昔の職場のはなし

まだまだ食欲の秋ですね。気候もよろしいようで、以下、そんな折りの雑感。


レストランを「格付け」する京大阪のミシュラン版が東京に続いて出たというので、
地元では話題にすることがあるでしょう。朝の「イノダ」の食卓で柳居子さんから話があり、
同氏のブログに掲載されていますのでご紹介します。


わたしは前々回も書いたように、この時期、さんまの塩焼きで十分という感じで、先週末の我が家の昼の
ささやかな食事、一夜干しのさんまと新米のごはん、掲載します。

週末の東京滞在は、高校3年のクラス会出席もその1つ。

59名中、すでに9名が逝去。半分程度が出席。最後に校歌斉唱(「日入づるところの御国の守り!」で始まる、
現在ではまことに不穏等な歌詞の3番まで)で終わりました。


都市銀行のもと頭取やもと副頭取、某大メーカーの副社長などといった、世間的に出世した人もいますが、
昔に戻れば、みな同じ、青臭い高校生でした。


東京銀行のOBは私1人ですが、銀行の話題も出て、昔の職場をなつかしく思いだしたのでちょっと長くなりますが・・・


「むかし“1に東銀、2に三井、3,4が無くて5に三菱”ってよく言ってな」と別の銀行OBから言われて、

これは、預金集めの下手な、つまり商売のうまくない銀行の「格付け」でした。

この点では旧住友銀行なんかは「星3つ」でしょうか。


たしかに預金集めをしなくていいからと先輩にだまされて(?)入った連中が(私も含めて)
多かったのではないでしょうか。


もちろん時代もよかったのでしょう。

別の友人からは「アカデミックな雰囲気があった」と言われましたが、他方で「バタ臭い、キザ、
庶民の味方でない・・・」といった批判もあったようです。この「庶民的でない」というのは、
本業が輸出入商社のお手伝いなので、やむを得ない面もあったのですが。


我々自身は「リベラルな職場」と感じており、


例えば、全員が「さん」付け ――これは別に、言われて、無理してやっている訳ではなく、
ごく自然に、相手が頭取だろうが部長だろうが、若い入行したての行員(もちろん男女とも)
を含めて、全員が相手を「さん」づけ。(時々、さすがにお客さんの前では言わないように、
と注意されることがありましたが・・・)


例えば、ある女子行員がエレベーターに乗って、たまたま常務と一緒になり、同じ階で降りるときに
「どうぞお先に」と言われて最初はびっくりしたが、すぐに慣れた・・・とか(この辺が「キザ」と
言われる所以でしょう)


例えば、今でも、上司が残っていると帰りにくく仕事がないのに残業している、なんていう話を聞きますが、
あまり気にせずに「お先に」と言って遠慮なく失礼する連中が(私も含めて)多かった・・・とか。


輸出入を手掛ける、ごく小さい商社も長年の取引客に多く、彼らとの付き合いはビジネス一辺倒ではなく、
当方が輸出の書類を受け取りに訪問する、たまに、前日 飲み過ぎて二日酔いのことがある。


「少し休んでいけ、銀行には書類作成に手間どっている、とか適当に言っておくよ」と親切に言われて、
数時間、休憩室で休ませてもらったこともありました。



もちろん、それなりに、忙しく、遅くまで働いたとは思うのですが(最初は、土曜も午後2時まで勤務で、
年末は大晦日まで働き、輸出書類の受付で、1年でも一番忙しい日で、「紅白歌合戦
をテレビで見たことがない・・・等々)、


それにしても、まあまあ、面白い職場でした。


就職していったゼミ生が、どんな職場で働いているか、いまははるかに厳しいのだろうな、
お客の方も余裕がなくなってきただろうな、と感じています。