうという実質的な審議がまったく骨抜きにされてしまっています。

 野党議員には案件・議案に指一本触れさせないといういまのこの仕組みを転換し、国会を実質化させる必要があります。・・・・」

➡ こういうところにメスを入れるという発想が大事だな、と読みながら思いました。

言うまでもなく、国会は「国権の最高機関」です。(日本国憲法第41条)

 

(5)こういう本や映画が話題になり、人物への有権者の関心が高まるとすればとてもよいことではないかと、個人的には思いました。

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引き続き『総理の夫』と、NZのアーダーン首相

1.今回も『総理の夫First Gentleman』を読みながら考えたことです。

まずは、女性首相・相馬凛子はいかにして誕生したか?

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(1)長年の与党民権党の結束に陰りがみえて、党内の保守派と原九郎率いる改革派とが分裂する。

(2)原は、自分の勢力を引き連れて民権党を離脱し、民心党を立ち上げる。

その上で、野党が共同で提出した政府の不信任案に賛成し、不信任は可決されて、議会は解散、総選挙となる。

(3) 選挙で、民心党は80議席を獲得して、野党第一党になる。

原九郎は、野党四党をまとめて議会の多数を確保する。自らは当面は裏方として動き、首相候補に、10議席しかない弱小野党の党首相馬凛子のスター性に目をつけて担ぎ出す。

(4) 彼女が首相に選出され、民権党は野党に転落、晴れて連立政権が誕生する。

 

(5) 相馬新首相は、真摯に変化と改革を訴えて国民の高い支持も得て順調にスタートするが、何れ自分が総理になるつもりの原は面白くない・・・・

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2. このように『総理の夫』では、初の女性総理の誕生は政権交代とセットで実現します。

(1)いま自民党総裁選に女性の候補者も出ていますが、小説とは経緯がまるで異なります。

(2) 相馬新首相の魅力は、「変化と改革」を訴えて、野党から登場することにあります。

 彼女は、原九郎にこう訴えます。

ーー「だいたい、民権党の一党支配が長すぎるのです。もう二十年以上も与党だなんて、正常な民主主義政治が行われているとはとても言えない。適度な政権交代が為されなければ、なれ合いと腐敗がまん延する。そのとばっちりは国民が受けるんです」

 「ごもっとも」と原氏。お隣りの夫人も、にこにこしている。ーー

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(3) 言うまでもなく、議院内閣制は、国民すべての利益や意見を代表しているわけではなく、相対的多数による権力支配にも拘わらず権力のコントロールが難しいという本質的な欠陥を抱えており、「不完全なシステム」です。

 「それなのに、英国の議院内閣制が機能し、正当化されえたのは、競い合う二大政党による政権交代などがあればこそであった」。

 相馬凛子も、彼女を小説に登場させた原田さんも、そのことをよく理解しています。

 

3.相馬凛子を現実の政治家と比較するとすれば、やはりニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相でしょう。彼女も政権交代の結果、登場しました。

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(1) アーダーンが36歳で首相になったのは2017年です。原田さんはその4年前に本作を刊行しました。

 

(2) 二人のどこが似ているかというと、

・アーダーンは、労働党の支持率低迷の責任をとって前任者が辞めたあと、新鮮さをかわれて党首に選ばれる。

労働党は、その年の総選挙で第二党になるが、第一党の与党国民党も過半数を取れず、中道左派労働党が何と右派のNZファースト党と連立を組んで、アーダーンが首相に選ばれる。

・しかも、3年後の2020年の2回目の選挙では、コロナ対策等への信頼もあって、労働党の大勝利、第一党となり、本来のリベラル路線に注力できるようになる。

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・相馬凛子の場合も、他の野党との連立で首相になり、1年後の選挙で大勝利となり、第一党に躍り出る。

 

(2) おまけに話題性においても似ている。

・人口5百万人の小さな国の女性リーダーがテロ対策でも名をあげ、世界に注目されてタイム誌やヴォーグ誌の表紙を飾った。

(相馬凛子も「タイム誌の表紙に登場した」と小説にある)

