「グレタ効果」―「時には、子どもの眼で世界を見ること」

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1. 前回のブログ「タイム誌2019年“今年の人”にグレタさん」では、渋谷が「学生時

代にもっともよく通った懐かしい街だった」と書きました。

 中高までの通学に使った「館(やかた)ぶね」と呼ばれるバスの思い出話に触れたところ、同級生のMasuiさんから「自宅からは新宿経由が普通だが、ときどき渋谷まで回り道をして、このバスに乗って学校に行った」という微笑ましいエピソードを頂きました。

 中高6年間の男子校なので、女学生は憧れるだけの存在。おまけに近くに女学校が多く、嫌でも意識する。「前に聖心右手に館、後に控える山脇・英和、中にそびえるザブ中の白亜♪~」なんていうジコチューな、ズンドコ節の替え歌までありました。

 他方で、我善坊さんからは、「70年代以降、学生が元気を失くしたのと軌を一にして、渋谷が落ちぶれたようです。・・・・渋谷と学生が元気であるような時代が来ますように!」というコメントを頂きました。

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  渋谷は私の大学生時代であれば、道玄坂百軒店(だな)には名曲喫茶や大衆食堂・劇場があり、恋文横丁には安くて旨い餃子の店がありました。貧乏な若者の集う雑然と汚い、しかし活気はあったように思います。

「此処に恋文横丁ありき」と書かれた小さな碑がいまも立っていますが、気づく人もいないでしょう。碑には「かって、これより入った奥に36の小さな店があった。彼らは、希望とロマンを求め、この名を付けた。恋文の代書業を営む者たちが集まっていたことに由来する。この地を舞台とする映画(丹羽文雄原作、田中絹代監督)も作られた」とあります。

2. 以上は前置きで、今回もグレタさんの「今年の人」記事の続きです。タイム誌は言います。

(1)「むろん彼女は、気候変動の問題に、魔法のような解決策を示している訳ではない。

彼女の功績は、たった一人で始めた抗議行動が、世界の声になっていったことにある。」

(2)グレタは16歳だが、小柄で12歳ぐらいにしか見えない。

アスペルガー症候群」の持主であり、彼女の「感情領域(emotional register)」は、多くの人たちと少し異なる。

・人混みを嫌う。

・雑談や世間話を無視する。

・率直に言葉を発する。

・おもねられたり、はぐらかされたりしない。

・有名人の存在にも、自分自身が注目されることにもまったく関心がない。

このような個性こそが、彼女が世界的なセンセーションを巻き起こす一助となった。

(3)グレタは、いかなる政党や団体のリーダーでもない(環境保護に熱心な、伝統的な活動を続ける一部の人たちから、逆に批判されている)し、科学者でも政治家でもない。

 ごく普通の10代の少女であり、ただ、真実を力に変える勇気で「世代の偶像」になり、世界中の人々の関心を高め、態度を変えさせた。

「時には、人々の考え方を変える最善のやり方は、子供の眼を通して世界を見る(to see the world through the eyes of a child)ことだ」。

3.続いてタイム誌は、個人としての彼女を紹介します。

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(1)母親はスウェーデンの著名なオペラ歌手であり、父親は俳優で親戚にはCO2排出を研究しノーベル賞を受賞した科学者がいる。

(2)11歳の時に、学校の授業で、地球の温暖化についてのヴィデオを見せられた彼女は、大きなショックを受けて自閉症のような状態になった。

両親は心配し、当初は「あなたがそんなに悩むことじゃない」と説得を試みるが、やがて彼女に寄り添い、支えるようになる。肉を食べることをできるだけ避け、太陽光を屋根に取り付け、音楽会のため欧州のあちこちを飛び回る母親は、多大な犠牲を払って、ついに飛行機を利用することも諦めた。

 2019年にはスェーデンの「環境保護にもっとも熱心な家族」に選ばれた。

(3) 「私は世界を白黒に分けて見るし、妥協が嫌いなのです」と言うグレタは、自らのアスペルガー症候群に感謝もしている。「何時間も座り込んだり、関心のある本を集中して読んだりできるのは、そのお陰なのです」とも語る。

(4)そして、2018年5月に彼女は気候変動に関するエッセイを書き、新聞に掲載される。8月、たった一人で学校を休んで「気候ストライキ」と称して国会議事堂前に座り込む。

 1日目は彼女ひとり、2日目に見知らぬ人が一人加わる。数日後には何百人にもなる。

 9月初めに、大勢が集まったのを見たグレタは、「これから毎週金曜日、この国がパリ協定の温室効果ガスの排出削減目標に応じるまでストを続ける」と宣言。

 かくして「未来のための金曜日」運動が生まれた。

4.記事は、このあと、(1)世界中が彼女の声に応えて行動を始めたこと、(2)世界の指導者、政治家、経済界などの反応や、(3)世界の若者に勇気を与えたことについての具体的な事例を詳細に紹介します。

 記事の最後は、昨年12月6日、マドリッドで開かれたCOP25の国際会議当日には、何十万人のデモがあったことを伝えます。プラカードには「老人は老齢で死ぬ。私たちは気候変動で死ぬ!」と書かれました。「世界を再びグレタのものに!(Make the world Greta again.)」という叫びが世界に響きました。(言うまでもなく、Americaの代わりにthe world, ” Greta ”は”great” のもじりです)。

f:id:ksen:20200116083053j:plain5. 前回のブログには、Masuiさんから「環境問題は待ったなし。特に原子力、石炭に頼らないで、飛躍的なエネルギー効率の技術を大至急開発すべき。日本の若者はもっと環境問題に関心を持って活動をしてほしい」と、飯島さんからは「グレタさんを日本に呼んでほしい。若者たちのパブリック意識を高めてほしいと願っています」と、コメントを頂きました。

