京都で墨染寺にも行きました

  1. 今日は雛祭り。東京も梅が盛りです。

東京での梅見を楽しみつつ、まだ京都の話です。

2.2月16日、藤野さんと昼食をともにしながら「源氏物語」の話をしているうちに、「墨染寺(ぼくせんじ)に行きませんか?」という話になりました。

(1)京阪電車で、「東福寺」や「伏見稲荷」の先の「墨染(すみぞめ」駅で降りてすぐ、日蓮宗のお寺です。

(2)案内板には、「境内には、墨染の地名の由来となった墨染桜が植えられている」。その由来は、

平安時代歌人上野岑雄(かんつけのみねを)が、当時の関白の死を悼んで

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」

と詠んだ。すると「当地に咲いていた桜が喪に服するかのように薄墨に咲いたと云われる」。

(3) 古今集に載ったこの歌を、紫式部は「源氏物語」で2度引用(「引き歌」)しています。

例えば、桐壺帝の中宮藤壺の死に際して、源氏が悲嘆にくれる場面――「源氏は、住まいである二条院の桜を見て、藤壺との「花の宴」を思い出し、「今年ばかりは」と独り言を言って、終日念誦堂に入って泣き暮らした」(薄雲の巻)。

源氏の「独り言」が上記の歌からの引用であることを理解する、それが当時の読者の教養でした。

(4) この歌は以前のブログでも紹介しました。

それを読んだ岡村さんが、わざわざ出かけて写真を送ってくれました。

今回私も藤野さんに連れていってもらい、感謝です。

 

(5)2月ですから、むろん桜はまだで、訪れる人も我々二人だけでした。墨染桜自体はごく小ぶりで目立ちませんが、大きな桜もあり、満開の写真がJR の「そうだ京都行こう」に載っています。

3.最後に『源氏物語』についての補足です。

(1)本書について、以下は渡部泰明東大名誉教授の紹介です。

「千年も前に、一人の女性の手によって、これだけ繊細かつ雄大な物語が生み出されたことを、日本文学史上の、いや世界の文学史上の奇跡だという人もいる。すでに鎌倉時代から古典の地位を確立し、後世の文化に与えた影響は計り知れない」。

 

(2)『源氏物語』は、紫式部自作の歌が795首も載っていると同時に、「今年ばかりは」の例のように「引き歌」を初めとする古典からの引用が豊富です。歌が(男女の)コミュニケーションのもっとも重要なツールだった時代、本書は歌詠みに必須な教養を身に付ける書物でした。

だからこそ約100年後に歌人藤原俊成は、

「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」

と述べ、この言葉が本書の価値を決定づけたと言われます。

(3)京都で2月15日に「白梅」で夕食をともにしたときも、本書が話題になりました。

夕食に招いてくれた冷泉貴実子さんは俊成卿の子孫です。

彼女は、「この時代は、女性にとって生きづらい時代だったとは思う。しかしその中で、かな文字を駆使して、歌を詠み日記や物語を書き、自己表現をしていった女性が紫式部に限らず大勢いた。世界のどこを見渡しても、千年も昔に、文学の主要な担い手が女性だったのは日本だけではないか。そのことは素晴らしいと思う」とさかんに言っていました。