 

・「総理の夫」の相馬日和クンについては前回触れた。アーダーン首相の「夫」も写真で見るといかにも好人物のようで、献身的に妻を支えている。

・アーダーンは、首相就任後2か月で妊娠を公表し、6月に出産後の産休を取り、おまけに秋の最初の国連総会に赤ちゃんを連れて出席し、話題を集めた。

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(『総理の夫』でも最後に、凛子が妊娠を発表する場面がある。その先はないが、あれば凛子が赤ちゃんを連れて総会に出席する話まで原田さんは書いたかもしれない)。

 

(3) 唯一最大の違いは、超インテリで富裕な相馬凛子に対して、父親は田舎町の警察官で自分は「持ち帰り料理店の店員だった」アーダーンが掛け値なしの庶民派だということでしょう。

 その点を除けば、まるでその後の現実世界のアーダーン首相を見ているような気がします。

 原田さんには未来を見る力があるかもしれませんね。

『総理の夫First Gentleman』(原田マハ)という小説。

  1. 人気作家原田マハさんは実に多作です。題材は専門の美術関連に限りません。しかもご自身は、そういう精力的な印象を感じさせない、普通の女性です。

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2. 今回は60作以上の著作の中から、『総理の夫 First Gentleman』(実業之日本社文庫)、日本初の女性首相が奮闘する話をご紹介します。

 映画化もされて、9月23日全国公開です。2013年に書かれた原作が8年後のいま映画になって、制作した映画会社もタイミングの良さに喜んでいるでしょう。

 

  但し、当たり前の話ですが、小説の世界と現実の政治とは大違いだろうと思います。

読み終えて、「ああ面白かった、しかし現実にはあり得ない」と割り切るか、どうしたらこういうことが本当に可能になるかを考えてみるか・・・・。

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  1. 本書について取りあげたいのは以下の3点です。

(1)「感動の政界エンタメ!」と出版社が宣伝するだけあって、物語作りの巧みさ。

――しかしそれだけでは、「ああ面白かった」で終わってしまうので、

(2) 女性の首相は日本にも生まれるだろうか?

(3) 女性首相は、政権交代の結果で誕生するというのが本書の筋書きだが、政権交代は可能だろうか?

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  1. 今回は、主に「エンタメとしての面白さ」を取りあげます。(1)20XX年に、相馬凛子(りんこ)という、初の女性で史上最年少42歳の総理が日本に誕生する。

「第111代の首相」とあり、1年で退場する菅氏が第99代ですから、その12代あと、数十年先の未来を想定している。

 

そして、「総理の夫」が書き残す日記体で物語が進む、という仕掛けが巧みである。

(2 )相馬凛子は、両親はともに故人だが父は夭折した天才小説家で、母は著名な国際政治学者という設定。

 

本人は東大法学部卒、博士課程を終え、その間にハーバードに留学。シンクタンク研究員を経て、32歳で無所属から立候補して衆議院議員になり、わずか5名の少数野党「進歩党」の党首になる。

飛び切りの美人、頭脳明晰、曲がったことが嫌いで、信念と理想に燃えて、自らの言葉を大切にして、ひたすら国民のために闘う強い女性。

ちなみに先に読み終えた妻は、雅子皇后を想像したと言います。

 

(3)他方で、「総理の夫」になる相馬日和(ひより)は38歳。大富豪の次男坊で、東大理学部博士課程を終えた、浮世離れした鳥類学者。

講演会の講師として登壇した凛子に一目ぼれして「運命の女」と出会ったと感じる。

 

この「日和クン」は、人柄が好く、凛子を全力で支えることに傾注する。朝食を用意し、妻の体調管理に気を遣う。ユーモアがあり、人間を鳥と比較して観察し、いつも周りを和ませる。

 

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(4) ともに抜群に頭が良く、かつ正義感あふれる強い女性と大金持ちで優しい男性とのコンビネーション。

 私たち庶民がやっかみや反発を感じさせないほど雲の上の存在の二人が、政治の醜い陰謀に巻き込まれて闘っていきます。

 