 たまたま1月5日の東京新聞が、共同発として以下報じました。

――「グレタさんが3日、首都ストックホルム共同通信の単独取材に応じ・・・・今年も権力者に圧力をかける、中国など欧米以外の地域への訪問も計画していると説明。また、招待があれば「日本にも行く」と話した」――

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6. 1月13日の新聞は、「2008~2017の10年間、温室効果ガスの排出量が増え続けたという厳しい国連の報告書が出た」と報じました。

 日本も気候温暖化がひきおこす大きな災害の無い年であってほしいと願いますが、豪州やフィリピンの山火事など不安です。

 豪州についてはエコノミスト誌が論説でも取り上げています。デンマーク1国の面積に匹敵する同国の史上最大の山火事で、すでに26人が死亡、2300の家が焼け、5千万匹の野生動物に被害が及んでいる。

 2019年の豪州は、過去もっとも暑い年で、平均より1.5度高く、雨量は過去最低で、平均より40%も少ない、これは明らかに気候温暖化の影響が大きいと指摘しています。

 

 

タイム誌「2019年今年の人はグレタ・トゥンべリさん」

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1.渋谷駅周辺の再開発が進み、その変貌が著しいですが、地下鉄銀座線の新しい渋谷

駅が1月3日からお目見えしました。

 学校が港区麻布にあり、中高の同級生には渋谷から通学する者が(私を含めて)多く、懐かしい土地です。60年以上も昔の思い出話の投稿が同級生ネットにしばし賑やかでした。渋谷からのバスで一緒になる通学の女学生にほのかな好意を寄せたというような話です。中には、後に女優になった女学生もいたそうです。

 バスは片道7円50銭、我々は終点の「日赤病院」まで乗りましたが、途中幾つもの女学校近くで停まり、とくに東京女学館の生徒が多く、私たちは「館(やかた)ぶね」と呼んでいました。

 いま、渋谷はすっかり変わり、老人には縁遠くなりましたが、昔も今も若者の街だったのかもしれません。

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f:id:ksen:20200107130501j:plain2.若者と言えば、今回は恒例のタイム誌「今年の人(Person of the Year)」の紹介です。

  昨年の最終号で同誌は「若者の力(The Power of Youth)」との副題で、16歳のグレタ・トゥンべリさんを「2019年の人」に選びました。

 トゥンベリとは言いにくい苗字ですが、デンマーク語は知りません。英語では“Greta Thunberg”と表記されます。

 2017年は,セクハラに声を上げた”#MeToo” 運動の「沈黙を破った人たち(The Silence Breakers)」、

2018年は、真実と民主主義を守るために命を落としたり迫害されたジャーナリストたち「ザ・ガーディアンズ(The Guardians)」、

と2年続けて複数の人間が選ばれましたが、今回は3年ぶりに「個人」が、しかも個人では最年少のグレタさんでした。

 もっとも彼女の背後には、世界中のデモに参加した7百万人という若者がいる、新しい世代のうねりを感じる、というのが同誌の見立てです。

3. 同誌はまず「新しい時代」と題する巻頭文で、92年前、偶然からこの企画が始まったという歴史を語り、今回の決定につなげます。

(1) 92年前の1927年のこと、年末になって編集部は、25歳の英雄チャールズ・リ

ンドバーグをまだ表紙に採用していなかったことに気が付いた。

 彼は、同年5月「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座プロペラ機ニューヨークパリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功という偉業を成し遂げたのである。

(2) そのために急遽「今年の人」という特集記事をスタートさせて彼を選出し、無事にその肖像を載せることが出来た。

 それ以来、「今年の~」は同誌最長の企画になり、他誌も追随して、ジャーナリズムでもっとも成功した企画になった。

(3)しかも以来、リンドバーグの25歳という若さは91年間破られることがなかった。

 その歴史が、2019年、グレタ・トゥンベリによって書き換えられたのだが、そのことをリンドバーグも地下で喜んでいるだろう。

 なぜなら、チャールズ・リンドバーグは晩年、環境保護活動に熱心に取り組み、「どちらを選ぶかと訊かれたら、私は飛行機よりも鳥を選ぶ」と語っていたからである。

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4. そして続けて、「選択=なぜ彼女か」と題する本文で彼女の行動の意味を以下のよう

に総括します。

(1)気候変動をめぐる彼女のメッセージには、危機感があふれている。

 にも拘わらず、その核心には楽観主義が存在する。なぜなら、グレタの行動が示したのは、伝統的な権力構造に失望した世代に、歴史をつくるには何も権力の一部に属さなくたってよいのだというメッセージなのだから。

(2) それは、何かに怒っている若者が突如反抗に立ち上がるという、すべての親にとっ

てごく身近な物語から始まったが、史上もっともあり得ない速さで、世界中に影響力を与えた物語になった。

 デンマークの首都ストックホルムの国会議事堂の前に、「気候を守るための学校ストライキ」と手書きで書いたボードを掲げて座り込んだ、たった一人の少女の行動が、1年ちょっとの間に世界中に拡がる若者の抗議活動になった。

 150か国以上の何百万もの若者が、「地球を守ろう」と街中に姿を現したのだ。そして彼女は、世界中を旅して、ローマ教皇を始め、世界の指導者に会い、プーチンやトランプやブラジルの大統領から「ちっぽけなガキ」などと呼ばれながら臆することなく、「よくもまあ、恥ずかしくないのか(How dare you)?」と言い返したのだ。

(3) 彼女は、行動を要求している。その道のりはまだ遠い。

 しかし、少しずつ動き出してもいる。多くの国や企業がより真剣な取り組みを始めたし、60か国以上が2050年までにCO2排出量をゼロにする約束をした。

 若者だけでなく世界中の関心が一層高まった。オーストリアの総選挙では、緑の党の票が3倍に伸びて連立政権に入り、4人の閣僚を送り込み、メディアは「グレタ効果」と呼んだ。世界の石炭の半分を消費する、あの中国でさえ電気自動車生産に力を入れるなど変わりつつある。

