今回はアメリカです。ギンズバーグ判事死去と米大統領選。

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1,日本時間の昨日、アメリカの最高裁判事、ルース・ベーダー・ギンズバーグ(RBG)が87歳で死去しました。この時期の彼女の死はアメリカにとって大きな事件です。5月31日のブログで彼女を紹介しました。

https://ksen.hatenablog.com/entry/2020/05/31/081606

主要メディアは「先駆者」「チェンジメーカー」と呼び、「アメリカのICON(偶像)だった」と追悼しています。

 選挙の直前にも拘わらず、大統領と上院共和党は後任を決める方向で動いています。ニューヨーク・タイムズは社説で、「彼女が成し遂げた輝かしい成果が脅威にさらされる」強い懸念を表明しました。

 後任人事を強行すれば、民主党は猛反発するでしょうが、トランプにとっては3人目の判事を指名する機会を得たことになり、最高裁の保守化は一層確実になります。

 民主党の反発には理由があります。1人目ゴーサッチ判事を任命したとき、実はオバマ在任中2016年2月に前任スカリア判事が死去したにも拘わらず、共和党が多数を占める上院が後任指名を引き延ばし、2017年トランプ大統領が就任してから保守派ゴーサッチを選んだという、強引な前例を作りました。今回これを理由に民主党は新大統領での指名を主張するでしょうが、トランプと上院共和党は応じないでしょう。分断はますます深まりそうです。

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 2. 15日にはもと職場の同期会があり、アメリカ大統領選の話題でした。

毎月開催で200回以上続いていますが、3月からお休みでした。場所は神田の如水会館で、今回から昼の会に代わり、12人出席。距離を空けて座り、マイクを使いました。

 

 かなり真面目な同期会でテーマを絞って話合います。今回はあと2か月を切ったアメリカの選挙について。アメリカ勤務の長い某君がニューヨーク・タイムズなどから集めた丁寧な資料を作ってくれました。

ーーオバマ政権時の副大統領だった民主党バイデン(B)と再選を狙う共和党トランプ(T)の争いの、二人の主な政策の違いは以下の通り。

・人種差別――Bは、差別解消を訴え、警察改革の推進も。

       Tは、「法と秩序」を理由に過激な行動を取締る。

・税制――Bは法人税を28%に引き上げる、富裕層の課税強化、社会保障の充実。

     Tは、35%から21%に大幅に下げた法人税をさらに減税する。

・環境――Bは、パリ協定復帰、環境インフラで4年で2兆ドル支出。

     Tは、規制緩和で石油ガス施設の建設推進。

・外交――Bは同盟国との関係深化、アメリカの指導力を取り戻す。

     Tは、米国第一主義堅持(同盟軽視、反自由貿易、反グローバリズム)。

・対中政策――Bは強硬策は変わらないものの、同盟国と共同での圧力を重視。

               Tは、大国間競争と意識し、一方的な制裁関税で圧力。

f:id:ksen:20200915115004j:plain3.  現時点の直近の支持率の差は、民主党のバイデン(以下B)支持49.0%、対して共和党トランプ(T)支持43.1%で、その差5.9ある。

 

(1)選挙は州ごとの選挙人獲得数になるので、全体の支持率では予測できないが、州ごとの支持率の合計でも、バイデンが3.7ポイントリードしている。

 かつ、オハイオ、ミシガン、ペンシルベニア、フロリダといった、選挙人数の多い激戦州で何れもバイデンがリードしている(2016年は、この4州何れもトランプが僅差でヒラリー・クリントンを破った)。

 

(2) 以上から、現時点では「バイデン当選の確率大」というのが、講師の見立てでした。

(3) ただし、投票率は毎回6割弱で、とくに民主党支持層である黒人やヒスパニックの投票率が低いという不確定要因はある。

またバイデンと組む副大統領候補のカマラ・ハリスが、黒人とインド系の両親で女性という売り込みにも拘わらず、黒人の間の人気がいまひとつである。

現職にも拘わらず、トランプ支持が伸びない理由は、言うまでもなく、・コロナ対策の失敗、・黒人差別に対する抗議の動きと国民の分断、・景気の悪化、の3つ。

 

3.今回の選挙は、上院・下院の両議会の選挙も行われます。

下院(定数435名、民主232、共和197)は全員が改選。

上院は定数100名(民主47名、共和53名)のうち35名が改選され、改選議員の内訳は民主12、共和23。

上院では改選議員の多い共和党に不利に働くとみられており、上下両院とも民主党過半数を握る可能性あり。つまり、大統領・両院を全て民主党がおさえる「トリプル・ブルー(青は民主党のシンボル・カラー。共和党は赤)」も夢ではない(しかし司法は、一層保守化する)。

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4. このあと出席者の間で活発な話し合いがありました。アメリカ勤務者も多いので、国際問題への関心は高いです。

 アメリカの場合、二大政党の間で激戦になることが多く、常に政権交代の可能性があり、野次馬でも気になります。与野党が競い合う状況が民主主義の土台ではないでしょうか。

 国民が直接選び、民主・共和両党の政策の違いが明確に可視化されていることも大きいと思います。

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5.私は以下のような質問をしました。

(1)仮にトランプが敗けた場合、彼の性格として敗戦を「郵便投票」などを理由に認めないかもしれない。その結果、選挙で決着がつかずに最高裁に落ち込まれる可能性についてどう考えるか?」

