1. その後も、小さな庭に神代植物公園産の冬薔薇(ふゆそうび)が満開です。寒さに耐えて健気です。
こちらは寒さに耐えて、先々週末、京都に2泊しました。
私事で恐縮ですが、いとこ達が集合して「新春かるた会」をやりました。単なるお遊びですが、結構楽しみました。
いとこだけだと目も手も記憶も衰える一方なので、次世代参加も呼びかけ今回は娘夫婦の2人だけでしたが、夫の方が前回に続いてチャンピオンでした。
私のおはこ(十八番)は選者・藤原定家卿の
「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩も身もこがれつつ」
ですが、今回も4回やって全て取れたので、その点だけは大満足でした。
前回は従妹の家でやったのですが、今回は和順会館の座敷を使い、夕食会も同じ場所でした。
浄土宗の総本山・知恩院の経営する施設ですが、誰でも使えて、立派な割には高くなく、お勧めです。
知恩院の三門はいつ見ても堂々たるものです。
2. こんな集まりが続いているのは、京都出身の子孫たちで、母の兄弟が8人もいるのでいとこが多い、それに皆、酒が好き、遊びが好きということがあるからでしょう。
もちろん真面目に働くことを疎かにしている訳ではありませんが。
そして言うまでもなく「百人一首」は日本伝統の定型の詩歌。
「宮中歌会初め」なんていう畏れ多い儀式には縁もゆかりもありません。しかし庶民もこういう文化と風習を守っていければよいなと思うのですが、孫の世代となるとなかなか難しい。昨年大学生になった孫はスマホのゲームに夢中のようですし。
「日本の定型の詩歌」といえば身内が、東京新聞の「平和の俳句」という企画に投稿して採用され、昨年12月の1面に掲載されました。
「国境をまたいで猫はあくびする」という季語もない、人によっては川柳ではないかと言う人もいるでしょうが、選者は「いとうせいこう」という人で
「猫に国の境などない。まして国家など。・・・彼らに学ぶ平和とは」という選評が載っていました。
定家卿の雅な和歌とはまったく異なる世界ですが、「短い定型」に何かを込めるという日本人の意思を感じました。
3. かるた会を含めてもっぱら人に会い、お喋りをし、酒食を楽しんだ滞在でした。
時間がゆっくり過ぎていく気持になるところだな、京都で過ごすといつもそう思います。
朝はもちろん「イノダ」で珈琲を頂き、入り口近くの丸テーブルで毎朝、出入りするお客を監視(?)して毎日続けているブログのネタを探している「イノダの主」にもご挨拶をしました。
http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/
何せ、広辞苑をボロボロになるまで使いこなしている博識な人物です。
夕食は、これまた常連が集う、気楽な・江戸時代から続く割烹で楽しい時間を過ごしました。
こういう方々はもちろん皆さん本業は忙しいのでしょうが、しかし何となく生き方に余裕を感じます。
4. 子育てに専念している専業主婦の人たちからも、同じような「余裕」を感じたのは、ミンナソラノシタというNPOを訪問したときです。
http://minasora.org/
(1)このNPOについては前にブログで触れたことがありますが、
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20140213/1392270839
3.11の東北大震災の直後に京都の若い・子育て中の女性たちが作った組織です。
――福島から京都への避難者との交流・相談の場を設ける、と同時に、
まだ元の生活に戻れていない福島県で暮らす子どもたちを応援するための活動として、
福島の幼稚園を支援し“室内の砂遊び場”設置や、手洗いのための“ハンドソープ”を送る、定期的に幼稚園の母子を京都に短期間招いて、福島ではまだ可能ではない、自然の中で思いっきり自由な時間を過ごしてもらう
――――そんな活動を続けています。
私自身は何もしておらずただ気持で応援しているだけですが、
顧問をしている、京都検定1級の藤野さんに今回の京都行きを知らせたところ、ちょうど新年会があるから顔だけ出さないかというお誘いがあり、京都市の西の向日市まで出向きました。
この日は10人強が集まり、うち福島からの自主避難者が4人。
支援する京都在住の母親にはお子さんが4人あるいは3人という人も居ました。
今年の行動計画も話し合ったようで、皆明るく元気に活動しています。
(2)感心したのは、主婦がこういう活動を続けるには夫の協力が不可欠だと思いますが、この点がとてもうまく行っている印象を持ちました。
夫は、活動の意義を充分理解して、率先して留守の間の育児や家事をやってくれるという話しで、これは素晴らしいことですね。
若い夫婦でも、旦那がこんなに理解のある家庭はそれほど多くはないのではないか。人によっては妻が自分を置いて外出することに賛成でない、「古い日本男性」がいるのではないか。
さすが京都の男性は素敵だと、当日も大いに褒めあげました。
(3)付け加えれば、働く環境が東京あたりより恵まれていることも影響しているかなと感じました。
全てがそうではないでしょうが、働くうえでもちょっと東京とは違って(電通とはまるで違って)「余裕」がある。だから夫の方も、妻のこういう活動を受け入れる物理的・精神的な「余裕」が出てくる・・・のではないか。
それがまた妻にも伝わり、ミナソラの支援活動を生き生きと明るくやっている。
それまた好循環になって、福島からの避難者の心に火を灯す・・・
何となく、そんな印象を受けて気持ちよく、会を後にしました。全員集合の写真も撮ってもらいました。
そう言えば会場というのも普通の家庭の主婦が自宅の一部を開放して、こういう集会に開放しているようで、こういうことも「余裕」があって出来ることでしょうね。
向日市は大昔、桓武天皇の御代に奈良から京都に遷都する、その間に短期間ながら都があったところで、今はその跡が公園になっています。のんびりした郊外の趣きでした。