(4)  2019年は、気候変動の危機が、世界的な課題として舞台の中央に上がった年だった。

 そしてそれを成し遂げたのは、たったひとりで始めたグレタの行動からだった。

 92年間のタイム誌「今年の人」企画の根底にあるのは、歴史は偉大な人間によってつくられるという仮説である。長い経験と実績を経て、一定の地位に上りつめ、権力の座にいる人たちのことだ。

  しかし、2019年、不平等、社会不安、既成の政治の機能不全が広がる中で、伝統的な「体制」が私たちを失望させた。

 その中にあって、新しい力が姿を現し、私たちに影響を与え、「体制」が決して達成できないやり方で私たちを結びつけたのだ。

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5.  と書いた上でタイム誌は、「なぜ彼女が“今年の人”なのか?」について、

(1) 私たちの唯一の終の棲家であるこの地球を脅かしている人類へ、真摯な警告を発したがゆえに、

(2) 分断された世界に、国境や人種背景を超えた、世界大の声をもたらしたことに、

そして、

(3) 新しい世代が導く未来がどんなものかを私たちに示してくれたがゆえに、

「Greta Thunbergは、2019年タイム誌が選ぶ“今年の人”である」と述べています。 

 2020年最初のブログは、豆台風の襲来と年賀状の話

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1. 今年最初のブログはもっぱら私事で申し訳ありません。

昨年12月後半の我が家は、娘が休暇を取って幼い孫を連れて英国から一時帰国。

狭い家はてんやわんやでした。下がまだ2歳で時差調整ができず、夜寝ないので老夫婦も(もちろん娘も)グロッキー状態でした。

晦日に無事に帰国したのでほっとして、元旦からは二人で暫くぼんやりと過ごしました。

それでも滞在中は、楽しいこともありました。娘はどうしてもお寿司を食べたいと、30日にすぐ近くの下北沢のごく庶民的な店に子連れで行きました。幼子は母親の気持ちを察したのか、何とかおとなしくしていました。

 

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上の男の子は7歳ですが、歌と楽器の学習を始めていて、ヴァイオリンとピアノを弾いてくれました。

娘の亭主がプロの音楽家でおまけに彼の父・祖父と三代続きます。そんな環境なので、孫も4歳から楽器を父親に習い始めました。その点は恵まれた環境と言えるかもしれませんが、三代続くプレッシャーもある筈で、母親は「趣味でいい、プロにはなってほしくない」と願っているのではないでしょうか。音楽で食べていくのはたいへんなことです。彼らがどれだけ努力し・苦労しているかを知っているからでしょう。

 ということで身内の話になってしまいました。

しかし、まだ真っ白な未来に向かって育っていく幼子の姿を眺めるのは、身内でなく誰であっても、私には気持良いことです。

2.幼い子供たちが迎えるのはどんな未来だろうか?頂いた年賀状を拝見しながら

考えました。 

 頂くのも、出すのも、昔に比べれば随分減りました。「喪中欠礼」も増えたし、お互いに自然にやめていくケースもあり、「年なのでこれが最後になります」という挨拶も頂きます。私もそろそろ切り上げるかなと思いつつ、数は減りながらも続いています。年の初めに皆さまのコメントを拝見するのが楽しいからだろうと思います。

f:id:ksen:20191226150527j:plain3.型通りの挨拶状に、印刷または手書きでコメントを添える方もおられます。

(1)今年頂いた中で、以下の引用を載せた方がいました。

――「源氏物語・初音から」として、

「けふは、子の日なりけり。げに、千歳の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり」

(2)一年間の活動報告をしてくださる方もいて、近況がよくわかり、助かります。報告

の中には、葉書の裏面一杯を埋めた詳細なもの、少し自慢っぽいもの、いかに元気に・忙しく・豊かに活動しているかや思想信条を披露される方もおられます。

こういう文章を拝読すると、どこまで自らを語るか、その程度が難しいなと感じることがあります。

例えば、昨年、某首相の親衛隊で知られる超右翼の作家が書いた作品を読んで感動した、というコメントを書いてくれた友人がいます。

私はこの作家のものを読んだことがなく、読みたいとも思いません。よほど思い入れが強いのだな、いろんな人がいるのだなと思うしかありません。

他方で、年賀の挨拶に添えて、「改憲より、地位協定の、見直しを」という言葉を印刷してくれた友人もいました。

私が、某作家の著作を評価するコメントに違和感を覚えると同じ程度に、こういう改憲反対派のコメントを新年早々の賀状で読まされて憤慨する人もいるかもしれません。人はさまざまです。

f:id:ksen:20200102184732j:plain3.昔の職場の友人からの年賀状に添えたコメントは、企業文化を長く共有し、ともに

一定期間日本を離れて生きてきた人の文章だけに、共感することが多いです。

(1)住んだことのある他の国への関心が持続しているのでしょう。米大統領選挙や英国のBrexitの行方への懸念を書いてくれます。

(2)もっと広く、「世界中の騒動が止みません。正月気分もそこそこです」と書いてくれた後輩もいます。彼とは、ロンドンで一緒に働きました。

 なんとなく世界の今とこれからに不安を覚えている人が多いなと、読みながら感じました。日本では、おとそを飲んで「今年はオリンピックだ」と喜んでいる一方で、世界は、戦いに怯え、怒りのこぶしを上げている・・・・。

4.その日本についても悲観的なコメントが散見されました。

「今さえ良ければよい政治は参りますね」とか「経済が心配ですね」とか自筆で添えた方がいます。また、長々と日本経済の問題を指摘して「貧困層の貧しさの問題は、平均的な日本人の貧困化が進んでいる結果である」と結論付けた方もいました。