(2) 「よほど僅差ならともかく、敗けを認めないのは難しいのではないか」というの

が、講師の回答でもっともな意見だと思います。

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(3) ただ、前例はあります。2000年、アメリカ大統領が史上初めて最高裁によって選ばれるという「ブッシュ対ゴア」事件がありました。フロリダ州の再集計をやめるという決定を不服としてゴア側が訴訟を提起。最高裁は5対4のきわどい判決で同州の決定を支持し、ブッシュの勝ちを認めました。

 この判決をゴアも「同意できないが、決定には従う」として受け入れました。大統領候補といえども最高裁の決定には従う。このあたりは「法の支配」が徹底していると言えるでしょう。こんな事態にならないことを願いますが、何をやるかわからないトランプだけに気になります。

「秋来ぬと目にはさやかに~」と「土蔵の再建」プロジェクト

  1. 茅野の里山はだいぶ秋めいてきました。道路沿いのキバナコスモスはいまが盛りでしょうか。稲は黄金色に実り、刈り取りも近付いてきました。

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 よい眺めですが、残念ながら本日東京に戻ります。

 田舎にいて秋を感じる一つに、風が変わったなという気配があります。

 藤原敏行の歌、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にもおどろかれぬる」(古今和歌集)です。

「秋立つ日によめる」という詞書がありますが、いまの季節感からすると1ヶ月遅いこの時期にふさわしいです。

――「おどろかれぬる」の「おどろく」は、「ふと、気が付く」で、現代の「びっくりする」という意味ではない。

 この歌のキーワードは「風の音」であり、秋が来たことを耳でとらえる、風の方向がかわり、季節がかわる、それが当時の日本人の感性であった。

その「風の音」は、おそらく萩か稲が風に吹かれてそよぐ音であろう。

「きのふこそ早苗とりしかいつのまに、稲葉そよぎて秋風の吹く」(よみ人知らず)というのもある。――

稲穂が揺れている光景を見ると、そんな講義を昔聞いたことも思いだします。

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  1. 平安時代を思い起こすのは、コロナのせいで文化活動も被害を受けている現状への懸念があります。

 (1)京都の冷泉貴実子の家は、藤原俊成・定家から続く「歌の家」ですが、毎月行っている歌会をリモートのオンラインでやるようになったとメールをもらいました。「エライ時代になりました」。

 

 (2)京都御所の北、同志社大学に囲まれた家は、唯一残る公家屋敷と言われます。

前回のブログは、京都「イノダの主」下前さんが東京での講演会で話をしたことを報告しました。同氏は、秀吉が応仁の乱で荒廃した京の街を再編成したことにも触れました。このときに、その一環で御所を整備し、公家町も形成されたそうです。

 

 (3)ここには、国宝5点(定家筆の古今和歌集・明月記など)をはじめ、5万点にのぼる典籍および古文書類が蔵に保存されています。

長年にわたって同家で代々、これらの維持保存を図ってきましたが、個人の努力では経済的にも限界があり、1981年に法人化し、現在は公益財団法人冷泉家時雨亭文庫として活動しています。

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 (4)現在5棟の土蔵があり、もともとは8棟あったものが、うち3つは時代とともに朽ち、中に収蔵されていたものはプレハブの建物に仮置きされていた。それが一昨年の台風により屋根が破損されてしまった。

 そこで元のように蔵の新築が緊急課題となった。多額の資金が必要ですが、国や地方自治体からの支援はありません。

 財団の資金だけではとても足りず、従来ならこれら古典籍の展覧会を開催して、その収入を充てることも可能でしたが、このコロナのなかではそれも難しい、ということで広く寄付をあおぐことになった由。このあたりの経緯は、彼女が文藝春秋9月号の「巻頭随筆」に「土蔵の再建」として寄稿しています。了解を得て、ここに載せておきます。

 

 (5)この文章を読んで、もとの職場の先輩から電話があり、「趣旨に賛同して寄付をしたい」と言ってくれました。「貧者の一灯」と本人は言っていますが、まことに有難い話で大いに感謝されました。私も早速、日帰りで上京し、同氏と六本木の国際文化会館で昼食をともにし、お礼を申し上げました。

 

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 3.「巻頭随筆」には、「思案にくれている時、京都新聞からクラウドファンディングに参加しないかというお誘いを受けた。ほとんど何のことかもわからず、このインターネットによる募金を始めると、コロナ禍で世の中不景気だというのに、一日で350万円という目標額に達してしまった。寄せられるツイートは温かい励ましであふれている。うれしい」とあります。

 クラウドファンディングは9月8日に終了しましたが、最終的には目標の3倍以上に達したようです。本人のお礼のサイトが文庫のホームページに載っています。

https://www.facebook.com/103372564732866/videos/230579555041374

 日本にも寄付文化が徐々に根付いてきたのかと感じているところです。インターネットの効用もあるでしょう。

 

 4.しかし、まだまだ、工事に必要な2億円には遠い道のりです。彼女には「こんどは英語で発信して、海外の外国人に参加してもらうクラウドファンディングを企画実施したらどうか」と提案したところです。

 英国にいる娘の友人にも日本文化に関心を持っているイギリス人もいるし、その中には京都に来て冷泉の家を訪れた人もいるので、多少は参加してくれるのではないでしょうか。

 海外に勤務すると、寄付文化が根付いているなと痛感します。

 個人はもちろんですが、企業も収益の一部を寄付に充てることは普通の感覚です。

 シドニーに勤務していた時は、日本の銀行の子会社とはいえ、いちおう豪州の銀行なので、財団やNPOから寄付依頼の手紙がたくさん舞い込みました。

 小さな子会社ですから、大したことはできませんが多少はこの国にお返ししたいという気持もあります。と言ってもたくさん来る依頼状を読んでも、どういう団体がどういう活動をしているか、その中からどういう基準で寄付先を選んだらいいか、現地事情をそこまで分からない日本人にはなかなか判断が難しいです。

 そういうときにお世話になったのが、社外取締役の存在です。

 オーストラリア人の社外取締役が3人いて、この人たちに相談して彼らの助言を入れて寄付先を決めたことがたびたびありました。懐かしい思い出です。  

 「土蔵の再建」プロジェクトも、海外向けのクラウドファンディングで、日本文化を保存する意義に共鳴してくれる外国人に参加してほしいと思っています。

京都から東京へ「東下り」

  1. 前回に続いてまた、京都から東京に出て来られた方のことです。「上洛」「帰洛」とは言いますが、京都人の東京行きは「東下り」でしょうか?

