アメリカ大使館員の踊る「恋ダンス」など


1.今年も元旦の朝から家人が庭のかりんの枝にオレンジを置いておくと、小鳥が飛んで来てきれいに平らげていきます。平和な光景です。
もっとも家人は憤慨していますが、大きなヒヨドリが我が物顔にたくさん食べて、小さな目白は少し上の枝にとまって親分が食べ終わるのを待ってから残りにありつきます。生きていくのは人間社会も自然界も厳しいものです。


2. 十字峡さん「真珠湾が和解の象徴?」について的確なコメント有難うございました。
中高時代の友人からも同じく「違和感を覚えた」というメールがあり、続く感想の一部を引用します。


(1) ワシントンポストが報じた三点については彼らの言いたいことがよく想像できます。
(2) (日中戦争まではともかく)太平洋戦争は米国の経済、軍事閉鎖による日本の自衛的戦争であったとマッカーサーですら最後には証言しているそうです。しかし、戦争を手段として問題を解決したことは誤りであったと考えるべきです。
(3) 今後 どんなことがあっても日本国民は戦争以外で問題を解決することを真剣に考えるべきです。最近の動きを見ていると、正義のためや国家のためには戦争もやむなしのような甘い風潮があるようにかんじられ、心配しています。
(4) (原爆投下の)当時はだれが見ても日本は完敗の状態です。藁をも掴むつもりで、 ソ連ポツダム宣言には参加していない国だからということで、仲介を求める愚かな日本を米国は十分知っていたのです。
(5)以上を考えると、当時の日本政府や陸海軍が、戦争以外で問題解決するにはどうすべきだったかを、今真剣に考えるべきだと思います。

これも感服して読みました。
以上、前回のフォローが長くなりました。


3. 元旦は夕方から東京にいる子供や孫が集まり、賑やかでした。
若い世代の話を聞くのは結構面白いです。
とくに当方老夫婦はテレビも(もちろん紅白も)観ず、スマホもやらないので、知らない情報がたくさんあります。

「最近のスマホでの話題は?」という当方の質問に
(1)「恋ダンス」と(2)「ピコ太郎」と答えてくれました。
知らないのは我々老人だけかもしれませんが、

(1) 「恋ダンス」というのは、テレビの人気ドラマの主題歌だかその踊りかだそうで、
しかもこれをクリスマスの余興にアメリカ大使館で職員が踊り、それをユーチューブに載せて、大人気になったそうです。
サイトは以下ですが、ケネディ大使も自ら登場して、お陰で大使の評判は上々とのこと、平和なものですね。
https://www.youtube.com/watch?v=7xuXlpvWw1I

(2)「ピコ太郎」とか言う芸人の動画は以下の通り。
https://www.youtube.com/watch?v=HFlgNoUsr4k

どこが面白いのか、老人にはさっぱり分かりませんが、ジャスティン・ビーバーとかいうアメリカの人気歌手も歌っているとか・・・・

(3)ただし、孫の補足コメントによると、「こういう話題は「旬」の物だから、あっと言う間に別の話題に変わってしまう」そうで、今ごろ取り上げるのはもう「古い」と言われるかもしれません。ユーチューブの画面も消えてしまうかも・・・。いまは忙しい時代です。


4. 最後に、相変わらず昨年末からの新聞雑誌を読んでいて、「オバマの8年」という回顧記事に「「黒人初」の期待、失望に」という見出しがあり、面白く感じましたので一言。
というのも、日本だけではなくアメリかのメディアも「初の黒人大統領」と書くことが多いのですが、彼は、母親は白人で正確には「混血」です。
このことは2008年4月21日号のタイム誌記事をもとに以前にもブログに書いたことがあります。
ただ昨年末、アメリカについて私よりよほど詳しい友人が「いままで純粋黒人だと思っていた」と言っていました。知らない方もおられるかなと、残すところ10日になった大統領の母親について、ここで再度取りあげます。


(1) 母親の旧姓アン・ダナムは1942年カンサス生まれの白人女性、ヒラリー・クリントンの5歳年上。
ハワイ大学在学中、18歳でケニアからの留学生と結婚、61年のちの大統領バラックが生まれる。(「多民族社会のハワイといえどもこの時期、白人と黒人との結婚は稀有であった」とはタイム誌)。
(2) しかし、ハーバードの博士課程に進学した夫と2年で離婚、シングル・マザーとして働きながら卒業し、インドネシアからの留学生と再婚。夫について、バラックをつれて同国に移住。

夫が出世して西欧風になっていくのと反比例して彼女はインドネシアに惹かれ、価値観の異なった夫とまたも離婚。
この間、教育上の理由からバラックをハワイの祖父母のもとに送る(彼は白人の祖父母のもと、小中高一貫の名門私立校に通う)。
(3) 彼女もハワイに戻り、修士を取得。再びインドネシアに戻り、この地をフィールド・ワークの対象に選び文化人類学の研究を継続。マイクロクレジット事業にも携わる。(「オバマの母親は、アジアの貧しい女性を助けることに深い関心を持っていた」)
この間、研究を続け、1992年、50歳で、インドネシアの農民をテーマにした博士論文を完成。しかし、95年52歳で子宮がんのため死去・・・・。遺言により、灰はハワイの海に撒かれた。

(5) タイム誌は、彼女は「夢見る人」であり「ロマンティックな行動家だった」と評します。
「自分のいちばん良い資質は、母から受け継いだ」とはオバマ自身の言葉だそうです。

様々な人種が入り混じるアメリカでは「人種」の定義は、基本的には「自己申告」です。
私たち日本人が「私の人種は〜」と自分で定義することはあまりないでしょう。


他方で、自らのアイデンティテイを自らが規定する国で、オバマ大統領は、母親が自分に与えた大きな影響を認め、感謝しながらも母親の血と一体化することなく、自らは「黒人であること」を選んで生きていた・・・・
という生き方に興味を持ってこの8年を眺めてきました。

広島慰霊碑の前でのスピーチのあと被爆者の森重昭さんと抱擁したことについて
「それはアメリカ大統領と被爆者との抱擁でもあったけれど、虐げられてきた歴史を持つ者どうしの抱擁でもあった。・・・非白人であるオバマと森氏の抱擁は、日米という国家関係に回収されない地平を指し示してもいるのだ。」
という言説(雑誌「現代思想」に載ったニュージーランドの大学で教える日本女性の)を思い出しました。