読んで、皆さんいろいろ勉強し・考えているなと感じます。もちろん老人が考えても何もできない、しかしまずは勉強することが大切ではないでしょうか。

5.やはり職場の先輩や友人からですが、昔を思い出したというコメントも頂きました。

(1)「子供たちがまだ小さかった頃、ご一緒に遊んで頂いたニューヨーク時代を、今頃になって懐かしく思い出しています」というコメントもあり、こちらもしばし懐旧にかられました。

(2)また、某先輩から「来信の整理中に大兄の古いお手紙を発見。しばし感慨に耽りました。ご厚誼感謝」というコメントもありました。

まだ電子メールもない、お互いに若き時期のことでしょう。書いた私自身は、何を書いたかも経緯もまったく覚えていません。体調を崩されたようで暫くお会いしていない先輩との交遊を、懐かしく思い出しました。

(3)気になったのは、某君からの以下のコメントです。

「~~遅くならぬうちに、長く快き友情に心からのお礼をお伝えしておきます。有難うございました。」

「遅くならぬうちに」という言葉遣いに少し驚きました。彼とは子供たちが小さい時から、家族ぐるみで一緒に海外暮らしの喜びも悲しみもともにしてきました。

どういう心境で書いたのか、お互いの年齢を考えれば分かるような気もします。しかし、それにしても、と思う気持もあります。まずは、メールを入れて、近いうちに会おうよと声をかけるつもりでいます。

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6.最後に、(自慢話はいけませんが)、やはりもと職場の先輩友人から自筆で賀状に書かれたコメントを紹介いたします。

1つは、「貴兄のシニア・ライフは高度の教養人のものですね」

もう1つは、「毎週末のブログには元気づけられています。末長くお願いします」

―――もちろん、ともに社交辞令ではあるでしょう。

こんな言葉を、面と向かって言われたらお互いに鼻白んでしまうでしょう。

しかしその代わりに、たとえお世辞でも年賀状の片隅にちょこっと自筆で書いていただくのは有難く、まだ賀状を続けていてよかったなと感じた次第です。

2019年の出来事――ローマ教皇の来日を思いだして

1.一年を振り返って,ブログでも取り上げましたが、京都での茶事が私にとってそこそこ思い出に残る出来事でした。

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 私事ながら、使われた茶道具が先年死去した長姉の遺品だったことに意味がありました。三重県松坂で長年お茶を親しんでいたので、京都の従妹に引き取ってもらいました。

 それなら、これらを使ってお茶を頂きながら亡き長姉の思い出を語ろうという従妹の配慮で京都に招いてくれたもので、その心遣いが嬉しかったです。

 長姉はお茶もやりましたが、熱心なカトリック信者で、若い時に東京四谷にあるイエズス会聖イグナチオ教会で洗礼を受けました。今回の、イエズス会から初めて出たローマ教皇の来日を知ったら、さぞ喜んだだろうと思います。

f:id:ksen:20191202092030j:plain2. 今年最後のブログは、この教皇の来日についてです。

 ローマ教皇は約13億人の信徒をかかえるカトリック教会の指導者であり、バチカン市国の元首でもあります。現教皇は2013年に就任。同年タイム誌は、バチカンの改革や弱者との接触に精力的に取り組んでいるとして、「今年の人(Person of the Year)」に選びました。ブログでも取り上げました。

https://ksen.hatenablog.com/entry/20140102/1388623681

 1936年アルゼンチン生まれ、イタリア系移民の息子。庶民派で、神学者だった前々教皇・前教皇と異なるキャリアを持ち、質素な生活とスラムを定期的に訪れるなど社会問題への関わりで知られます。「健康状態が十分でなく実現しなかったが、神父になり、最初に赴任地として希望したのが日本だった」そうです。  新大陸から初めてのローマ教皇で、13世紀の聖者アシジのフランシスコを敬い、その名前を教皇として初めて選びました。

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3. 今回の来日は11月23日~26日の4日間、長崎・広島を訪れ、祈り、語りかけまし

た。東京でミサをあげ、さまざまな人、とくに苦労する人たちに会いました。

 11月27日付日本経済新聞で小林編集委員は「来日は何を残したか。痛感するのは、夢や時代の精神を人々に呼びかけることの大切さと難しさ。そして分断された世界をつなぎとめ、未来を語る国際的なリーダーシップへの強い渇望だ」と書き、「理想語らぬ政治に危機感、そんな状況だからこそ夢を語る教皇の言動に関心が集まる。安らぎを保障し、理想の世界を示すという本来の役割を政治が果たしていないのだ」と訴えました。

 12月1日付東京新聞では宇野重規東大教授が、「理念の価値教えた教皇」と題して、「教皇が繰り返し強調したのは苦しみや試練に耐える人々に寄り添うことであった。迫害を受けてきたキリスト教徒はもちろん、原爆被害者、東日本大震災の被災者、さらには日本で苦労している難民留学生と言葉を交わすことに意を注いだのは、来日の目指すところを示している」と書きました。

 帰国後の27日、バチカンで行われた恒例の一般謁見で、全世界から集まった信徒たちに日本訪問について語りました――「原爆の消えることない傷を負う日本は、全世界のためにいのちと平和の基本的権利を告げ知らせる役割を担っている」と。

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4. 長崎と広島では、長い祈りのあと聴衆に語り掛けました。

(1) 長崎の爆心地公園では、最後にアシジの聖フランシスコの平和の祈りを引用しました。

――「ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でない方もおられることでしょう。それでも、アシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています」、そして一部を引用しました。