東下り」の語源は在原業平の「伊勢物語」でしょうか。「なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ」とあります。ここで「名にし負はば、いざ言問はむ都鳥、わが思ふ人はありやなしやと」と詠みました。私は、彼が病床にあって詠んだという、「つひにゆく道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思はざりしを」(古今集)を時々、思い出します。

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2.前回のブログに、下前講師に同行して「東下り」した岡村さんがコメントを寄せてくださいました。岡村さんは「1年ぶりの東京に心が弾みました」とあります。行きたいところがたくさんあって残念だった。駒形の「前川」で隅田川を見ながらどぜう、吉原の「伊勢屋」、佃島の「天安」などの名前が出てきて驚きました。私はどこも名前も知りません。

 岡村さんは、祇園で生まれ、いまも祇園町の会長を続けておられます。そういう人が「八幡宮の鳥居をくぐった左にある「深川宿」の深川めしも、老舗の店自体がしつらえも含めて、僕には観光なのです。東京は、古い店がいつまでも残るためのエネルギーがあるのでしょうか。京都の店には不思議と興味を感じません」と書いておられるのは、とても興味深かったです。

 

3.さてと、東京赤坂での柳居子さんの「床屋談義」を聞いた感想を今回も続けます。

(1)本論は、古い京都の話で、応仁の乱後、秀吉がたくさんのお寺を移転させるなどの事業を行ったこと、廓のこと、さらには明治になってからの都市整備にまで及びました。

(2)本論の前に、ご本人も自分のブログに書いておられますが、話の枕を振られました。「私は、生まれてから京都を出たことがない。『井の中の蛙大海を知らず』というのは私のためにあるような成句です。ところで、このあとに続く言葉をご存知ですか?」という問いかけです。

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(3)これはなかなか巧い出だしだなと感心しました。

あとに続く言葉があるとは考えたこともなかっただけに、もちろん私は答えが出てきません。他の出席者も同じだったようで、しばらく間を置いて、誰からも答えがないのを待ってから、「『されど空の色を知る』という言葉が続くようです」と言われました。

井の中の蛙は広い世間のことは分かっていないが、井戸の底から見える空はいつも見ているからよく知っていると理解すれば、「京都については多少お話しできるでしょう」という話の出だしで、聞いている人は引き込まれます。

 

(4)面白いと思ったので、帰宅してから、書棚にある広辞苑を取り出しました。「井」でひくと、「井の中の蛙大海を知らず」の言葉と意味の説明がでてきます。出典も中国の古典『荘子』とあります。ところがその後の言葉は書いてありません。

 

(5)そこでパソコンで検索すると、ちゃんと出てきました。どうやら、「されど~」以下の言葉は誰が考えたか分からないが日本で付け加えたらしく、「されど空の青さ(深さ)を知る」など言い方があるようです。

 

(6)今の時代、まず広辞苑をひくなんて人がいるでしょうか。むしろたちどころにスマホをいじって、「ここに出ています」と答えてしまうのではないか。

 便利になったと言えばそれまでですが、私のような旧世代の人間には味気ないという気持も拭えません。何事でも、訊かれたら、疑問に思ったら、スマホですぐに検索して、答えが出てしまう。それで調べたことになる。

 

 その前に一瞬でも自分で考えてみる。自分の頭に答えがなければ、質問をした講師の答えを待つ、そのあとさらに疑問が湧いたら書物でも辞書でも探してみる・・・・・こういう時間に意味があるように感じるのですが、いまは、何でもすぐに機械に頼って調べてみる、検索する時代になりました。

そういう私自身、まずはウィキペディアのお世話になる(だから時々少額の寄付をしています)のが習性になっていますから、他人のことは言えないのですが・・・・

f:id:ksen:20200822143205j:plain4. 時代が変わったといえば、下前講師の話の合間に、松井教授のアレンジで、戦前の古い、懐かしい「犬のマーク」のついたビクターの手回し式の蓄音機が持ち込まれました。所有者は若い方でしたが、45回転のレコードも持ってこられ、淡谷のり子の「人の気もしらないで」などをかけてくれました。

 これもまた昔のことを思い出して、いい休憩時間でした。私の田舎家にもごく手軽なレコード・プレイヤーがあり、もう何十年も昔に買ったレコードが何枚かは捨てないで残していて、音はひどく悪いですが、時々聴いています。

 因みに今も日本ビクターでも使われている「犬のマーク」について、同社のホームぺ―ジには以下の説明があります。

――原画は、1889年にイギリスの画家によって描かれた。彼の兄が生前ニッパーと名付けた賢い犬を可愛がっていた。

 弟の画家が犬を引き取った。たまたま家にあった蓄音器で、吹き込まれていた兄の声を聞かせたところ、ニッパーはラッパの前で耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き入っているようだった。その姿に心を打たれた画家は早速一枚の絵を描き上げ、「His Master's Voice(ご主人の声)」とタイトルをつけた。それを知った円盤式蓄音器の発明者はこの画をそのまま商標として1900年に登録した――