  1. 相馬新総理は、改革派の象徴のような存在です。
  2. 以下、本書からの引用です。(1) 「凛子は、(解散に踏み切った)選挙選で、繰り返し叫んだ――。

 絶対に、絶対に、絶対に、私たちは後戻りをしてはなりません。

 かっての与党、保守派が、何十年もこの国を支配してきた結果が、いまの日本なのです。

 この国を、かって与党だった人たちに再び預けるわけにはいかない。

 彼らは自分の利権を守るために走り、この国が間違った道を逆走することには微塵も関心を寄せないのです。

 そうなっては、いけない。絶対にいけないのです。―――

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  (2) そして彼女は選挙で勝利した直後に、国連総会に出席し、スピーチをする。

「各国代表が席を立たず(いままでは日本の首相のスピーチなど国際的にはまったく人気がなく、始まったとたんいっせいに離籍するというのが普通だったらしい)、流暢な英語での凛子のスピーチに耳を傾けてくれた。

 この人物は、本気で、日本を変えようとしている。そして、本気で日本のプレゼンスを高めようとしている。

 いまの凛子は、まちがいなく、誰の目にもそう映っているのだ。」―――

 

7. 非の打ちどころのない完璧な女性が日本を変えていくという話は、 日本のいま(女性候補を含めて)とはあまりに異なり、拍手喝采したくなります。しかし,所詮夢物語ではないかと思う人も多いでしょう。

  著者自身は「私から提案した理想の総理像。いずれこういう総理が現れてくれるという予言の書(笑い)」と語っているそうですが・・・・。

京言葉「そうおしやす」と蓼科の風に吹かれて

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  1. 前回、京都小説『異邦人(いりびと)』(原田マハ)を紹介したところ、祇園町会長岡村さんから長いコメントを頂きました。

 

(1)「多くの京言葉に少しの違和感を感じることなく物語に没頭した」とあります。たしかに本書には、

「あんじょう、おしやすか」

「へえ、おかげさんで」といった会話がふんだんに出てきます。

彼はいつも聞く祇園の女将(おかみ)さんの言葉遣いと重ねて読んだそうで、著者が聞いたら生粋の京都人のお墨付きを頂いたと喜ぶでしょう。

 

(2)おまけに、長らく忘れていた言葉まで思い出したそうで、それは、

・「入らしてもろてよろしおすか」という問いに対する、

・「そうおしやす」という応答だそうです。

この小説で「~よろしおすか」の問いは、京都に長逗留する主人公・菜穂の部屋に手伝いの女性が入ろうとして、よろしいですかと声をかける場面です。

菜穂は東京人ですから、「どうぞ」と応じます。

他方で岡村さんは、「そうおしやす」(そうなさい)という受け答えを思い出したというのです。

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(3) そして続けます。

 お茶屋の息子で、花街が嫌いで飛び出してしまった小学校の同級生が久しぶりに会いにきてくれた。

 友人は認知症を病む奥さんの介護をしていて、苦労話を聞いた。

 岡村さんは、小説を読んで、「そうおしやす」という言い回しが妙に懐かしく頭に浮かんだことを話した。

「すると彼が、そんな言葉遣い、ずうっと忘れていたなあ、その本見せてくれないかと言い出したので、驚いた。本など読む男ではなかったのが急に興味を示したのは、花街で繰り返し聞いた言葉遣いで、子供の頃を思いだしたのか、妻を介護する彼を元気づけたのか、次の約束をして大型バイクに乗って帰っていきました」。

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(4)そして岡村さんは、「自分もこの年になってやっと足元のこの地を少しは見つめ直してみようという気になりました」と書きます。

 本書が、老境に入った二人の男性の「足元を見つめ直す」きっかけになったとすれば、原田マハさんも本望ではないでしょうか。

 

2.夏も終わり、当方はまもなく東京に戻ります。当地は私たちも「異邦人(入りびと)」ですが、40年以上も過ごしているので、思い出もたくさんあります。

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(1) この夏も、おかげで緑に包まれ、山を眺めて穏やかに静かに過ごしました。

