古い背広よさようなら


2007年も押し迫ってきました。

私も今年、何とか生き延びたようではありますが、いろいろなことがありました。

「死はいつも他人の死」という言葉がありますが(自分の死は決して体験することも語ることもできない)、多くの友人・知人を見送りました。


京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSEN)の仲間、植木さんの奥様もその1人。45歳という若さ。植木さんは、日頃私事を話さず、いつも明るく振る舞っているけど、実は悲しみを抱えて生きている・・・・ある程度は、誰にでも言えることかもしれませんが、内心はさぞ辛かったろうと拝察します。謹んでご冥福を祈ります。


大学の学生課長や事務局長を務め、毎週のように酒を飲み、大学のあり方や新学科の立ち上げについて相談したり語ったりしていた仲間が、12月14日、肺ガンのため65歳で亡くなりました。


同志社の経済から神学部に移り、院を終えて、ドイツ・ハンブルグに留学、同大専任講師で聖書神学論などを講じ、その後、視覚障害者を支援する日本ライトハウス勤務を経て、私と同じ年にいまの大学に勤務。面倒見の良い人柄で、創成期の大学を支えてきました。京都に来て、もっとも頻繁に飲み・話し合った仲間を失い、寂しい気持ちで一杯です。


最後に、友人でもペットでもなく単なる物に過ぎませんが、古い背広にも別れを告げました。昭和58(1983)年2月に作ってもらって、25年着続けました。


1983年というと私はまだ40代半ばの働き盛り、ニューヨークのウォール街で、アメリカの投資銀行や大企業を相手に働いていた頃。日本に型紙を残していた古いつきあいの洋服屋さんに仕立ててもらい、送ってもらいました。


つい最近、大学のトイレで用を足したあとチャックが閉まらなくなり、まだまだしっかりしていて十分着られるのですが、チャックを取り替えるのは結構お金がかかるというので、諦めました。25年というと、おそらく、チャック(ファスナー)も数万回、上げ下げをしたでしょうから、寿命となるのもやむを得ないでしょう。


25年の間には、ほころびを直してもらうなど若干の修理を重ねましたが、まあこれだけ長く着用すれば、費用も十分もとを取ったでしょう。ニューヨーク、ロンドン、シドニー、そして京都・・・とお供をしてくれました。折々の、これを着て働いた場所や、仕事や人々のことが思い出されて愛着もひとしおですが、残念ながら廃棄処分となりました。