「以来この由緒あるマークは最高の技術と品質の象徴としてみなさまから深く信頼され、愛されています」とあります。

 ということで、下前さんの話といい、合間のレコードといい、老人にはとてもいい雰囲気の企画で楽しい時間でした。

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f:id:ksen:20200905093724j:plain5. 最後になりますが、この「床屋談義」を「イノダ」の珈琲を飲みながら聞いたという贅沢にも触れておきます。

 下前さんは、おそらく60年、毎朝職場近くの京都堺町にある珈琲店「イノダ」で仕事前のひとときを過ごします。

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「イノダ」は1940年創業、「京都の朝は、イノダコーヒの香りから」のキャッチフレーズで知られます。1年365日、朝7時から開いていて、だから彼も一日も欠かさず顔を出せる訳です。

 私が13年宇治にある大学に勤務したときも、「イノダ」のすぐ近くのアパートに住み、しばしば出かけました。そのお陰で下前さんと昵懇になりました。

 この「イノダ」は東京にも東京駅八重洲口の「大丸」百貨店の中にあります。下前さんが「東下り」とあれば「イノダ」も黙っている訳にはいかないと思ったのか、当日は特別サービスの出前でした。こういう特別な関係もいかにも京都だなと思い、かつこれもまた洒落た企画だなと感じ入った次第です。

久しぶりに京都の方々に会い、「床屋談義」も聞きました

1. ここ10日間で、家人が1回、私が2回、合計3回日帰りで東京と茅野を電車で往復し

ました。

 因みに、家から中央線の茅野駅までは公共交通機関がないので、どちらかが車で送り迎えします。電車通学する高校生の子を持つ親は連日、車で送り迎えをする必要があります。地方暮らしもなかなかたいへんです。f:id:ksen:20200820145141j:plain

2.この間、年下の友人が1人で京都から訪れて一泊してくれました。有難くも嬉しいことです。

 狭い日本と言っても、京都と茅野の往来は面倒です。帰りであれば、まず茅野から中央東線塩尻で降り、中央西線に乗り換えて名古屋まで行き、新幹線で京都に行く、2回乗り換えで5時間はかかります。はるばるよく来てくれたものだと感謝です。ちょうど長女夫妻も休みを取っていましたので話も弾みました。

 彼は、京都検定1級の所持者で御所のすぐ南に住んでいます。古い町家で市の重要文化財に指定されて、昨年は一般公開もしました。

 NPOに長く関わり、山登りが趣味です。今年の初めには、友人とニュージーランドの南島にある、「世界で最も美しい散歩道」と言われるミルフォード・トレッキングに出掛けました。ガイド付きの山小屋に5泊する旅程でしたが、途中で40年に1度という大雨に見舞われ小屋に閉じ込められ、最後はヘリコプターで救出される事態になりました。貴重な経験をして、一緒に歩いた異国人との交遊や助け合いも強まった、という話を聞きました。

 家の周りを2人で散歩し、鹿にも出会いました。

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 根っからの京都人で、いつも京都の話を面白く聞きます。京都人特有の人との付き合い方と言葉遣いがあるそうで、

「あんたはん、いい時計してはりますな」という言い方を今回初めて聞きました。

「いやいや、安物ですよ」なんて応じると、「何も分かってない、東京の田舎者やな」となる。

翻訳すると、「ご自分の時計で時間を確かめたら如何ですか?大分長居していますよ。そろそろ引き揚げられた方がいいんじゃないですか」という意味だそうです。

 角が立たずに人と付き合っていく、洒落た日本語の文化ですね。

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3. 他方で、以下は東京に行った話です。電車も結構混んでいました。全員がマスクの光景は茅野も変わりませんが、それでも人間の多さが違うので、マスク姿の印象ははるかに強烈です。これがいまの日常なのだと改めて感じました。

  実は東京行きのうちの1回は、やはり京都に縁のある出来事でした。この日、京都からはるばる上京した下前さんの講演会「床屋談義」に参加しました。

 松井孝治氏というもと民主党の国会議員が、いまは慶応義塾大の教授をしています。この方がシンクタンクも主宰して、さまざまなイベントを企画していて、今回は代表的な京都人を招いて東京で京都の話を聞こうと実施したものです。当日は赤坂にあるシンクタンクのオフィス内会議室で開かれて、マスク姿の40人強が出席し、まことに盛会でした。

 京都からも下前さんの友人飯島・岡村の両氏が招かれて上京し、私も声を掛けて頂いたので喜んで出かけました。

 京都には、1月末に従妹の家で「新春かるた会」という集まりで出かけて以来、新型コロナの中上洛していません。京都に行くと必ず「イノダ珈琲店」で朝食をとり、この方々とも会えるのですが、すっかりご無沙汰しており、残念に思っていたところです。そういう、「京都のお仲間」と7カ月ぶりに東京で会うというのも楽しいものでした。

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4.下前さんは、柳居子と号し、たいへん博識な知識人かつ趣味人で、しかも家人が「何でも出来る人ね」と感心するように、料理も上手です。この日は、お手製の「ちりめん山椒」を持参して頂きましたが、家人は「錦小路で売ってるものよりおいしい。絶品」と感嘆し、早速二人で炊き立てのご飯に載せて賞味しました。