今はもう秋の気配。蝉や郭公は居なくなり、代わりに見るのはトンボやススキです。稲もだいぶ育ってきました。

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(2) 小学校の秋学期も始まり、朝夕には通学する子供たちを見かけます。

我が家からいちばん近い「泉野小学校」は車で5分ほどのところ。生徒はみな徒歩で、遠い子は山道を何キロも歩くでしょう。厳しい冬の時期はたいへんですが、いまは良い気候で楽しそうに歩いています。

高齢化が進み、休耕地が増えている土地に、当然に若い世代は減っていて、泉野小学校の在校生はいまはたった88人、一学年平均15人弱です。

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(3)それでも立派な小学校で、鉄筋コンクリート3階建ての校舎、1000平米の運動場と25メートル・プールまであります。標高1000メートル、茅野市でいちばん高地にある学校とのこと。

 しかも創立は明治6年ですから、歴史のある学校です。こんな冬の厳しい土地に古くから人が住んでいたのです。

明治の半ば、歌人の島木赤彦も先生をしていました。卒業生には、スピード・スケートのオリンピック選手もいます。

八ヶ岳を仰ぐ泉野小学校も、里山の風景も残ってほしいものです。

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(4)そんなことを考えていた雨の昨日、隣人が突然やってきて、我が家で暫くお喋りしました。

長年、夏だけ当地で会う仲です。同い年で、いろいろと病を抱え病後療養中の身です。

私どもは東京へ、彼は大阪へと別れると来年夏まで会うことはありません。「これが今生の別れかもしれないから、ちょっと顔を見にきた」というので、「それを言うならお互い様。でも出来れば来年も会えるといいね」と返しました。

 

(5) そんなこともあって、岡村さんの友人の話をまた思い出しました。

奥さんの認知症の症状が進んでいる、最近は冷蔵庫から品物を全部取り出して並べる、注意すると興奮して怒り出す・・・・

「そんなときは、なだめてドライブに連れ出すぐらいしかできないんや」と嘆いたそうです。

岡村さんはおそらく万感の思いを込めて、友に「そうおしやす」と応じたのではないかなと想像しています。

原田マハの『美しき愚かものたちのタブロー』と『異邦人』

  1. このところ原田マハさんの小説を、夫婦で競争で読んでいます。今回は、

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『美しき愚かものたちのタブロー』(2019年、文藝春秋、「タブロー」は絵画のこと)

『異邦人(いりびと)』(2018年、PHP文芸文庫)

の2冊を取り上げますが、前者は茅野市の図書館から借り、後者は縁あって直接著者から頂戴しました。

2冊とも、もと美術館の学芸員だった著者がもっとも得意とする、美術を取り上げた作品です。

 

  1. 『美しき愚かものたちのタブロー』は、「史実にもとづくフィクション」という断り書きがあります。

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(1)1916年頃から26年にかけて、実業家松方幸次郎(明治の元勲、正義の4男)は、パリやロンドンで印象派の名画などを大量に購入した。

本書は、

・日本に初の西洋美術の美術館を作って本物を若者に見せたいという夢を叶えるために、松方たちが収集に動く、

・購入した絵画を戦争中必死に守ろうとする人たちがいた、

・「松方コレクション」は戦後フランス政府に没収されていたが、日本側は、講和成立直後の1953年、返還(フランス政府は最後まで「寄贈」と主張)交渉を何とか成功させる、

・その条件として1959年上野に国立西洋美術館が完成する、

までを追った物語です。

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(2)松方幸次郎が、クロード・モネが晩年を過ごしたパリ近郊のジベルニーの住まいを訪れる場面や、ゴッホの傑作「アルルの寝室」を購入する逸話など、西洋絵画に興味のある人にはとても面白い。

ちなみに、フランス政府は没収していた松方所蔵の西洋絵画351点彫刻67点のうち21点は「国の宝であり、国外に持ちだすことは許さない」と最後まで「寄贈」を拒否し、「アルルの寝室」もその1つでした。いまはパリのオルセー美術館に展示されています。

