京都はいま紅葉が盛りで、人出も多いことでしょう。
私は残念ながら土曜も研究室に出て日・月は結婚式出席等があって東京です。
ということで紅葉を楽しむ余裕なく、写真は数年前の嵐山は天竜寺の塔頭宝巌院を
訪れたときです。
今月は週末3回東京・京都を往復する用事があって
もっぱらJRに貢献していますが、いつも混雑しています。
他方で、昔の職場の先輩がご夫婦で2泊されて夕食をともにしました。
ここ10年ほど、春と秋に京都に来られるご夫婦と楽しく食事をしています。
先輩はどちらかと言えば保守、私はたぶんややリベラル、ということで
食事のあともホテルのバーに戻って遅くまで、対立した議論に花が咲きます。
自分のこと、知人のうわさ、特に悪口・・といった話題がほとんどなく、
自らには全く関係のない
世間一般の出来事や歴史認識をめぐる意見交換が中心なので、
これだけ長く続いているのだと思います。
ご夫婦は、2回の夕食は必ず、祇園の「にしむら」と「橙」のカウンター。
私が京都に来る前から、20年近くも同じ場所で夕食・・・というのは
いかにも保守主義者らしいなと思い、11月17日は「にしむら」でした。
祇園といっても舞妓さんだの待合の宴席だの「都おどり」だのには一切興味も関心もない
のも何となく、お互い気が合うのかもしれません。
10年の間に変わった(とくに今回そう感じた)のは、かっての激しい意見の違いが
やや少なくなってきたことでしょうか。
今回も「田母神論文問題」やオバマ当選など話しあったのですが、
どうも立場が一致することが多く、ちょっと寂しいところがありました。
お互いに年を取ったということの他に、世の変化もあるのではないか。
議論がかみ合わないと私はいつも先輩に対して「右翼」とからかい、
本人もさほど否定しなかったのに、今や所属している研究会などでは、
「左」と思われている、と本人が苦笑いしていました。
田母神「論文」についても
・そもそも「論文」に値する代物ではない(これは実物を読んだ我善坊さんのコメント)
・公務員は政府の見解に従うのは当然で、異論があるなら職を辞めてから発言すべき
(このことは「言論の自由」とは何の関係もない)
・私見では、日米戦争はともかく、韓国、中国との戦いは「侵略戦争」と思う
といったような論点で一致しました。
ちなみにこの問題については、ときどき覗いているブログは的確なコメントを寄せています。
もう1つ、2人が一致したのは、いまの日本や将来にやや悲観的であること。
以前は私ももう少し楽観的だったのですが・・・・
ちょっと興味があったのは先輩のコメントで、こういう日本になったのは
我々世代に責任があるという一言。
つまり、我々の中で、戦後日本の経済成長・発展のために必死で働き、それなりの成果をあげ、
そのことに満足している人は多いと思う。
しかし、その裏に、家庭を顧みず、教育や次世代に価値観を伝えることに失敗した。
いま活躍している
世代およびその子どもたちの問題は、結局、我々のバランスを欠いたライフスタイルと
価値観にあるのではないか・・というものです。