 しかもご友人の書家がラベルに「くもり、柳居子製」と命名して揮ごうしてくれたそうです。人脈も多いのでしょう。

 毎日365日、ここ15年以上ブログを書き続けていますが、本業は三代続く散髪屋さんです。

 理容は、明治の文明開化から始まった職業ですが、当時なかなか洒落た仕事だった、同氏の先祖ももとはと言えば刀を扱っていたそうで、それで明治になって西洋からの「理髪」文化にすんなり転業出来た、と聞いたことがあります。 「天皇陛下にまともに刃物を向けられるのは私たちだけじゃないでしょうか」とよく言って笑います。

 しかも本来は西洋渡来の「散髪」が日本風の接客に進化して、これがいまや一部の外国人観光客に話題になっています。柳居子さんの技術と京都人らしいコミュニケーション能力のせいもあって、彼の「理容店」を初めて訪れた外国からの観光客が、髭を剃ってもらって感激してSNSに投稿し、それを知った観光客が次々に訪れるという事態になっています。

 今年の初めには、英国から来たジャーナリストだかが、同店での散髪の模様を数十分のビデオに撮影し、You tubeで流したところ、何と300万回以上のヒットがあったそうで、驚くべき反響です。世界の有名人ですね。「いまはコロナで駄目だが、行けるようになったらここで散髪してもらうためだけでも京都に行きたい」というコメントもあったとのこと。

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5.この下前さんに何とか東京に来てもらって京都の話をして欲しいと、上述の松井教授が長年にわたって説得、今回やっと応諾して上京したのですが、何と東京に来るのはお嬢さんの結婚式以来20年ぶりとのこと。この日も講演が終わったあと、二次会に六本木の国際文化会館までお連れしましたが、もちろん泊まることなく、そそくさと引き上げました。

 そういえば私の従妹も生粋の京都人で氏と同じく他の場所で暮らしたことはありませんが、用事があって上京する時も可能な限り日帰りで帰洛します。京都人はほんまに京都が好きなのだなと思います。

 

6.今回は余談ばかりで、講演「床屋談義」の中身に触れる紙数がなくなりました。松井教授と柳居子さんとの仲を紹介して終わることに致します。

 松井先生の実家は、松井本館といって京都の老舗旅館です。「下前理髪店」はすぐ近くです。この日の講師紹介でも、「祖父から息子にいたるまで四代にわたって頭の面倒を見てもらっています」という紹介がありました。単なる「理髪と客」の間柄ではないようです。

 これまた、いかにも京都らしい「付き合い」だなと感じました。人や場所の移動の多い東京では考えられない濃密な人間関係ではないでしょうか。

ミシェル・オバマ前大統領夫人、厳しいトランプ批判と「共感」について語る

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1.アメリカ民主党大会が17~20日コロナ禍の中で「バーチャル開催」され、ジョー・バイデンとカマラ・ハリスの正副大統領候補が決まりました。11月3日共和党トランプ・ペンス組との選挙で、今後4年間のアメリカの帰趨が決まります。

 

 大会初日の最大の話題はミシェル・オバマ前大統領夫人のオンラインによる18分強の「基調演説」でした。

「熱情的な」あるいは「容赦ない」スピーチと各メディアは評し、彼女の「ドナルド・トランプがこの国の大統領でいるのは間違っている(Donald Trump is the wrong president for our country)」という痛烈な言葉が各紙の見出しを飾りました。

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2.印象に残ったのは以下のような言葉です。

(1) 私たちが本来リーダーシップや救いや安心を求める筈のホワイト・ハウスに、いま見るのは、混乱と分断と共感の全き欠如です。

(2)私は最近、「共感(empathy)」についてよく考えます。共感とは、誰か他の人の靴を履いて歩くこと、他の人が経験したことには同じように価値があると理解することです。

(3)いまこの国で起きていることは、正しくも、私たちが望んでいることでもありません。

(4)それではどうすればよいか?「高きを目指しましょう(going high!)。

決して自らを貶めることなく、憎しみに負けずに、違いを超えて共に生き、ともに行動する道を見出しましょう」

(5)そのためには現状を変えることです。4年前の結果に失望してひきこもることなく、ジョー・バイデンに投票しましょう。

 彼は素晴らしい人物です。共感を抱き、人の話を聞く人です。子どものときに父親の失業を経験しました。若い上院議員時代には妻と生まれたばかりの娘を亡くしました。副大統領のときには最愛の息子を失いました。だからこそ、座っていない人のいる椅子があるテーブルにいることの悲しみを理解し、どんな時でも時間を割いて他の家族の苦しみに耳を傾けることを厭わないのです。

 もちろん彼は完全な人間ではありません。しかしそのことを真っ先に自ら認める人です。どんな大統領も完全ではありません。大切なのは、学び・成長する人間であるかどうかです。

 

(6)困難な時代だからこそ、私たちは一緒にならなければなりません。私たちの英雄だったジョン・ルイスが言ったように「何かがおかしいと気付いたら、発言し、行動すべき」であり、歴史に新たな1頁を加えることに参加しなければなりません。それこそが共感の本当の姿なのです。自分や自分の子どもたちだけではなく、皆のために、すべての子ども達のために行動することです。

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3. 因みにジョン・ルイスは7月に80歳で死去した下院議員。長年アフリカ系アメリカ人の人権のために戦い、公民権運動の象徴的存在。キング牧師の盟友、ロバート・ケネディの親しい友人。タイム誌8月10日号は「一国の良心」と題する16頁の追悼記事を載せました。 

 1963年、差別廃止と自由を訴えるワシントン大行進の日、大群衆を前にキング牧師が「私には夢がある」という有名な言葉を発したとき、「学生非暴力調整委員会」の委員長だった23歳の若きジョン・ルイスは同じく演壇に立って、「我々は、今日ここで示された愛と尊厳の精神を失うことなく、これから行進していこう」と呼びかけました。