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  1. 物語の魅力を話し始めると切りがありません。ここでは些細なことを一つだけ紹介します。本書の主な舞台はパリですが、松方はロンドンにもニューヨークにも滞在します。彼の助手として働く若い日本人2人が、当時の3つの大都市を比較して語る場面があります。   

 

――ロンドン:堅牢な煉瓦作りの建物、整備された街並みには電柱も電線もない。成熟した都会の景観に圧倒される。しかし、つんと取り澄ましたところがある。気取った貴族の奥方のようだ。

 他方でニューヨークは、賑やかで雑多、おきゃんな女学生という感じ。

 そして何といっても、パリは別格。「そりゃもう、運命の女(ファム・ファタルだね」。

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  1. この「運命の女」と言う言葉を、原田マハさんは京都についても使います。

(1)『異邦人』は京都を舞台の小説です。こちらは実在の人物は登場せず、しかしやはり美術(日本画)を取り上げ、個人美術館や画商や画家の内幕を伝えてくれます。あっと驚く展開が多く、巧みな物語づくりに感心します。

(2) 同時に、川端康成の『古都』をお手本に書いたそうですが、四季折々の移り変わりや行事が美しく、華やかに描かれます。

(3)そして主人公の女性・菜穂(個人美術館の副館長)が、京都に長逗留し、この土地の魅力にのめりこんでいきます。菜穂の夫(銀座の画廊の跡取り)は、こう感想を漏らします。

 

―――この街は、ぞっとするほど魅力的だ。・・・・同時に、近寄りがたいほど気高い。

まるで、運命の女(ファム・ファタルのように、魔物のように、美しい。

底なしの湖のように奥が知れぬ。冷たく、そら恐ろしい。―――

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作者がパリと京都をともに、サロメカルメンを指す言葉としての「運命の女」という同じ比喩で例えているのが面白いです。

 

(4)「余所者は、到底この街には受け入れられないだろう。

 菜穂は、それに気づいていない」ともあり、

私のように仕事で13年京都に住んだだけではまさに「異邦人(いりびと)」なのだろうなと思わざるを得ません。

そして、よくコメントを頂く何人もの生粋の京都人が、原田さん描くところの京都をどう感じたかに興味があります。

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(5)最後に、その京都人のひとり、藤野さんの京都御所南にあるお住まいが、本作がテレビ化されるにあたって舞台に使われるという朗報をご報告しておきます。

このお住まい、国の有形文化財になり、「藤野家住宅」として一定時期に公開されています。

国登録有形文化財 藤野家住宅 (fujinoke.kyoto)

撮影はもう終わり、女優さんが3人来て一日がかりの撮影だったそうです。11月にWowowから放映とのことです。

「一座建立(こんりゅう)」と頂いたコメントについて

  1. 先週は当地も雨が多く、早めに畑の収穫を娘夫婦と終えました。 

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この畑を一緒に借りている宮本さんが、「野点」にお点前を披露してくれました。

 

(1) 京都から参加してくれた従妹夫婦は, あの後、緊急事態宣言に入り、ぎりぎりのタイミングで来られてラッキーでした。

(2) 「林の中の野点は最高でした。お点前席がよかったですね。なにもかも手作りと創意工夫で。本来のお茶はきっとこんなものだったでしょう」

という彼女のメールを宮本さんに知らせたところ、

f:id:ksen:20210803111247j:plain(3)「爽やかな風と八ヶ岳融雪の伏流源水をご馳走に、落葉松からの木漏れ日の中でのひと時は、お点前をしていても最高でした。

 客組のすばらしさ。お茶の集いは、客組で決まるといって過言ではありません。

謙虚に洒脱に会話を運ばれる雰囲気は、文字通り一座建立の極み。亭主冥利に尽きる時間でした」という返事が来ました。

 

「一座建立」という言葉を検索すると、「茶会の参加者が心を合わせ、心地よい一体感が生まれる状態を表す」という説明があります。

 