――「主よ、私をあなたの平和への通り道(Make me a channel of your peace)としてください。憎しみがあるところに愛を、いさかいがあるところに許しを、絶望があるところに希望を、悲しみがあるところに喜びをもたらす存在としてください。」――

(2) 祈りはさらに、「主よ、私が多くを求めるのではなく、人に慰められるよりも人を慰めること、人に理解されるよりも人を理解すること、人に愛されるよりも人を愛することを、求めさせてください~~」という言葉が続きます。

 いままでも、マザー・テレサを始め著名な宗教家や政治家が引用や朗誦を行い、公共の場で聴衆と共に唱和するなどして有名です。

f:id:ksen:20191225085416j:plain マザー・テレサは この祈祷文を毎朝唱え、1979年のノーベル平和賞授賞式においても聴衆に共に唱和することを呼びかけました。

(3) 聖歌になっていて、YouTubeで聴くことができます。短い・美しい曲です。 長崎のスピーチのあとでも歌われました。

20年前のウエストミンスター寺院でのダイアナ妃の葬儀でも歌われました。

https://www.youtube.com/watch?v=daGWdbrSGBM

この歌のことも2年前のブログで取り上げました。

5. 実は、茶道とカトリックは意外に縁が深かったという話があります。

そのことを野上弥生子三浦綾子も書いています。私のお茶の先生から頂いた葉室麟の『弧篷のひと』という小説は千利休の高弟だった小堀遠州の一生を描いた作品です。

f:id:ksen:20191225144732j:plain 本書で著者・葉室麟は、

(1) 千利休には、かってキリシタンではないかという噂があった(彼の妻もそうだと言われる)。

(2) 利休の七哲と呼ばれる高弟には、キリスタンが多かった。蒲生氏郷高山右近はキリスタン大名として名高いし、細川忠興の妻はガラシャ夫人である。古田織部が指導して作った織部焼の茶碗には、しばしば十字のクルス文が施された。

(3) 利休の考案したにじり口は、キリスタンの教えにある「狭き門より入れ」に合わせたのではないか。お濃茶を回し飲みするのもミサの所作と似ているといえる、

として、「茶の湯の亭主は、司祭のごとく儀式を司って客を聖なる境地に導く役割を果たしているとも見える」と書いています。 

(4) 葉室氏の指摘がどこまで当たっているかは素人の私には分かりません。しかし長姉が熱心なカトリックで、お茶も真面目にやっていたことは事実です。

 姉が洗礼を受けるにあたっては、13歳のときに広島で被爆した体験も大きかったと思います。1945年8月6日、女学校の同級生は勤労動員に駆り出されて、参加した全員が被爆死しました。彼女は躰の具合が悪くて家で寝ており、奇跡的に助かりました。

 私が昔京都で働いていたころ、時折、松坂の姉の家を訪れてお茶を頂くこともありました。今年は京都の従妹の家で、姉が生前愛した茶道具を眺めながら、生前の彼女が松坂でひとり点てたお茶を飲みながら広島での少女時代を思い出していたのかなあと考えました。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英国の総選挙、保守党の大勝利とエコノミスト誌

1.先週は、忘年会がひとつ、上野の都美術館内のレストランであり、夫人連れで集ま

る場所としては、なかなか良いアイディアだと思いました。ロンドン・コートルード美術館展の最終日の前日でした。

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2.私のブログは週1回なので、今回は1週間ほど前の出来事、12日の英国総選挙を振

り返りたいと思います。

 エコノミスト誌も週1回発行で、自国の出来事だけに、2週続けて大きく取り上げました。

(1) まず選挙前の「論説」で、与党の保守党も最大野党の労働党も支持できないとして、自由民主党(注:名前は同じでも、日本の自民党とは中身はまるで違う)支持を明確に打ち出しました。

(2) 支持の理由は同党の「EU残留」の主張と、気候温暖化対策・社会保障などの施策でも「本誌創刊の基盤であるリベラリズムにもっとも近い」という点にあります。

(3) さらに言えば、保守党の有利は選挙前から予想されていた。だからこそ、少しでもチェック&バランスを実現することが大事だという姿勢です。

(4) 結果は、保守党の予想以上の圧勝に終わりました。労働党自民党も惨敗しました。エコノミスト誌の失望がいかに大きかったか想像に難くありません。

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3.しかし結果如何に拘わらず、同誌のような「クオリティ・ペーパー」が、選挙前に、

与党に対抗する第三党を明確に支持して立場を鮮明にしたことは、英国では当たり前でしょうが、評価されて然るべきと思います。

日本ではメディアが「選挙で本誌は~党を支持する。何故なら~」と、立場を鮮明にすることはないのではないか。そんなことをしたら、即座にSNS上に下らぬ中傷記事があふれるのではないでしょうか。

 まず自分の意見・立場を明確にする、同時に「自分と違う意見」があることを認めて、お互いがフェアに・冷静に「ディベイト(論争)」するという文化はこの国には少ないのではないか、そんな気がしてなりません。

4.保守党圧勝の理由はご存知の通りです。

(1) 国民投票から3年半、「BREXIT」をめぐる迷走に国民が飽き飽きしていた。

 そこへ保守党がジョンソン首相による「離脱実現」で一本化し、その単純明快な主張で有権者に訴えた。

(2) 他方で労働党は党首の不人気もあり、政策も大衆受けする明快なものではなかった。「離脱」派の支持層も抱えていて、「残留」で一枚岩になれなかった。

この結果、従来の支持層が多く保守党に鞍替えした。

(3) この点は、長年にわたる労働者階級(総じて、低学歴・中高年、白人男性の肉体労働者)の不満が根っこにあり、たまたまそれが「EUからの離脱」をはけ口に保守党の支持につながった。