 キング牧師ジョン・ルイスだけでなく、ミシェル・オバマさんのスピーチのうまさにも感心しました。しかし、選挙はきれいごとではないから、彼女のスピーチが感動的だからといって、それが選挙戦にどこまでプラスに働くかというと、それは別問題だろうとは思います。

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 4. 他方で8月18日の英国紙「ザ・ガーディアン」は、「コロナ危機で、女性の指導者の対応の方がよりすぐれている」とする調査結果が出た、と報じました。

(1)すでに、ドイツのメルケル首相、ニュージーランド(NZ)のアーダーン首相、台湾の蔡英文総統などはメディアの注目を集めている。しかし専門家や研究者からの反応は少なかった。

(2)ところがここにきて、ワシントンDC所在のシンクタンク「経済政策研究センター」と毎年ダボス会議を主催することで知られる「世界経済フォーラム」の共同研究が発表された。

(3)この研究は、193ヵ国のコロナ危機への対応(5月19日時点ではあるが)、を比較調査した。基礎データとして、各国のGDP, 人口、人口密度、高齢者比率、1人当たりの健康支出、海外旅行者、男女平等の度合いなどの総合的な統計も活用した。

 

(4)その結果、「違いは明らかに事実であり、女性指導者の国々の方がうまく対応している。その理由は、先を見越した、協調的な政策対応にあると考えられる。また、命の危険への意識の高さ、経済対策でもリスクをとることを恐れない姿勢が特徴的である、その結果、早期に断固たる対策をとることに成功している」と結論付けている。

 

(5)女性がトップ・リーダーである国は、19ヵ国しかない。そして本調査は、メルケルやアーダーンのような「特別注目されている存在」を除外して、ほかの17の国だけを他国と比較調査しても同じようなことが言える、と指摘している。

 

(6)また、同調査は「もっとも似通った2か国の相互比較」も行った。具体的には、ドイツと英国、NJ とアイルランドバングラデッシュとパキスタンそれぞれの比較で、前者が何れも女性が、後者が男性がトップ・リーダーの国である。

そして、何れも前者の方がこの危機にうまく対応している、と結論付けている。

 

(7)その上で、「この研究結果が、これからもコロナ危機が続く中で、政治のリーダーシップのあり方を議論するきっかけになればと願っている」と述べているそうです。

 むろん異論もあるでしょううが、それを含めての議論を期待しているのでしょう。

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5. 以上、ミシェル・オバマさんにしても19ヵ国の女性トップ・リーダーにしても頑張っていますね。調査報告の中で「女性のリーダーは、命の危険への意識が(男性より)高い」という指摘はなるほどと感じました。どうしても役割分担として、子どもを育て、他の子どもたちに接する機会も多く、病人や老人の介護に携わることも多いのは、えてして女性にならざるを得ない、それだけ「人の命」への感受性が高い、と言えるように思いました。

 昔、この国で介護保険の制度が導入されて、男性議員が殆どの国会で議論が続いているときに、家人が「この人たちって、自分の親の介護をしたことがあるのかしら、苦労をどこまで知っているのかしら」と呟いていたことを思いだしました。

 そういえば、ミシェル・オバマの18分のスピーチで、いちばん多くでてきた言葉は「共感」と「子ども達(もちろん自分の子どもだけでなく、子ども達一般の未来)」の2つだったと思います。

75年前の昨日、日本の国民は降伏を知らされた

1.昨日は終戦記念日でした。75年間、少なくとも日本は、戦争がなく暮らしています。これがどんなに貴重なことかと思います。

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この年になっても、平和な田舎暮らしを過ごせることに感謝しています。先週末は、年下の友人夫妻と4人で、地元の農家から借りた土地で作ったじゃがいもの収穫をしました。

今年はコロナの自粛で、いつも手伝ってくれる長女夫婦が来られず、種芋を植えつける時期が遅れ、おまけに長雨もあり、収穫は例年の3分の1ほど。それでも、翌日の夕方は友人のお宅で収穫を祝いました。

いま、当地は野菜の豊富な時期で、我が家も連日ベジタリアン向けのメニューです。スーパーに行っても「生産者直売」の野菜が並んでいて、熱心に買い求めています。皆さんマスク着用とはいえ、これも平和な光景です。

ロンドン郊外に住む次女の一家は、しばらく帰国できませんが、ときどきラインで、顔を会わせます。75年昔には激しい戦争をしていた異国にいま平和に暮らしています。

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2.他方で、前回ブログで紹介した「明子のピアノ」の河本明子さんは、1926年ロスアンゼルス生まれ、35年にアメリカ製のピアノとともに一家で帰国しました。父母の故郷広島に住んでもピアノを習い、ショパンを弾くのが大好きでした。

しかし、帰国した35年に日本は国際連盟から脱退、翌々年には日中戦争が始まり、太平洋戦争へと広がり、1945年無条件降伏を受諾した9日前に被爆しました。

彼女の場合、物心ついてからほとんど平和を知らないうちに、19歳でこの世を去りました。

彼女が愛したピアノは蘇り、6日の広島でのコンサートでも披露されました。コロナがなければ来日して演奏する筈だったマルタ・アルゲリッチは、「私たちは彼女のことをはっきり記憶するでしょう」とパリからメッセージを残しました。