(4)山崎正和の『社交する人間』の言葉を、またまた思い出しました。

――「この世で人が人に会うことの不思議さに感動し、1回ごとの邂逅(かいこう)を生涯の大事と考える「一期一会」の教えは、日本の「茶の湯」の中心的な思想だった。

 西洋でも18世紀の前半には、社交に文字通り命を賭けて、「虚礼」を実業以上に人生の義務として重んじる人が生きていた」。――

 

 そして山崎は、「社交を成立する条件として、人間の平等とそれを許容する平等主義が必要だ」とも指摘します。国家や企業の「タテ社会」を補完する人間関係として「横のネットワーク」の大切さと言ってもよいでしょう。そしてそれが、相互扶助にもつながるでしょう。

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  1. 前回のブログでは、「有難う」の大切さにも触れました。

 

(1)藤野さんから、「京都では最近までバスを降りる小学生は、「有難う」と運転手に言って降車していました」というコメントを頂きました。

ご自身は「おおきに」と声を掛けて降りる、買い物の時も同じ言葉を口にするとあります。人生の先輩が模範を示し続けることが大事ですね。

 

(2) ドイツ在住の刈谷さんから、「ドイツもダンケ(有難う)は見知らぬ人同士でもよく言う。「困っている人には親切です」とありました。

――ドイツ人は議論をきちんとする。だから守るべきルールが誰にも明確になり、皆が守ろうとする。

 お礼もクレームも日本よりハッキリ言う傾向がある。議論になるとハードだが、忖度する手間は省ける。逆にルールがないところではカオスになりがち。―――

 緊急事態宣言で右往左往している国と比較すると面白いです。

 

(3)Masuiさんからのコメントも引用します。

--―手紙や葉書はよく書く方です。それが一番心がつながると思うからです。

 母が亡くなる2年前ぐらいに、海外の仕事で大変忙しく毎週のように外国へ出かけ、会う機会が全くなかった時期がありました。

 そんな時には、どこの国の空港でも到着したらすぐその場で当地の絵葉書を買い、「今日どこどこで、元気にしています。お母さんも元気でね」。それだけ書いて出していました。

 母は、葉書を受け取ると胸に当ててアキラから葉書が来たと、一緒に住んでいた弟にいつも見せていたそうです。内容は簡単なものですが、母の心を強く動かしたのですね。――

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(4)なかなか出来ないことだなと、心に沁みました。優しい人柄が伝わってきます。

同時に、少し苦い気持で自分のことを振り返りました。海外に長く暮らし、母から手紙がよく来ました。果たして、まめに返事を書いていただろうか・・・・。

 

  1. 最後に岡村さんからです。彼もMasuiさんのコメントに反応してくれました。

――「最近、子供の頃をよく回想することがあります。

 川本さんが書いている、「過去を振り返って少し胸が痛くなるような「悔い」が蘇ってくる、優しくしてくれた他者に対して同じ優しさで迎えることが出来なかった、あの時もう少し相手の気持ちに寄り添うことが出来たら・・・」を読んで、一つ一つ、自分に当てはめてうんうんと頷いています。

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 そして、こう続けます。

――「自分はMasuiさんのように礼状を書かなかった。

 渥美清が、海外にロケに行ったおり、母親に宛てた絵葉書に「俺、元気」とだけ書いて毎日送ったそうです。

 難しく考えるから書けないのでしょうね。(子供のとき祇園で)遊んでくれた人たちは90歳をゆうに超えています。ありがとうの一言でも書いて送ればと今更ながら思うのです。ーー

  昔を思い出して悔いるのは私だけではないのだと思いながら、読みました。

広島・長崎原爆の日と蓼科でのお茶会が終わって

  1. 前回は、茅野市の平和祈念式と、山奥での野点について書きました。

(1)Masuiさんが、広島平和記念式典のテレビ中継を見ながら、「今頃私が参列しているだろうなと思った」と書いてくださいました。

優しい気持が伝わり、感激しました。

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(2)松井広島市長は式典で、「被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です」と語りました。

