- 4月最初のブログです。3月は4回すべてウクライナ関連になりました。コメントもいろいろ頂きました。
京都の岡村さんはこの戦争に、若い頃旅をしたベトナムを思いだすようです。
ベトナム戦争を取り上げた『サイゴンから来た妻と娘』(近藤紘一)や『ライカでグッドバイ、カメラマン沢田教一が撃たれた日』(青木冨喜子)を再読したと書いてくださいました。
この時期にこういう気持ち、わかるような気がします。後者は未読だったので、早速購入したところです。
- 桜の花は,短い命。我が家の桜も楽しんでいたら、あっという間に散り始めました。老人夫婦には掃除がたいへんです。
――散る桜 残る桜も 散る桜――
出かけることも多く、友人と二人で国会図書館に出掛け、途次の桜を楽しみ、世田谷の趣味を同じくする四人で花見をしながら喫茶店でお喋りをし、長く途絶えていた友人夫婦との麻雀も復活しました。
その一人が、『月夜の森の梟(ふくろう)』(小池真理子、朝日新聞出版、2021年11月)という本を貸してくれました。今回はこの本の話です。
4.小池真理子の夫・藤田宣永(よしなが)は、2020年1月、肺がんのため69歳で死去。
(1) 2歳年下の妻は、同年6月から1年強、朝日新聞に追悼のエッセイを連載、これが本になりました。
私はこの二人、名前も知らなかったのですが、ともに人気作家、おまけにともに直木賞受賞です。
(2)亡き夫への想いを主に、父母の死にも触れた、心に響く短いエッセイが50篇。
連載中から評判になり、読者から千通にのぼる反響があった由。
(3)「悲しみに埋もれるような本ではない。小説家をめざして一つ屋根の下で原稿に向かった若き頃、(略)懐かしい日々を思い出し、穏やかな現在を見つめる。夫の病の深刻さを知り、絶望して泣きながら、ずるずるとカップラーメンをすする場面が印象的だ」とは朝日新聞の紹介です。
(4) おそらく自分からは手にしないだろう作者の本で、人に勧められて読むのも悪くないなと思いました。
5.貸してくれた方からは、「読んでほしい、そして夫婦二人の感想と、どれがよかったか教えてほしい」と言われました。いままで5人の友人に読んでもらったが、それぞれ良いと思う箇所が違っていたそうです。
6. 50篇、それぞれ良い文章ですが、桜の季節に読んだせいもあり、私は、
――「昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花が咲くころまで、でしょう」と。
以来、私は桜の花が嫌いになった。・・・・」――
という箇所が心に残りました。
7.そして、よく知られた、古今和歌集にある
――深草の野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け
(~もしも心があるならば、どうか今年だけは墨染めの色に咲いておくれ)――
を思い出しました。
紫式部は『源氏物語』で、この歌の一節「今年ばかりは」を二度にわたって引用(引き歌)します。
一度は、源氏が慕ってやまず、ついに不義にまでいたる、桐壺帝の中宮藤壺の死を嘆く場面。源氏は、住まいである二条院の桜を見て、藤壺との「花の宴」を思い出し、「今年ばかりは」と独り言を言って、終日念誦堂に入って泣き暮らした。(薄雲の巻)
もう一つは、源氏の息子夕霧です。親友である柏木の死を悼み、柏木の妻「落葉の宮」の住まいを悔やみに訪れ、庭の桜を見てやはりこの歌を思い出して、“「今年ばかりは」とうちおぼゆるも”、と引用されます(柏木の巻)。
作者の上野岑雄(かんつけのみねを)はこの歌一首が採られているだけで、著名な歌人ではありません。紫式部がこの歌を世に知らしめたということもあるかもしれません。