「源氏物語」は「夢浮橋」で終わる

  1. 前々回のブログは、シェイクスピアの「オセローを読む」最終講義についてでした。

今回は同じく朝日カルチャーの「源氏物語」です。田坂憲二元慶應義塾大学教授による長い講義も、6月で読み終えました。

 

  1. 源氏は朝日カルチャーでも人気番組です。

私は友人に誘われて「古今集読解」から始め、続いて源氏の講義を聞きました。ちょうど昼時に終わるので、そのあと友人と軽食をとりながらお喋りをする時間も楽しかったです。

  1. そこで今回は、54帖ある長い物語の最後となる宇治十帖の「夢(ゆめの)浮橋(うきはし)」について触れます。

(1)宇治十帖は、宇治に住む皇族の血を引く三人の姉妹の物語で、その後半は末娘で母親を異にする浮舟と、匂宮(におうのみや)(今上帝の第三皇子)と薫(光源氏の子として育つ)という二人の貴公子との関わりが描かれます。

二人の男性に言い寄られた浮舟が煩悶のあげく宇治川に身を投げようとするが果たせず、出家します。そのことを聞いた薫が手紙とともに使いを寄越し、会いたいと告げる。しかし浮舟は会おうとはせず、使いが空しく帰ってきたことを知った薫の思いで、物語は終わる。

(2)「長編源氏物語の結末としては、いささか物足りない結末である」と評されます。

田坂先生はこう述べます。「薫は浮舟を諦めるのか、浮舟は出家生活を全うするのか、匂宮が再度接近することはないのか、読者は気をもむであろう。(略)明確な切れ目がない終わりかたこそ、現実の世界であるとでも言おうとしているのであろうか」。

4.私は、いかにも素人らしい感想を口にしました。

(1)「もともと薫と匂宮が、それぞれ正妻も側室もいるにも拘わらず、浮舟を恋慕して張り合うというのは、現代人の感覚からは自分勝手な男性論理という気がする。平安時代の女性の人権はいまのタリバン並みではないか?」

(2)「そういう風に読むと、最終章の「夢浮橋」の終わり方には、「物足りない」どころか共感する。薫の身勝手さが皮肉っぽく描けていると思う。

浮舟自身は、当時の女性らしく身分や男女の差別を理不尽とも思わず、運命に翻弄される自身の宿世を嘆くのみかもしれない」。

(3)「しかし、作者である紫式部は、この時代のそういう状況に抗議の矢を発したかったのではないだろうか。決然として薫の再接近を拒絶する浮舟の姿に、当時としては精いっぱいの男性批判と自立した女性の姿を提示したかったのではないか・・・という読みは、あまりに現代的な解釈に過ぎるだろうか」。

 

(4)田坂先生は、老人の頓珍漢な質問を即座に否定するのではなく、「そういう読みがあってもよいでしょう」と応じてくれたのでほっとしました。

(5)帰宅して、原文と谷崎潤一郎の現代語訳を読み返しました。

男性のエゴに立ち向かう自立した女性、むろん自立のためには当時としては出家するぐらいしか選択肢はなかった、作者はそういう女性を同情と共感をこめて書いたのではないか・・・・・

 批判されるのは承知の上で、やはりそんな感想を捨てきれずにいます。

5.来年の大河ドラマ紫式部が主人公だそうです。今までは戦いの物語が多く、私は

観たことがありません。今回はどんなドラマになるか、観てみようかなと考えています。宇治川に近い「源氏物語ミュージアム」をひとり散策した頃が懐かしいです。