 9日の田上長崎市長は、「第1回締結国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください」と、政府と国会議員に訴えました。

 

 (3)7日付毎日新聞は、国連で軍縮担当事務次長として活躍する中満泉さんの言葉を紹介しました。

彼女は、オブザーバーとして参加した場合日本も発言できるため、「唯一の戦争被爆国としての知見、経験を持っている日本の貢献を期待している国がたくさんある」と指摘します。

また「政府や菅首相のように核禁条約の実効性に懸念を持っている立場であっても逆に「それを発信できる機会でもある」と説明します。

読みながら、中満さんは“日本政府よ、逃げるな!“と言っていると感じました。

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(4) 公明党の山口代表は「当面はオブザーバー参加、これが党の立場だ」と述べたそうです。口先ではなく本気で、連立を割るぐらいの気持ちで行動して欲しいです。

 

  1. お茶の集まりに京都から来てくれた従妹夫婦の話もしました。

(1)京都御所近くの自宅から電車を3回乗り継いで茅野に到着して、駅からホテルの送迎バスに乗ってさらに40分、片道だけで5時間弱かかる大旅行です。

(2)幸いに好天で、緑陰での集いは大成功でしたが、忙しい身で遠路はるばるよく来てくれました。

(3)お茶の宗匠ともども感謝していたところ、むしろ従妹から早速電話とメール、連れ合いから手書きの礼状が届いたので恐縮しました。

(4) 従妹の夫の手紙は、「茅野の一日、夏の思い出=山荘・山居と市井・洛中の家」と題した感想文の体裁です。

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ーー自然がいっぱい、水が美味い、空気が冷たくきれい、ところが車がなかったら生活しにくい。

 きっと人情も熱いのであろう。人とのつながりはその分だけ薄く、反対に濃い絆が生まれる。

――家に帰り、洛中の小さな庭。それは文字通り、箱庭の世界。自然の一部を小さく移したもの。空気も生あったかく、水もそれほど美味しいものではない。人とのつながりもそれほどのものではない。これは良い意味でも悪い意味でも・・・・

――(お住まいでの暮らしは)鴨長明の心境ではないかと想っています。茅野の夏のひと時は、実に楽しいものでした。

・・・など書いてあり、9頁に及ぶ直筆の手紙で、同文が宮本宗匠にも出ています。

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3. 京都人は、巻紙に毛筆とまでは言わないものの、いまもこうして手書きの手紙を出

すのかと感心しました。

 

(1)それにしても、言葉や文字で「お礼を言う」というのは大事ですね。

実は私はそのことを、英米の暮らしで学びました。当時の彼らは、何かしてもらったら必ず「有難う(Thank you)」と言うのが印象的でした。歩道の屋台でコーヒーを買って受け取った時でも、エレベーターを降りる時に先に譲ってくれた人にも。

 

(2) 20代に初めてアメリカで暮らしたとき、「英語でいちばん大事なのは“Thank you

“という言葉」と言われたことがあります。

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(3) 文字にすることも大事です。今は電子メールが主流かもしれませんが、当時は家

族・友人間でもビジネスでも、何かの機会に必ず「Thank you レター」・「Tank youカード」を書いていました。

ビジネスの場合は手書きは殆どありませんが、例えばビジネス・ランチが終わったら、すぐに礼状を出します。秘書が昼食から戻ってきたボスから、ランチの模様を聞き取って見事な英文をタイプしてくれます。ボスはそれにサインして、礼状はただちに発送されます。

 

(4)この礼状、本当に早く届きます。それでジョークがあって「某さんを昼食に招く約

束があって、そろそろ出かけようと思ったら、秘書が手紙が届いたと持ってきた。開けてみたら、昼食がいかに楽しかったという当の某さんからの礼状だった」。

(5)その代わり、「物のお礼」はしません。心のこもった言葉と手紙(あるいは

カード)をすぐに伝える、これが大事、かつこれで十分なのでしょう。