 因みに、英国在住のブレディみか子さんという最近活躍中の女性も書いていますが、

「この層は、政治的にもともとそんなに進歩的ではない。労働党を支持してきたのも別にリベラルとかいう理由ではなく、単純に自分の利益のために戦ってきたのだ。」

EU離脱は文化闘争なのではない。重要なのは労働者階級の価値観ではなく、生活水準なのだ。」

 だからこそ、数十年にわたって自分たちは無視され・疎外されてるという不満が、「もともと労働党の支持が強かったイングランド北部や中部の労働者階級の街でEU離脱派の票が上回るという事態を招いた」のであり、今回の選挙で「ジョンソン首相はこの層を労働党から奪うことを狙って」、まさに成功したと言えるでしょう。

f:id:ksen:20191216095148j:plain5,こうみてくると、今回の結果は2016年のアメリカ大統領選挙と似ています。

(1) アメリカでは、長年民主党の支持基盤だった東部・中西部の労働者階級が共和党に鞍替えしたことがトランプ勝利の大きな要因になった。

 今回の英国の選挙も同じで、その結果、本来、富裕層やビジネスエリートを支持基盤とする保守党(アメリカは共和党)は、伝統的な労働者層を取り込むことで内部に2つの階層を抱え込むことになった。

(2) 他方でアメリカの民主党、英国の労働党は、一部のインテリに加えて若者や女性、

少数民族貧困層を主体にして、より左傾化した。

(3) その結果、

・保守かリベラルかという区分けが明確でなくなった(ブレディみか子さんが「文化闘争や価値観の問題ではない」と言う所以)。

・中道が埋没して、右と左が両極化した(エコノミスト誌が支持するリベラルな中道路線の「自由民主党」の支持が伸びない)。

6. 選挙制度の問題もあります。米国は州をベースにした選挙、英国は全てが小選挙区制、かつ過半数でなくても単純1位で当選する。

(1) 2016年のアメリカ大統領選挙であれば総得票でヒラリー・クリントンが3百万票

も上回ったにも拘わらず、30州を確保したトランプの圧勝となった。

 英国では保守党プラス「離脱党」の総得票は全得票の46 %弱に過ぎないにも関わらず、大勝利となった(650議席の385と6割弱を獲得)。

(2) この結果、アメリカではカリフォルニアやニューヨークが、英国であればスコット

ランドや北アイルランドが割を食う、その結果、国の分断が深まる。

f:id:ksen:20191214135645j:plain7. これにさらに、トランプとジョンソンという特異な人物がリーダーだという点も加わる。両者ともに、政治家にもっとも必要とされるのは「責任倫理」であるとするマックス・ウェーバーの理念を体現するような人物では全くない。

8 .というようなことが、今回の選挙から浮かび上がってくる構図ではないでしょうか。

 ある友人から、「民主主義とか自由主義という、世界の指導原理だった思想に疑問符が付いたような最近の世界の動きに、不気味なものを感じます」というメールを貰いました。

 その点は多くの人が感じていることだろうと思います。

 ただ他方で、今回の英国総選挙を見て以下のようなことも考えました。

(1) たとえ少数でも、悲観的でも(選挙直前のエコノミスト誌の表紙と論説は「クリス

マス前に英国が見る悪夢」と題しました)、

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たとえ敗れても、自らを毅然として主張するメディアは健在であり、それを中傷したり、脚を引っ張ったりする風潮はない。

(2) 選挙によって、良くも悪くも社会が変わるであろう。

 EU離脱をめぐる混乱はまだ続くだろう。しかし、政治家も変化を意識して対応していくことが求められる(保守党は新しく抱えた労働者層を意識した政策を入れていくだろうし、労働党自由民主党は反省に立って従来の支持層の奪回を真剣に考えるだろう)。

(3) 対して、この国では、選挙で何かが変わるという期待が一向に持てないように思う

のですが、どうでしょうか?

 支持層の多数が従来の長年の支持政党から別の政党に鞍替えするというような事態が、将来日本でも起こり得るでしょうか?

 

2019年京都の秋と出会った人たち

1.朝の散歩の東大駒場キャンパスでみる黄金色の銀杏並木もそろそろ終わりです。掃除がたいへんですね。職員が動員されている光景も見ました。

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 さて前回に続いて、今回もまだ京都の話です。

 中村哲氏のアフガンでの悲劇について、岡村さんが「7日に三条大橋で追悼のキャンドル・ヴィジルがあって参加した」と書いてくださいました。「片手にろうそく、片手に中村さんの顔写真と「武器ではなく、命の水を」と書いたプラカードを持って、川風が冷たく感じるなか立ちました」とあります。

 海外放浪の青年時代にアテネユースホステルで、難所のカイバル峠を越えてどうやってアフガニスタンに行くか話し合っている人たちの会話を聞いたことがあるそうです。ひょっとして、自分もついて行ったかもしれない、そうしたら運命が少し変わったかもしれないと、若い頃を思い出されたようです。

 海外で様々な人に出会った体験が、中村さんへの関心と敬意をいっそう高めるということがあるのかなと、読みながら思いました。

 牧野さんという、昔京都で社会起業家支援の活動を一緒にやった女性がいます。当時は同志社の大学生でしたが、一時期フィリッピンNGOで活動したことがあり、そのことが影響しているのか、フェイスブックに熱心に書いています。10日の「クローズアップ現代中村哲医師、貫いた志」を教えてもらい、見ました。いい番組でした。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4361/index.html

 現地で4年一緒に働いた方の言葉が印象に残りました。

「中村先生が現地の人たちに対して威張った姿を見たことがない。自分たちの活動を誇らしげに語った姿を見たことがない。常に現地の人たちに敬意を払って~~、家族の人たちにも心を砕いて作業を進められていた~~」