何人かの方からコメントを頂きました。

・飯島さん「あの日あの時間、いろんな思いを持った人々が一瞬にその全てを断ち切られたのです。数多くの戦争犠牲者の方々に思いを馳せると胸が張り裂ける気がします」

・Masuiさん「広島への祈りは小生の心に深く深く特別なメッセージとして響いてきます」

・岡村さん「ジョン・レノンの「イマジン」が頭をよぎるのです。僕らの時代はベトナム戦争でした。ナパーム弾に爆撃されて逃げ惑う少女の写真がピュリツアー賞を取った事が思い出されます。71年~72年にかけてシドニーに居ましたが、ラジオからは毎日のように「イマジン」が流れていました。前の戦争もこの戦争もいったい誰の為の戦争だったのでしょう」

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3.こういうコメントを読んで、まだ戦争の記憶と思いが継承されていることを改めて感じました。

しかし、若い人たちにもそのような記憶が伝わっているかといえば、難しいでしょう。

コメントに心から感謝もし、同時に、戦争を知る高齢者が徐々に少なくなる現実のもとで、悲劇をどう継承していくのだろうかと考えました。記憶は薄れていく。だからこそ記録を残していくことが大事。「明子のピアノ」もその一つとして残っていく。そしてその物語に、マルタ・アルゲリッチのような世界的な音楽家が真摯に向きあい、まっすぐに取り組んでいるという姿勢に、未来への希望を感じています。

 「明子のピアノ」だけではなく、この時期、新聞などメディアは連日あの戦争の悲劇を伝える、辛く・悲しい記事が多いです。私は辛くても目を通すようにしています。

 祈念式典での平和宣言もそのひとつです。6月の沖縄慰霊の日で玉城知事は、一部を琉球語と英語で語りました。昨年末アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の生き方にも触れました。長崎の田上市長は、昨年この地を訪れたローマ教皇の言葉を引用し、「75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています」として、悲惨な記述を引用しました。

f:id:ksen:20200815080351j:plain また、9日付同紙は、「戦争の悲惨さ孫に伝えたい」と題して75歳の女性永田栄子さんを紹介しました。長崎出身の父は毎日新聞の記者だったが、6月、沖縄戦線の従軍取材で32歳で戦死、その8日後に長崎で生まれた彼女は家族とともに被爆した。「被爆したことを人に言ってはいけない。言えば差別される」と祖母に言い聞かされて育った。しかし幸せな結婚をして、娘はオーストラリア人と結婚し、一家で豪州にいる。永田さんは中学生と小学生の孫3人に3年前から毎年夏、メッセージを送っている。「沖縄戦では母親が子を背負って敵に向かって行った。子供が手りゅう弾を手にしていたんだ」。そうつづっても孫たちには伝わらない。「悲惨さが届いているか分からないけれど、分かるまで、嫌がられても毎年書くつもり」・・・・・

 

 12日の毎日新聞には、長崎支局の若い女性記者(沖縄出身)が、(沖縄でも長崎でも)「分かってくれないもどかしさと、忘れ去られようとする不安にあらがいながら、75年前に何があったのかを必死に伝えようとしている人たちがいる」と書きました。永田さんもその一人でしょう。

f:id:ksen:20200815081051j:plain5.私のような市井の老人は、せめてこういう記事を丁寧に読むことぐらいしか出来ないのだが、と思いながら毎年読んでいます。子どもも孫も日々の暮らしに忙しくて読む時間はないでしょうが、せめて暇な老人の義務だと思っています。

 そして、もうひとつこの時期は、岡村さんが書いてくださる「イマジン」を聞き、歌詞を思います。ジョン・レノンの作詞作曲ですが、2017年に作詞は夫人ヨーコ・オノとの共作と正式に認定されました。

・・・・Imagine all the people (想像してみよう 誰もが平和に生きている世界を)

    Living life in peace

   You may say I'm a dreamer (僕のことを夢見る人と君はいうだろう)

   But I'm not the only one   (だけど、僕はひとりじゃない)

   I hope someday you'll join us  (いつかは君だって仲間になってほしいし)

   And the world will be as one  (そうなれば世界はひとつになるんだ)

 8月9日、田上長崎市長は、こう呼びかけました。

「日本政府と国会議員に訴えます。核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」。

 この人もまた「夢見る人と君はいうだろう」――「だけど、彼はひとりじゃない」。

昨日の毎日新聞には、「NHKが昨年12月に実施した「政治意識月例調査」(1238人回答)で「核兵器禁止条約に参加すべき」と65.9%が回答。「参加しなくてもよい」が17.1%だった」とあります。

「明子のピアノ」と被爆75年2020「平和の夕べ」コンサート

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1. 今年の8月6日は広島被爆75年でした。

 朝8時から家人とともに、茅野市で開かれた「第25回平和祈念式」に参加しました。毎年出席しています。県外の被爆者の出席者は私ぐらいでしょう。

 今回は時間を短縮して、広島・長崎両市長からのメッセージの朗読、そして1分間の黙とうと献花だけで終わりました。マスク着用でした。

 例年なら、広島への「平和の旅」に参加した中高校生の報告があったり、皆で木下航二作曲の「原爆を許すまじ」を歌うのですが、今年はありませんでした。

 茅野市が、毎年広島の旅に学生を送り続け、とくに今年はコロナ禍のなかでも式典を実施したことに敬意を表したいと思います。

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2.本拠地広島市での式典は、参列者を例年の1割に満たない785人に絞りました。

 毎日新聞の報道では、「83か国やEU代表部の駐日大使らも出席した。核保有5大国からは中国を除く米露英仏が参列。

 松井一美市長は平和宣言で、新型コロナウィルスの感染拡大による自国第一主義の台頭に懸念を示し、国家間や人々の連携を呼びかけた。日本政府には、被爆者の思いを受け止め、3年前に国連で採択されたものの発効していない核兵器禁止条約の「締結国」になるよう求めた。安倍晋三首相は昨年に続き、条約に言及しなかった」。

