追悼樺美智子

いつものことで恐縮ですが、さわやかNさん、mikkoさん、お礼が遅くなりました。

堀田さんの朝の「辻立ち」は新橋から浜松町に移っておられることと思います。

怠惰な私は正直、ただ冷やかしに行っただけなので、しかも1回こっきり。
毎朝のコミットメントには、mikkoさん言われるように本当に頭が下がります。

それにしても、ビラ配りって難しいですね。mikkoさんのも、そのうちお手伝いしたいですが、
新橋駅前でも実を言うと、堀田さんに,ビラ配りのコツをあとで教えて頂きました。

おそらく私のやり方を見ていて心配されたのだと思います。私自身、反省している
ところでもあります。


ビラを渡そうとして、受け取ってくれなければ素直に引き下がる・・・この、
気持ちというか姿勢を保つのが結構難しい。

意味のあるメッセージが書いてあるんだから、読んでよ、という強い気持ちが
つい態度に出てしまう・・・これはいけないなと猛省しました。

そういえば、さわやかの人たち、堀田さんを含めて淡々と差し出していますね。
気持ちを抑えて・・・これが難しい、と思いました。


ところで、本日は6月15日、東京新聞の1面トップはサッカーW杯での日本の勝利です。
社会面は「列島に熱狂爆発」「嬉しくて言葉にならない」という見出し。


こんなことを書くと袋だたきになりそうですが、私は、あまり関心がありません。
放映も見ずに、夜遅くまで、(下らぬ)本を読んでいました。

そこのところを書いておきたいのですが、

1. もともと、闘争心がない方で、スポーツ観戦を含めて、すべての勝ち負け
にあまり興味がない。

2. これも怒られそうだが、日本代表が勝ったからと言って、特別嬉しいと
いう気持ちにならない。

3. もう1つ、勝ったときの態度が大事ではないかという思いが強い。

この3について補足すると、


例えば、このサッカーW杯カメルーン戦の、テレビも新聞報道も殆ど見ていないので
分かりませんが、監督でも選手でも誰でもいいが、試合後、「カメルーンも実に
よく戦った。
ただ、勝利の女神がちょっとばかし我々の方に微笑んでくれたのだと思う」というような趣旨
の発言をした人がいただろうか?と思います。

今年の冬季オリンピックフィギュアスケートで浅田選手が2位になって、その時の
記者会見での態度を評価する新聞報道を読んだことがあります。

悔し涙を浮かべて、「負けて悔しい」という態度を全面に出して、その闘争心・
負けん気がいかにも気持よい・・・というような評ではなかったでしょうか。

実は、私は、金メダルを取った(名前は忘れたが)選手について一言も言わないこと
に若干違和感を覚えた記憶があります。

もちろん彼女はまだ10代。本人の責任ではまったくないが、誰かが、教えて
あげるべきではないでしょうか、「自分の悔しさを他人に見せる前に、
まず勝者を讃えなさい」と。


以下のような古い話をしたら笑う人が多いでしょうが、日露戦争のときの歌に
水師営の会見」というのがあります。

「旅順開城約なりて
敵の将軍ステッセル
乃木将軍との会見の
ところはいずこ水師営
で始まり、


全9番の4番は以下の通りです。
「昨日(きのう)の敵は今日の友
語ることばもうちとけて
われは称えつかの防備
かれは讃えつわが武勇」



旅順攻防戦の、あの残酷な・悲惨な戦いを終えて、「語ることばもうちとけて」
とは何だ、欺瞞だ、所詮うたの文句だ・・・と、こてんぱしんに言われそうですが。


しかし、サッカーのカメルーン戦に話を戻すと、日本の若者の中にも「日本が勝っても
とくに興奮しないなあ」と思って(ひょっとして、悩んで)いる人もいるの
ではないかと思うのです。

そして私が言ってあげられるとすれば、こんなことでしょうか。

「いろんな人が居るんだから、それはそれでいいんだよ。もし君が、勝った
日本以上に、負けたカメルーンの選手や監督の気持ちをちょっとでも想像する気持ち
があれば、それで十分じゃないだろうか」。


ところで今日は6月15日。50年前の今日、樺美智子という22歳の女子大生が
国会の構内で亡くなりました。安保改定に反対するデモの中で。


1年後輩で、あの日、デモに参加した1人として、その後の、安田講堂での追悼集会
と追悼デモに参加した(今と変わらずノンポリだったけれど)1人として、
何か書きたいけれど、興味のある人も少ないだろうし、その資格もないし、
紙数もなくなりましたし、。


「文藝春秋」7月号が「樺美智子の青春と死―座談会・岸総理を退陣させた伝説
の女子学生の素顔」と題して、当時の同級生4人が語っています。

・印象に残ったのは、死因が「圧死か扼殺か」の謎に、はっきり「私もやはり
樺さんは殺されたと思っています」という某東大名誉教授の発言(他の3人もほぼ同調,
うち1人は直後に病院で遺体に対面した印象からの発言)。


・もう1人は、某北大名誉教授の、少し長くなるけど以下の発言。


「忘れてならないのは、樺さんの没後50周年は安保改定50週年と不可分に
結びついていることです。樺さんの死を語ろうとするなら、同時に安保条約に
ついても声を上げなくてはならない。それが50年を迎えるわれわれの責務ではないか。
とりわけ普天間基地の問題については(略)総理の資質がどうとか、そうい
う問題の前に、安保条約に基づいて基地の問題があるという議論から
始めなければならないのに、そういう声がほとんど上がらない」



沖縄の人たちが声をあげても、(私を含めて)誰もが沈黙している。そして、
すべてが前の総理の責任であるかのように、彼が辞めてしまえば、それで1つの
解決になったように感じている・・・・のではないでしょうか?