「私は、あの方の活動、生きざま、そのものが平和だったような気がします」

f:id:ksen:20191202123539j:plain2.私自身は、前回書いたように京都の茶事に出て、そのあと夜遅くホテルに戻ってロビーで近くの割烹の女将と京都検定1級の友人と2人でワインを飲んでお喋りをしました。翌日は朝、ホテル近くの「イノダ」に行って珈琲を飲み、いろんな方に会いました。京都の友人たちに会うのは楽しみです。

 近くの京都御苑もぶらぶら。まだ紅葉がきれいで、京都迎賓館が一般公開をしていたのを拝見して、家人と二人でのんびり過ごしました。

 京都は、観光客の増加で迷惑している人も少なくないでしょう。

 他方で、海外からの観光客との接触を楽しんでいる人たちもいます。この日会った割烹の女将もその一人で、もともと明るく、人の応対が好きで、面倒見がよい。京料理を食べたいと飛び込みで恐る恐るのれんをくぐる外人客がいる。家族連れだったり、新婚旅行中だったりする。そういう時の、彼女の明るい笑顔と接し方は秀逸です。一見さん大歓迎。夏なら浴衣を着せてあげたり、常連が多い店なので彼らの会話の輪に入れたりする。忙しいと、常連も一緒になって浴衣を着せるのを手伝ったりする。お客さんは大満足で、青い眼も黒い眼も入り混じって、賑やかな雰囲気のお店です。

 もう一人、イノダの常連の柳居子さんのお店にも外国人観光客がよく来るようで、ブログに書いておられます。顔をつるつるに剃ることを他国の床屋ではしないので、驚

いて、感動して、これまたSNSで発信する。

f:id:ksen:20191202120424j:plain4.こういう思いがけない経験が海外旅行のいちばんの楽しみではないでしょうか。名所旧跡を訪れて、良い景色を眺めて、食べ歩きをして(テレビの海外紀行番組はこればかりのようですが)というお決まりのツアーではつまらない。ちょっとでも、その土地の人たちや暮らしを知りたい、話をしたい。

 京都の、この割烹と理髪店はまさにそういう期待を満たしてくれるところです。

 そして、迎える方でも、異国の人たちと接することで、気が付かないうちに何かが

変わってくる。少なくとも異国に関心をもってくる。「こないだ髭を剃ってあげたら喜んでいた、あの人の国だ」と思えば、そこでの出来事が良いにつけ悪いにつけ無関心ではいられなくなる。

 そうなれば、中村哲さんのアフガニスタンでの悲劇を知っても、いままで以上に無関心ではいられなくなる。

 何といっても岡村さんのように、海外を放浪する経験は大事です。だからこそ彼は中村さんの追悼のヴィジルに参加して、いろいろ思いだして、「ちょっとセンチになった」と書いています。

 しかしこちらから行くだけではなく、京都のごく庶民的な(失礼!)割烹や床屋さんに来てくれる人たちとの交流、これも大事だなとあらためて思いました。 

5.「イノダ」に行って、朝から常連さんが同じ席に座っている光景もいいものです。

 血のつながりもない、職場の上下関係もない、学校が一緒だったというわけでもない、「イノダ」を出たら何の利害関係もない人たちかもしれない。この繋がりは、アメリカの社会学者が言いだした「弱い絆の強さ(The strength of the weak ties )」ではないでしょうか。

そういう文化になじんでいる人たちだから、異国のお客も違和感なく受け入れるのかもしれない。そんなことを考えました。

f:id:ksen:20191202082141j:plain6.「お茶の文化」や「一期一会の精神」と多少関係があるかもしれない、とも思いま

した。

 それにしても茶事で頂いた懐石はおいしかったです。「三友居」という茶懐石の仕出しの店です。正式の茶事では、懐石が先でお茶はその後ですが、今回は「前茶」といって懐石は夕食時になり、しかも亭主側も入って無礼講で、作法も知らず「三友居」の主人が料理を運んできては説明してくれて、勉強になりました。

 それでも、これもあらかじめお茶の先生に聞いていたので、最初にご飯とお椀が出たときは両方のふたを取って合わせて右手に置くだの、最後は皆が一斉に音を立てて箸をおく「箸おろし」の作法などを知ったかぶりをして、主人から褒められました。

 この茶懐石の仕出しというのも、京都(だけではないが)の文化ではないでしょうか。

f:id:ksen:20191201165829j:plain「最近の日本語でいえば、ケータリングやなあ」とつい言ってしまいましたが、なかなかどうして歴史が違うのでしょう。

 先日、英国留学の回想記で、現天皇(当時親王)が「英国の特徴として感じたことに、伝統と革新の共存をまず第一にあげている」と書きました。

 京都がまさに似ているなと感じます。京都伝統の「一見さんお断り」なんて言わないで、飛び込みの外国人を受け入れて自分も一緒になって楽しむのがこの街の「革新性」とすれば、

 いまも続く茶事と仕出しの茶懐石の店は「伝統」でしょう。

 そういえば女将と一緒にワインを飲んだ検定1級の友人は、自宅の古い町家を必死に維持して、このたび指定文化財になり、9月には一般公開もしたそうです。これもまた「伝統」でしょう。

 たまたま昨日お昼の忘年会で隣に座った女性(職場の同僚の奥様)から、「川本さんのブログは京都でもお寺の話が出てきませんね」と言われました。そう言えば私は、どこの土地に行っても人間とその暮らしにいちばん興味があるようです。

 京都の人たちとのご縁に本当に感謝しています。

 

中村哲氏追悼と、京都での気楽な茶事のこと

1.今回はもっぱら、京都での茶事を書くつもりでした。

 ところが、4日アフガニスタン人道支援に長年取り組んできた中村哲医師(NGOペシャワール会の現地代表)が銃撃され死亡した、という衝撃的なニュースが飛び込んできました。

