続・名刺両面大作戦

遅くなりましたが、中島さん、補足説明&長い・真面目なコメントまことに
有難うございました。

多少酔っぱらって聞いていたので、いい加減な理解だったようですが、
補足して頂き、助かりました。勉強になりました。


(1) やはり、理系と文系って、思考回路が相当違うのかなと改めて認識したところ
が私には面白い。そう言えば菅さんも理系ですね。
たしかに、「人間の作ったルールとか組織とかは、本質ではない」と考えている
政治家が居てもいいですね。もっとも、こういう発想は、文系でも、私のような
いい加減人間(組織は壊すため、ルールは破るためにある)には共感できるものです。


(2) 国民性もあるかもしれませんね。日本人の価値観は、よく言われるように
「真・善・美」の中でも「美」に重きを置く方なんでしょうね。


(3) エントロピーは「秩序から無秩序へ」「物理法則はニヒリズム」ですか。
文系からすると、宇宙は、人間は、むしろ「無秩序から」無秩序に流れる
ニヒリズムという点では同じ)、その流れに棹さして、
少しでも秩序(意味・価値)を求めて、はかなく・あがくのが「生きる」ということではないか、
と考えるのではないでしょうか。


(4) ここで、「秩序」というとき、例えば、ばりばりの理系人間である、
アルバート・アインスタインの「死ぬということはモーツアルトを聴けなくなることだ」
という有名な言葉を念頭に置いています。


・・・・私は何れ、モーツアルトを聴けなくなる。しかし、彼の音楽(人間が作った
はかない・美しい1つの秩序)はこの世にいつまでも響くであろう。


 私の短い生は、モーツアルトの音楽を聴き続け、それを次世代に語り・つなげていく
ことで、多少でも意味があるのではないか・・・・


何だかブログに書くには難しい話題になってしまいました。
この辺で切り上げましょう。

今朝は、「名刺両面大作戦」の辻立ちの現場に行ってきました。


8時前から45分まで新橋駅前で、さわやか福祉財団理事長の堀田さんが、
マイクを持って通勤の人たちに語りかけています。

「これは政治運動でも宗教活動でもありません」と断ったうえで、


・・・・名刺の裏面に、あなたの行っている「社会に役立つ行動」やあなたが
会員になっている「社会に役立つ団体」を載せましょう。それが「あなたの人生」
を充実させ、「あなたの家族」を幸せにします・・・・


これが、堀田さん&さわやか福祉財団のメッセージです。

・・・・「名刺両面大作戦の参加方法とは?」

1.応援したいNPOの会員になる(NPOはもちろん、それ以外の地域活動への
参加でもOK)

2.ビジネスで使っている自分の名刺の裏に
NPOの名称や活動内容」を刷る

→これであなたも「名刺両面大作戦」の参加者です。

以上がビラに書いてあることです。


新橋駅前で、6月1日から続けています。


のぼりを立て、ビラを配るのは、スタッフとボランティアの人たちが参加しています。


毎朝、約500枚のビラが配布されるということですが、正直言って、
受け取らない人の方がはるかに多いですね。


私も昔そうだったのでしょうが、朝、新橋駅の改札口を出てくる、まあサラリーマンが
殆どでしょうが、疲れているのか、これからの仕事のことで頭が一杯なのか、
元気が外にあふれているという印象を受けない人が多いように感じました。


それと、見知らぬ存在への興味や好奇心をもつという人も少ないですね。
「名刺両面大作戦」ののぼりが立っていて誰かが喋っていても、「あっしには
関わりのないことでござんす」という気持ちでしょうね。
「あれ、面白いことやってる人がいるな」と思って立ち止まる人はまず居ない。


私も、ちょっとだけビラ配りのお手伝いをしましたが、
残念ながら殆ど受け取ってもらえませんでした。


もっとも、朝の駅前は、いろんな人が、宣伝のビラやティッシュやらを配っており、
政治演説をしたりする連中もいるので、警戒心を抱かざるを得ないという事情も十分
理解できますが。

(私も、ビラの類い、殆ど受け取らないので、他人のことは言えませんが)


それでも、堀田さんをはじめ、さわやか福祉財団の皆さん、元気に活動していました。
朝の辻立ちは、新橋からさらに別の場所に広げていくという予定も伺いました。


それにしても、堀田さんは76歳。もとロッキード事件の鬼検事、
いまも弁護士の仕事を続けながら、公益財団さわやか福祉財団の活動に
打ち込んでおられ、「辻立ち」も彼の発意で始まった由。
このエネルギーはどこから来るのでしょう。


まだまだ、関心を持ってくれる人は少ないが、語りかけを続けていけば、必ずや、
この声に耳を傾ける人が増えるだろう、そういう確信のもとに前向きに
動いておられるのだろうと思います。

これは、やはり、無秩序の中に「新しい秩序」を求める、
人間のささやかな営みの1つでしょうね。


「楽観主義とは意思の所産である」という言葉を思い出しました。