3月は、東京、京都、その他で、主として私的なできごとが多く、
賑やかに人に会ったり、美食を楽しむ日々が続いています。

1年に1度の温泉旅行には触れましたが、京都に友人たちが現れた
ときには、「畑かく」のぼたん鍋を賞味しました。

東京では、
私事ながら家族が「古希の会」を開いてくれ、同時に孫の中学入学も
祝いました。ホテルでのちょっとしたお祝いの会もありました。


そんな間を縫って、病院への見舞いもありました。



私的でないイベントとしては、卒業式がありました。

私の所属する現代社会学科の94名が卒業、うちゼミ生と
は集合写真を取り、胴上げをされて、若者のエネルギーに
いささかくたびれました。


1人1人に卒業証書を渡して、難しい挨拶はせず、
「1.社会人になったら、月並みな言葉だが、やはり
“ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)”が大事。
2.“Yes, we can”も力強いメッセージだが、“Yes, but”も大事。
自分の存在や世の中を、まずポジティブに捉えること(イエス)、
しかし、それだけで満足してはいけないこと(バット)。そして、
最後に、やっぱり健康が大事・・」そんな話をしました。


美食の日々が続くなとちょっと反省しているところに、
到着した雑誌に「美食について」という短いエッセイが載っていました。

「90歳過ぎて、なお舞台に立っていた滝沢修に記者が、
お達者に秘訣は何ですか、と訊くと、美食をするなという答えが返ってきた。

折口信夫吉田健一池波正太郎など、美食家として知られる
人たちであるが、長生きしていない・・・

(ただし)折口信夫には食物に関する著述はない。けれども
弟子筋の人々は異口同音に、折口先生は食べ物に贅沢であった、
と証言している・・・・

(それなのに)折口信夫には食べ物についての一言半句の言及もない。
あの大きな全集の中に、それが無いのである。これはむしろ不思議なことだ。
自分の関心のあることに、文章を書く者なら筆が走るのは当然のこと
であるからだ・・・」

と書いて、エッセイの筆者は、彼は明治人らしく、食べ物のことは
己一身の好みであって、世間に向かって言うべきことではない、と
思い定めていたに違いない、と推測しています。

詰まらないことは書くな、私的な楽しみは書くな、
至福のとき・・」なんて安易に語るな、と自らを省みて少々反省したことでした。