ksen2005-12-02

katouさんいいコメントを有り難う。エールの交換みたいになってしまいますが、クリスマス・カードをみてお子さんが「かみさま」とつぶやいたという場面もいい文章ですね。
それにしても、もう12月。すでにご案内のように、KSENでは14日(水)㈱ハッピーの橋本社長を迎えて講演と交流会を催します。雑誌「日経ビジネス」やテレビ「ガイアの夜明け」等で紹介された、いま「時の人」、おまけに宇治市槇島町に本社をおく地元の元気人の代表格です。このブログを読んで下さる方のご参加を切にお願い致します。
ところで、読んだばかりの千住氏(NY在住の日本画家)の教育に関するコメントを再度引用しますと、「弱者の立場を想像することを学び、人に対するやさしさを知ることが本当のエリート教育ではないでしょうか」とあります。
氏は本書のこの部分で「エリート」という言葉を唐突に使っていますが、氏にとって自然にこの言葉が出てきたことに注目したいと思います。別に「エリート」でなくても、弱者へのやさしさを学ぶことは万人にとっての教育の目的であるでしょうが、とりわけ「エリート」と指摘したところにアメリカ社会の特性を見ているのだと思います。
この点は私も、拙著『なぜアメリカの大学は一流なのか』の中で、アメリカの教育制度のすごさにはさまざまな要因があるが、その1つにエリート教育が存在することにふれています。と同時に、日本でそれが可能かという点については、やや悲観的な所見も述べました。「義務よりも権利を主張することの多い社会にはそもそもエリートなど存在しないのだと思います」と書きましたが、いまもその考えは変わっていません。
おそらく、アリス・テッパー・マーリンは言葉の正しい意味で「エリート」と言ってよいでしょう。そして英米における「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」という存在の多くが、これらのエリート(あるいは正しい意味での「エリート意識」)から生まれてくる、だからこそ持続性を持ちうる、というのが私の仮説です。
とすれば、日本のようにエリートの存在しない、あるいはエリート意識など誰も持ち合わせていない・さらに言えば「エリート」という言葉が敬遠される大衆社会(その意味でアメリカは大衆社会でありながら階級社会の側面を強くもっています)において、ソーシャル・アントレプレナーが生まれ・活躍するためには、どのような文化や資質や教育が必要なのでしょうか?