シドニー赴任する後輩と『さようなら、オレンジ』(岩城けい)


1. 6月28日の土曜日、京都で一緒に活動した若者との集まりに出るため、青山の居酒屋に向けて渋谷の道玄坂を歩いていたら、デモ行進がありました。
「移民関連法案絶対阻止、緊急国民運動」というメッセージと「頑張れ日本!全国行動委員会」という名前が先頭を行く車に張ってあり、行進が続きます。比較的年配の男性が多いような印象を受けました。
車の拡声器からは「移民は治安の悪化を招き、日本人の雇用を圧迫する。反日国家中国・韓国を利するだけ。世界中どこでも移民政策は失敗し、制限している」という声が流れます。
しばらく平行して宮益坂を青山方面に歩きながら、いろいろなことを考えました。

たまたま、オーストラリア(豪州)のシドニーに赴任する昔の職場の後輩と食事をしたばかり、また、『さようなら、オレンジ』という太宰治賞・大江健三郎賞を受賞した、同国を舞台にした小説を読み、読書会で話あったばかりということもあります

2. 私事ながらもう20年も前、シドニーで3年半働きました。有意義な日々でした。本業の他に、シドニー日本人学校や日本人会の運営にボランティアで関わったり、余暇で知りあったり社外役員だったりの豪州人や現地採用の人たちとの交流が、いちばん思い出に残っています。
その何人目かの後任として今回赴任するという某さんから「赴任前に先輩に挨拶したい」というまことに光栄な連絡があり、食事をともにして、昔話や今も頑張っている現地の日本人の情報などを伝えました。
その際、たまたま作成したばかりの「移民国家オーストラリア」というA4で2枚の簡単なメモを渡しました。
ちょっと真面目な話になりますが、メモの一部を以下に触れたいと思います。
(1) 大昔からアボリジニ(先住民)の住んでいた豪州は英国の植民地になり、流刑地としても使われたが、1901年独立。いまも英連邦の一員であり、元首は英国エリザベス女王である。
(2) 長く「白豪主義」を維持し、有色人種への差別を制度化していた。また第2次大戦中の敵国であり、捕虜虐待や何度も日本軍の空襲をうけ死者も出ているこもあって、反日感情も強かった。

(3) しかし1970年代初めに移民政策を転換、アングロサクソンの国から変貌している。
政策は「熟練者移住と家族移住」を優先する他、人道上の難民受け入れにも前向きである。現在の人口23百万強だが、年間30万の増加の半分が「移民」であり、最近は中国・インド・中東からが増えている。難民も年間2万弱受け入れている(因みに日本は数百人)。
この結果、実に、人口のおよそ4人に1人が外国生まれと推定されている

というような国です。
(4) もう1つ大事なのは、移民の受け入れと平行して1970年代後半には「多文化主義(マルティ・カルチャリズム)」の基本原理を打ち立てたことで、以下の4点です。
・潜在能力を引き出すための均等な機会がすべての国民に与えられるべきこと
・誰もが偏見に遭うことなく、自らの文化を維持できなければならないこと
・移民に対する特別なサービスやプログラムが考慮されるべきこと
・こうしたサービスやプログラムは、移民達との協議の上で作られること。


3. もちろん、豪州で移民が増えることに問題が無い訳ではありません。物価(とくに不動産)の上昇、雇用への影響、治安の悪化、何よりも人種や文化の衝突・・・等々。
移民受け入れに反対する人たちももちろん居ます。
政府も徐々に受け入れを厳しくしつつあります。
因みに、EU諸国でも移民受け入れに批判的な意見や活動が活発になっていることは、デモ行進のスピーカーの指摘する通りでしょう。
いま移民受け入れにもっとも寛容なのはEU内でスェーデンと英国と言われますが、ここでも厳しい意見が増えています。
しかし、他方で、日本が先進国ではもっとも「移民」に閉鎖的であり、難民の受け入れも最低だと指摘されていることも事実です。
難しい問題ではあり、「自分達は同一民族」と思っている日本人だけで小さな島国で暮らすのはまことに気持ちいいことかもしれません。
しかし、それでは、例えば「在日韓国人」という問題、彼らに対する「日本人」の意識や対応は一向に良くならないのではないか、という気もします。
豪州のように、日本に「多文化主義」の基本原理を打ち立てるということはやや絶望的な気持ちもします。

どんな物事にも光と影があります。よく言われるように「2ついいことはない」のです。
多文化主義には問題や課題が山ほどあります。
しかし同時に、違う文化・違う人種の人たちと触れあい、オープンでダイナミックな「タテ」ではない人間関係を築き、それを通して自己を発見し、自分も成長する・・・そういう素晴らしさもあると思います。『さようなら、オレンジ』(岩城けい筑摩書房)はそういう成長物語としても興味深く読めるように思います。
たまたま海外に長く暮らしました。もちろん私の場合、短期の労働ビザですから狭義の「移民」ではありません。
しかし受け入れてくれたアメリカ、英国、豪州には(もちろん不愉快なこともあったけど)今も感謝しています。


英国に住む娘一家の場合は「永住ビザ」ですから「移民」のカテゴリーです。またシドニーを初め、同じように暮らしている友人・知人がたくさん居ます。
みんな、苦労しながらも明るく、元気に、そして受け入れ国に感謝しながら暮らしているだろうと思います。
日本で暮らす「移民」の皆さんも、そうであって欲しいな、と願います。


4. 新天地に赴任する某さんは、父上が商社マンで子供の時、豪州に住んでいたことがあるそうで、とても懐かしがっていました。充実した日々を過ごしてほしいと願います。
彼は知らなかったので『さようなら、オレンジ』の話もしました。
在豪20年の女性が初めて書いた小説で、2人の主人公がいます。1人は「自分の夢を諦め研究者の夫について渡豪したサユリ。もう1人は内戦の続くアフリカから難民として受け入れられたサリマ。母語の読み書きすらできない彼女は夫に逃げられ、2人の息子を育てながら精肉工場で働く一方で、職業専門学校で英語を習い始める」。
学校や職場での出会いを通して、サユリはサリマの活動力・生命力に深く感じ、サリマはサユリの知性に刺激されて、勇気を出して、息子の小学校でまことに拙い英語で母国での死や飢餓に向き合った日々を語る・・・・ここは感動的な場面です。


これが、「多文化社会」の魅力だろうと思います。
考えてみると、私は、いままで一度も、日本に住む在日韓国人と友人になる機会がありません。彼等から何かを聞いたり、学んだりしたことがありません。
皆さんはどうでしょうか?


サユリも、おそらくは著者も、オーストラリアの多文化社会に暮らして、生まれて初めてアフリカの難民と「横につながる出会い」を持ったのではないか。
それは彼女にとってどんなに心に残る出来事だったろうか、どんなに自分を揺さぶり、変える経験だったでしょうか・