- 3月初めの土曜日、長女夫婦から誘われて、我が家から徒歩20分、井の
頭線下北沢駅近くの小料理屋で4人で夕食をともにしました。
「日本酒とワインと小料理」と銘打ち、カウンターだけの10席しかない「小体(こてい)」な店です。
2.「namida」という珍しい店名です。
調理場がオープンなので店主と話が出來ます。
「泣く涙のこと?」と訊くと「そうです」という答え。
「誰もが訊くと思うけど、なぜ「涙」なの?」と次なる質問です。
3.「二つあります」という答えで、
秀吉に切腹を命じられた利休が、最後に開いた茶会のために自ら削った茶杓。弟子の古田織部が形見にもらい受け、窓を開けた筒に納めて「泪」と名付け、位牌代わりに拝んだと言われている。
もう一つは、フランスのブルゴーニュでワインを作っている女性の、「悲しみの涙と喜びの涙がある。涙の成分も違うらしい。そんなことを考えながら、良いワインを作ろうと努力している」という言葉から思いついた。
4.そんな説明でした。
二番目の説明が私にはよく分かりません。しかし、料理しながらの会話なので、これ以上質問するのは控えました。
そしておいしい料理とお喋りを楽しみながら、世界はいまも「悲しみの涙」に溢れている。ウクライナでも、ガザでも、能登半島でも・・・・。しかし、「喜びの涙」はあるか?と考えました。
5.たまたま翌日の日曜日には月1回の読書会があり、6人が集まりました。
今回のテキストは『老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ著)です。
「著者にノーベル文学賞をもたらした、文学的到達点にして永遠の傑作」と新潮文庫(高見浩)の帯文にあります。
京都の岡村さんの愛読書で、コメントに度々取り上げてくれました。
6.物語は、
――84日間不漁が続く老いた漁師は、慕ってくれる少年に見送られて、85日目もひとり小舟で海に出る。
沖に出て、5m半もある巨大なカジキを格闘のすえ釣り上げる。しかし、鮫に襲われて三日目に港に帰り着いたとき、船側に繰り付けられたカジキは鮫に食い尽くされ、骨だけになっていた。
疲れ果てた老人を少年が出迎える。
少年は老人に、元気になったら昔のように漁に連れていってほしい、「また一緒に行こうね」と何度も念を押し、物語は終わる―
「陸で待つ少年の存在がいい」「二人の会話や行動からにじみ出る、お互いへのリスペクトがすばらしい」と評されます。
6.この場面で少年は、大きな獲物を得たのに鮫との格闘で全てを失った老人が、怪我をしつつも無事帰港した姿を見て、何度も泣きます。
“cry”という英語が5回出てきます。
朝になって老人の小屋に行ってまだ寝ている彼の「手を見て、思わず泣き出した」。・・・小屋を出て「コーヒーを持ってこようと歩き出したが、ずっと泣きどおしだった」・・・・という具合に。
7.彼はなぜこんなに泣くのか?
敗者の心情を思いやる「悲しみの涙」か?
それとも,闘い抜いて無事生還した勇者と再会した「喜びの涙」か?
読書会で、そんなことを考えました。