 そこで、京都でたった1回お会いしただけの中村氏ですが、追悼したいと思います。

 10年以上前の2007年5月、中村氏は一時帰国の忙しい最中、宇治市京都文教大学に来て頂き、私が勤務する現代社会学科(当時)の主催で300人の学生に向けて90分の講演、そのあと少数の教員や学生との交流会に参加して頂きました。印象に残る時間でした。中村さん、あらためて有難うございました。

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2. 同氏の活動についてはメディアが詳しく報じています。死を悔やむ声は日本だけでなく世界からあがっています。見事な生き方をした人だったと思います。師岡カリーマ氏のコラムを読んで、とても穏やかだった同氏のことを涙とともに思いだしました。

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 2007年に大学に来て頂いたことについては、当時のブログで紹介しました。

https://ksen.hatenablog.com/entry/20070526/1180142827

 交流会での質疑応答(Q & A)の一部を紹介した文章を以下に再録し、同氏のご冥福を心から祈りたいと思います。

「Q:なぜ始めたのか?なぜ続けているのか?

 A:よく訊かれるが自分でもわからない。格好よく言えば、ここで見捨てたら男がすたるとでもいった「見栄」「矜持」か・・・

  Q:尊敬する人物、あるいはロール・モデルは?

  A内村鑑三(ちなみに中村さんはクリスチャン)、宮沢賢治

  Q:われわれ、何も行動していない(そのことに多少は恥ずかしいと感じている)人間へのメッセージはあるか?

  :あえて言えば、時代にすりよらないこと、変わらないこと、若い人に寛容である こと、失敗をおそれないこと・・・あとはなにわ節と心意気でしょうか(たしか彼に は、九州の任侠の血が流れています)。

  終始、静かな、聞き耳を立てないと聞き逃してしまいそうな低い声で、おだやかに応対して頂きました」。

3.以上、2007年の京都宇治での思い出です。

 2019年12月初めは、やはり京都で過ごし、今出川京都御苑の近くにある親戚の家での、ごく気楽な茶事に出席しました。出席者は連れ合いを含めた身内6人で、いちおう私が「正客」、家人が「お詰め」をつとめたのですが、私を含めて客の中にお茶の作法など知っている人もいなく、無手勝流での茶席でした。

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 それでも一同でおいしく頂きました。やはり風雅なものです。

――茶の湯における客というのは、本来「一客一亭」。すなわち「一人の客と一人の亭主」です。したがって、原則は「正客以外は喋らない(亭主と問答しない)」、一人目の客以外(連客)は主客の会話を邪魔しない程度に参加する――のが作法だそうですが、もちろん我々はそんなルールは無視して賑やか・なごやかに進みました。

4. 家にはいちおう茶室がつくってあり、ここで従妹が亭主となり、時雨亭文庫という財団法人の事務局の女性が二人、お茶を点て、手伝い(「半東」と言います)をしてくれました。

 事務局の人たちは、男女を問わず誰もがお茶の作法はわきまえているそうで、さすが京都と思いました。それだけ文化に根付いている、庶民の間でも当たり前になっているということでしょうか。

 あとで聞いたところでは、地元の金融機関に入社すると誰もがお茶の基本を習わされるそうです。そうでないと、取引先を訪問しても相手にされない。

 また翌朝会った喫茶店「イノダ」の主は、約束がなくて友人知人の家を訪れるときでも、せんすと懐紙は用意して行く、と言っていました。「まあ、一服いかが?」と言われることがあるからだそうです。

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5. 実は、茶席を設けるのはせいぜい年に数回とのこと。いろいろ準備もたいへんでしょう。

 この日は炉が切ってあり、夏以来初めてだというので、早速習いたての知識を披露して、「本日は炉開きですね」と知ったかぶりをしました。

 もとの職場の友人でお茶の先生がいて、ときどき「遊び」で仲間2人と一緒にお茶を点ててもらいます。

 定年直前まで銀行に働いた女性ですから、本人が言う通り「ごく庶民のお茶」です。茶道具に凝ったりする贅沢な茶席と異なり、そこが我々のレベルによく合い、いつも楽しみに参加しています。

 今回の「正客」役はさすがに初めてなので、直前にこの先生に会って、いろいろ教えてもらいました。

 その際、堀内宗心という表千家の「重鎮」の茶人によるお点前を紹介した本とDVDがあり、これを貸してくれたので何度も見ました。

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 ご存知の方も多いでしょうが、この本によると、

茶の湯では、一年を炉と風炉(ふろ)の二つの季節に分ける。夏の間は炉は閉めて風炉を使う。

 炉の季節は冬から春ということになっていて、毎年立冬、旧11月8日ごろを目安にして、亭主自ら炉を開く。

 他方で、毎年製茶の時期は、夏の初め、茶の木の若葉の出た頃。その若葉をつみ、一度熱を加えて、すぐに乾燥させて水分をぬきとり、約半年保管して、自然の熟成を終えて冬が始まる頃、初めて封を切って使う。

 これがちょうど開炉の時と一致する。

 開炉はこの新茶口切の季節と重なっているため、茶の正月とも呼ばれる・・・・・」

 ということで、上記の「知ったかぶり」になったものです。

6.今回の京都での身内だけの茶席も、堀内宗心宗匠のお点前と異なり、道具も特別に名のあるものではありません。掛け軸も亡くなった叔父・叔母が書いたものを軸にしただけで、値打ちのあるものではありません。

 控えの間にある軸は、藤原俊成・定家の二人の姿と歌で、その点では面白かったです。

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 定家卿のは、新古今にとられた「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」という歌でした。

 ちなみにこの歌を堀田善衛は、「絵画的といっても音楽的といっても、到底言い尽くすことの出来ない、言葉の解説一つしたにしてもぶち壊しになる、朦朧(もうろう)たる世界の構築」と評します(『定家明月記私抄』)。