豪州の友人夫妻も首相も、ヘーゲル米国国防長官も訪日訪中

1 海太郎さん、スティーブン・キング『11/22/63』に興味を持って頂き、有難うございます。
この小説なかなか面白いと思います。ただ、当時の人気TV番組だの歌だの俳優だの固有名詞がたくさん出てきます。
例えば日本の小説で「“あまちゃん”の主演女優のような表情で〜」という文章が出てきても殆どのアメリカ人には(私にも)分かりません。そこを無視して読んでも話を追うのに支障はないし、興味があればグーグルで検索すると出てきます。

2. 東京の桜もソメイヨシノは落花の風情、掃除がたいへんです。

いっときは「見わたせば〜〜都ぞ春の錦なりける」(素性法師)の景色でしたが、「花の命は短くて〜」(林芙美子)です。
それでもまだまだ日本全国であちこち咲き続け、人出も多いことでしょう。
海外からも来客しきり。シドニーからとロンドンからそれぞれ旧友が何年ぶりかで夫婦でやってきました。
要人では、アメリカのヘーゲル国防長官や豪州のアボット首相が来日。

へ―ゲル国防長官は日本から中国へ行き(初めての訪問)、「西太平洋海軍シンポジウムWPNS)」というのに出席。
日本の新聞にはあまり出ていないようですが、ニューヨーク・タイムズ(NYT)やワシントン・ポスト(WP)電子版はかなり大きく取り上げています。(5日&6日付)
(1) WPNSは西太平洋地域諸国の海軍の責任者が1988年から隔年、主催国に集まりシンポジウムを開くもので、日本も96年、2002年などに主催している由(いままでもあまり大きく日本のメディアは伝えていないような気がする)。
(2) 今年は中国の青島で開催。中国の主催は初めて。シンポジウムの一環として、各国の艦船がパレードをする「国際観艦式」が通例だが、今年、中国は日本をパレードに参加させないことに決めた。
これに抗議して、アメリカも自国の艦船を送らない方向を固めた。
などの内容ですが、米国メディアの記事から伺えるのは、日中のぎくしゃくした関係がいっそうエスカレートしており、これに米国がかなり懸念していると言う構図です。

他方で、5日付のNYTは、「クリミヤ問題への米国の対応に日本は懸念を示す」という見出しで。
「ロシアのクリミヤ編入アメリカは強く抗議しているが、武力介入はしないという意思表明もしている。これに、日本が、将来中国と尖閣諸島をめぐって衝突があった場合に、米国が日米安保条約上の義務を果たさないのではないかと懸念している。オバマ大統領訪日時の重要な話題になるだろう」と書いています。


昨今の日中のあつれきは、このようにアメリカも巻き込んで、いっそうエスカレートしていることが懸念されます。
「(こういう状況に至っているのは)中国にも大いに問題ある。しかし日本側の対応も問題(むしろ日本に第一義的な責任があるのではないか)」と日本以外のメディアの多くが見ていることは要注意だろうと思います。


3 何れにしても、台頭する中国の存在を誰もが無視できない。
前述したように桜の季節に日本にやってきたシドニーの夫婦は昔、私の秘書だった女性とそのご主人で、70歳と77歳。
今回は、豪州人30人のツアーのメンバーとして、中国に10日、日本に7日の大旅行です。飛行機は往復「エアー・チャイナ」で、彼らにとって初めての中国旅行。
北京や上海を訪れ、揚子江の船旅を楽しんだと。北京の市内から空港へ最新のリニア・モーターカーで7分で到着。サービスはどこも良かった、しかし、スモッグには悩まされた・・・と。
ちょうど1年前に私はシドニーセンチメンタル・ジャーニーをしましたが、その時、このご夫婦に会って、シドニーに住み着く富裕な中国人がおびただしく増えている、隣家もそういう家族が住むようになった、と聞かされました。

中国とは今まで全く無関係な人生だったこの老夫婦も、ツアーで旅行するような、そんな時代になったんだ、というのが印象的でした。

4.他方で 2人の日本との関わりはまことに深く、特に奥さんの方はイラン・アメリカ・豪州のそれぞれ日本の銀行の現地法人に長く勤務し、従って今回も日本ではツアーと離れて、もっぱら旧友に会うことに終始しました。
2人は国籍はいまは豪州ですが、人種はペルシャ人。
テヘランに住んでいた名門のインテリで、夫は言語学者、妻は医学を学ぶ才媛。
1978年のイラン革命でパーレビ国王体制が崩壊し、イスラム原理主義の国になる。
ぺルシャ人の居場所はなくなり、妻が勤めていたイラン日本合同銀行(日本側の銀行は昔の私も居た銀行)も国有化されて、2人は国を逃れた。
奥さんの方は、この日本の銀行の世話で、アメリカ・豪州の現地法人に長く勤務。私がシドニー勤務のときの秘書で、まことに有能な女性でした。
銀行に知己が多く、とくにイラン革命の動乱期に、時に命の危険の中でともに働いた日本人の仲間とはいまも、同志のような絆で結ばれています。

ということで、4月6日(日)桜咲く、東京の「外国人特派員協会」の1室に、かってテヘラン・シカゴ・シドニーで働いた日本人の友人とその奥さんが集まって歓迎会を開き、久闊を叙しました。

私もかって働いた・この銀行はやはりユニークな会社だったなあ、と歓迎会の席上改めて思ったのは以下のようなことです。
(1) 語弊があるかもしれないが、彼女は「現地スタッフ」です。多くの日本企業で日本から海外に派遣された本社採用の社員と現地スタッフとは大きな壁があるのではないか。ところが、彼女だけでなく、この両者が(もちろん全員ではないが)仲良く付き合う文化がこの銀行にはあった。
(2) しかも、歓迎会には、現地で働いたかっての仲間だけでなく当時東京の本社で海外担当だった上司も参加し、うち1人はその後、頭取にまでなった。そんな人が90歳のいま、老躯をおして出席した。もともと、あまり上下の関係がうるさくない文化だった。
(3) 歓迎会には当時の派遣社員だけでなくその奥方連中も多数参加した。ということは、海外では時に現地スタッフを含めた家族ぐるみの付き合いが珍しくなかった。
(4) おまけに、この夫婦は日本語は殆ど出来ない。従って出席した2人を除く20人以上が日本人だが、会話は英語が主体であり、とくに男性は、それぞれ短いスピーチで思い出を語ったり、歓迎の言葉を述べたが、これもすべて英語でなされた。

・・・・というようなことで、
いま、この銀行は単独では存在せず、合併で「文化」もだいぶ変わっているかもしれません。
それにしても、かって、こういう不思議な「文化」を持ち、OBがいまもそれを受けついでいる日本企業がある・・・というのが、私には何とも懐かしいです。
日本と中国も何とか、草の根で、庶民同士で、個人と個人が立場や国籍を乗り越えて仲良く交流することは出来ないのかなあと思います。