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3.広島市では6日夕方には、「被爆75年2020平和の夕べコンサート」~Music for Peace~が、880人の聴衆を上限として開かれました。

(1) 広島交響楽団(広響)が毎年催す「平和の夕べコンサート」は、今年は節目の年であり、当初はベートーヴェン「第九」と、アルゼンチンが生んだ世界最高のピアニストの一人、マルタ・アルゲリッチを招いて実施する予定だった。

(2) しかもピアノ曲は、藤倉大という日本人が作曲してアルゲリッチに献呈された、「ピアノ協奏曲4番“明子のピアノ”」で、これを世界初演で演奏することを彼女が応諾してくれたのだ。

(3)ところが、コロナ危機のため彼女の来日が叶わなくなり、この曲は急遽日本人ピアニストが演奏し、「第九」も中止となり別の曲目に変更された。

(4) コンサートは当日、インターネットで無料ライブ配信された。

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4.ここに至るまでの経緯は以下の通りです。まず「明子のピアノ」について。

(1) 河本明子さんは、広島からアメリカに移民した両親のもとで、1926年ロサンゼルスで生まれた。1933年日系移民排斥の動きが広がるアメリカから帰国し、広島に住む。アメリカで買ってもらって6歳から習い始めたピアノを持ち帰り、広島でも熱心に習った。

(2)1945年8月6日、原爆投下の朝、明子は女学校からの勤労奉仕に参加し、被爆、爆心地から約1キロの距離だった。必死で家に戻ったが翌日死去する。19歳だった。

 翌日、両親は彼女の亡骸を自宅の庭で荼毘(だび)に付した。死因は急性放射線障害。

 前日の朝、数日前から体調を崩していた明子に父親は「行かんでもいい!行かんでもいい!」と繰り返し言ったという。そのため明子は、死の床で「お父さん、ごめんなさい」と謝り続けたという。そして、最期の言葉は、「お母さん、赤いトマトが食べたい」だった・・・・・。

 自宅も原爆で損傷し、前日まで弾いていたピアノも傷つき、弾き手を失ったまま置かれていた。最愛の娘を失った悲しみで、両親は彼女の遺品をすべてそのままにしていた。

(3)1980年ごろ偶然ピアノの存在を知った友人知人が、これを引き取り、調律師(彼は一目見て「これは捨ててはいけないピアノです」と進言した)の協力を得て時間をかけて修復し、2005年8月の「平和の夕べ」コンサートで蘇った。

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5.そしてアルゲリッチです。

(1) 彼女は、すでに2015年8月5日広島市での被爆70年の節目のコンサートに、初めて出演している。彼女自身の強い希望で、先に内定していたザルツブルグ音楽祭など、8月のヨーロッパでの仕事を全て断っての来日だった。

(2)しかも、「明子のピアノ」の存在を聞いた彼女はコンサートの2日後に、自らショパンの試し弾きをしてくれた(その時の写真も上に載せました)。「明子さんはショパンが好きだったのですね。不思議なことに、弾いてみるとそれを感じます。ピアノがそれを記憶しているみたい。私はそれを信じます」と語った。

(3)同じく世界的なピアニスト、ピーター・ゼルキンも2017年のコンサートに出演するため来日したときに、このピアノでバッハなどを45分も弾き、録音の申し出にも快諾した。

(4)アルゲリッチは2015年のコンサート初出演のあとでこんなメッセージを残した。―――「・・・私が日本国内で演奏を続けてきたのは、音楽には人を愛することを助け、人を傷つける気持ちを弱める力がある、という信念からです。第2次世界大戦でのもっとも恐ろしい犯罪は、広島と長崎への原爆投下とナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人の大量虐殺)だと思います。このような犯罪は、二度と起こってはなりません。私は、そのために、広島が今まで以上に重要な役割を果たすものと信じます」。

(5)今年の被爆75年の節目のコンサートでの、2回目になる演奏も快諾した彼女だったが、思いもかけぬコロナ禍で不可能になったのである。

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6.最後に、今年8月6日のコンサートのインターネットライブ放映を見ての感想です。

(1)アルゲリッチに献呈されて、本来この日に彼女が演奏する筈だったピアノ曲“Akiko’s Piano”は約20分の作品で、末尾のカデンツアのみ実際に「明子のピアノ」が使われる。

(2)コロナのため来日できなくなったアルゲリッチはヴィデオ・メッセージを寄せた。 

「今回演奏出来ないことにとても悲しい気持ちです。平和のための音楽会だから参加してきたのに、ごめんなさい」「私たちは、この曲を聞くことで、悲劇的な状況下で亡くなった明子さんのことを、はっきりと記憶するでしょう」。

(3)当日は、代わりに広島出身の萩原麻未さんが演奏した。会場にはスタインウェイの他に、アップライトのピアノがもう1台置かれた。彼女は終末部に入ってグランドピアノから席を立ち、その「明子のピアノ」に向かい、4分ほど弾いて、曲を終えた。

(4) なお、7月に『明子のピアノ、被爆をこえて奏で継ぐ』(中野真人著、岩波フックレット)が出版されました。帯には、「河本明子さんが愛奏していたピアノは、その響きを取り戻し、「音楽で平和を」の輪を世界に広げていく」とあります。関連のサイトも見られます。アルゲリッチのヴィデオ・メッセージも載っています。

https://www.akikos-piano.com/

テレビ番組も作られて、8月15日NHKのBS で午後6時から放映されます。