変化の時代・大学・企業文化と危機意識など

1. 皆さま、まことに有難うございます。
今回は、コメントに触発された思い出話しなど。

まずは我善坊さん、国際文化会館(IHJ)のお雛様は、5年前のブログにも載せましたが、お人形そのものは京都丸平大木商店のものだそうです。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20070228
現皇后のご用達、クリントンもと米大統領も買い求めたという有職雛のお店です。

実は昨日、我が家より少し暖かい場所を求めて、IHJの図書館にPCを持ち込み、日中、多少の仕事(?)をしました。
もっとも、時間つぶしに、備え付けの、芥川賞受賞作の載っている「文芸春秋」3月号を拾い読みしました。
東北大の理科を出て東大のポスドクだという円城塔さんの『道化師の蝶』は私にはちんぷんかんぷん。

小説も変わったものです。
この点では、某都知事の選評「こうした言葉の綾取りみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない」に同感。

2. さわやかNさん、「学び」についての考察は興味深く読みました。
いまの時代、教養を学ぶのは大学ではないのではないか?
文芸春秋に、松浦寿輝という作家・フランス文学者が東大の教授を定年の7年前に辞職した話しを書いています。

・・・ここ10年ほど、大学は加速度的に変化しつつあり、恐らくわたしがずっと抱いてきた、そしてそれなりに慈しんできた「大学」や「大学人」のイメージが通用しない時代がもう始まっているのだと思う。
単なる大学人であることより以上の、あるいはそれ以外の能力と責務が要求されるようになっており、それに応えようとする気は、もうわたしにはなくなった。
呪文のような、「グローバル化」や「産官学連携」やらが本当にそんなに大事なのか・・・


このお気持ち、僭越ながら、よくわかるように思います。
しかし、・・・と言いたいのですが、やはり日本の大学は変わらざるを得ない。
前回のブログで触れたように地域や社会への貢献や学生の社会との関わりを追い求める時代になっており、そのこと自体、決して否定すべきではない、と私は思います。

だからこそ、さわやかNさんの問題意識に絡みますが、
教養を学ぶのはむしろ前回触れた「朝日カルチャーセンター」や「世田谷市民大学」に
委ねるべきではないか。

逆に若い人に言いたいのは、大学時代は問題意識をもって社会との関わりを学び、社会人として懸命に働き、
そのあと、時間が出来たときに本当の教養を学んでほしい、それを次世代に伝えていってほしい。

そんな風に思います。

3. 柳居子さんのコメントも面白かったです。

「なぜ旧東京銀行が(良くも悪くも)普通の銀行と違う企業文化だったのか?」について。関係ない人は何だ、と思う昔話で恐縮です。
以下は、だから大学同様に変わらざるを得なかったのだということでもあるのでしょうが・・


(1) 自他ともに許す「リベラル」な企業風土(旧横浜正金銀行からの伝統継承)

(2) 「国際性、中立性(どこの企業グループにも属してない)、専門性」という組織としての立ち位置・コンセプトが明確にあった(例えば海外と日本を行ったり来たりして住み・働くのが当たり前という環境)

(3) 行員も少なく、似たような人間が多く、入ってきた動機も、

・ とにかく海外に暮らして仕事をしたい
・ 窒息しそうな日本を逃げ出したい
・ 格好良く言えば、国際人になりたい
・ 英語で小説を読んだりするのが大好き(私がまさにそう)
ロールモデルが居る(私であれば前にブログで触れた、カミュ『異邦人』の訳者)。
・ 親類縁者が多い(祖父や父や縁者が正金に勤務したとか、という人が実に多い)。

等々で、銀行にはまことに申し訳ないが、預金をたくさん集めて・頑張ろうなんて思って入った人は殆ど居なかったのではないか。

例えば、大学でフランスの詩人・思想家ポール・ヴァレリーを卒論に選んだという某君は入行して調査部に入り、暫くは毎朝、洒落たベレー帽をかぶって現れたし、高校時代にアメリカン・フィールド・サービスの留学生として1年アメリカの田舎の高校に滞在、そこで親しくなった女子学生にもういちど会いたいという理由で入ってきた友人(どこまで本音かわからないが、全くのうそではない)もいました。


(4) もちろん、時代も「良い時代」だったし、旧大蔵省の護送船団のおかげも大きかった。しかし、
忙しいときはめちゃくちゃに忙しく、土曜も勤務したし、大晦日も仕事で、おまけに夜遅くまで残業で、紅白歌合戦など見たことがない、という時代でした。

それでも余裕があり、写真のようお正月には、支店では和服を来た女性の行員と、恥ずかしながら支店長がおとそで御祝いする、というような、ゆっくりした雰囲気でした。
和服姿はお客さんにとても喜ばれました。


(5) それと、私がいちばん大事だったと思うのは「危機意識とその裏腹にあるプライド」です。


貿易自由化・規制緩和の流れの中で、都市銀行だって東銀並みの国際業務が出来るようにすべきだ、為専もはや不要という主張の高まり・圧力に接していたことも、銀行の、自由闊達な雰囲気に、いい意味で影響していたように思います。


つまり、外国為替専門銀行(為専・タメセン)として存続していけるかという「危機意識」が行内に強くあった。
格好良く言えば、自分の出世よりも組織をどうすべきかを誰もが考えていた・・・

しかも、大した仕事もしていないくせに僭越ではありますが、私でさえ、国際金融業務というのは大銀行だからといって簡単に出来るものではない、という誇りを持っていました。


(6) 自分の所属する組織にたいする「いい意味の緊張感と危機意識」と「誇り」―社会の役に立っている、他が出来ないことをやっている、という――が企業人にとっていちばん大事なモチベーションだろうと思います。

もちろん、「危機意識」だけでは組織としては存続できないので、その危機をどうやって乗り越えるかが大問題で、
果たして旧東銀の場合はどうか?合併で文化はなくなったのではないか?はまた別の問題ではあります。

(7) しかし、何れにせよ、時代は変わり、
大学の風土も企業の風土も変わらざるを得ない。
そのとき、ただ昔を懐かしんでも仕方はないが、大事なのは、
何か残すべきもの・残すことの出来るものは無いのか?
あるとすればそれは何か?どうやって残すか?
ではないかと思います。