『ザ・ナイン、アメリカ連邦最高裁の素顔』と『憲法で読むアメリカ現代史』

1. 高原は朝夕は涼しくなり、早くも秋の気配です。稲も実りつつあり、コスモスもそばの花も盛りで、野には赤とんぼが舞っています。



2. 前回は、アメリ最高裁が、これから保守化していくのではないかという話をしました。
8月に読んだ、
(1)『ザ・ナイン、アメリカ連邦最高裁の素顔』(ジェフリー・トービン、訳書は2013年、河出書房新社
(2)『憲法で読むアメリカ現代史』(阿川尚之NTT出版、2017年)
の2冊の本が拠り所になっています。


両者はともにレーガン大統領時代からのアメリカ司法の流れを取り上げていますが、(2)の方がトランプを含む最新時点まで取り上げています。
興味深いのは(2)の表題で、憲法、より具体的には最高裁憲法解釈を語ることが「現代史」になるというアメリカ社会の在りようです。
日本でこんなことがあり得るでしょうか?

人種問題も妊娠中絶も死刑制度の是非も銃規制も同性愛者の権利も、最高裁で取り上げられ、その判断が歴史を作っていきます。
大統領の権限でさえ、たびたび最高裁が判断します。いちばん論議を呼んだのは、2000年のブッシュ対ゴア事件で、最後まで大統領選挙の集計の見直しを主張するフロリダ州最高裁が5対4の僅差で違憲とし、その結果ブッシュ大統領が誕生しました。
(もっともこの判決には「ゴアの支持者だけではなく、保守派の憲法学者からも批判が表明された」と、阿川氏は著書で述べます)。
他方で日本では、立法と行政とですべてのイシュウが完結してしまうのではないか。従って、イデオロギーが公的な司法の場で議論されることがほとんどない。


3. 従って、最高裁を構成する9人の判事の顔ぶれ、その選任までの過程、就任後の判決での判断などは常に注目を浴びます。
こういうことも日本では考えられないでしょう。

(1) 彼らは優秀な法律家であることが大前提です。何れも、ハーバードなどのロースクールを優秀な成績で卒業してロイヤーや学者として実績を上げた人たちです。
(2)司法や憲法について保守的な考えの持ち主か、「時代とともに進化する生きた憲法」観の持ち主かという判事個人のイデオロギーも吟味されます。共和党の大統領はとうぜんに前者を、民主党は後者を選ぼうとします。
(3)その上で、多様なアメリカの社会や価値観を反映して、さまざまな人が選ばれます。
大統領は指名にあたって、国民の共感を得るために、その判事がどういう人生を送ってきたかの「物語」を語ることが多いです。


4. 好例をあげれば、2009年にオバマの指名で最高裁入りしたソニア・ソトマイヨールです。女性では3人目、ヒスパニック系で最初の最高裁判事です。
指名にあたって、オバマ大統領は彼女の法律家としての優れた実績だけではなく「彼女自身の生い立ちがユニークで重要です」として、紹介します。


―――1954年生まれのソニアは、ニューヨークのサウス・ブロンクス(注:荒廃した貧民街で有名なところ)の公営アパートで育った。危険な目にも何度か会った。

ソニアの両親は、第2次大戦中にプエルトリコからNYへ移住してきた。父親は小学3年までしか学校に行かず、英語も話せなかった。移住してからは工場で働いた。
ソニアは8歳のときに小児麻痺にかかる。9歳のときに父親は亡くなるが、母親が週6日看護婦として働き、彼女と弟とを育て上げた。
オバマ「(指名発表の本日)2人ともここに来ていただいています。」
ソニアの母は、いい教育さえあればアメリカではすべて不可能なことはないと信じていた。「おかげで彼女はプリンストン大学に入る奨学金を得て、「最優等(スンマ・クム・ラウデ)」で卒業し、イェール大学ロー・スクールに入るとイェール・ロー・ジャーナルの編集者(注:優秀な学生への栄誉で、オバマ自身、ハーバード時代に編集長だった)にも選ばれ、今日に至るのです。
その道のりの中で、幾多の困難に出会い、それらを乗り越えて、かってご両親が夢見たアメリカン・ドリームを生き抜いたのです・・・・・」―――

こういう女性が、妊娠中絶や同性愛者や女性の権利向上に前向きなリベラルな価値観を持って判決にあたることは当然に予想されます。
上院で共和党は抵抗しましたが、最終的に68対31で承認されて、民主党は全員賛成、共和党議員も9人が賛成票を投じました。


5. もう一人、唯一の黒人判事であるクラレンス・トマスについても紹介します。
(1) 阿川さんの本によれば、1948年生まれの彼は「奴隷の子孫で」、「極貧の境遇から出
発して努力を修め、名門イェール大学のロースクールを卒業した」。「…一部屋しかない小屋は土間で、室内には便所がなかった。農場労働者だった父親は、トマスが2歳の時家を去る。3人の子供は母親ひとりで育てられた。家事手伝いで生計を立てる母親の収入は安定せず、(略)進退きわまり、母方の祖父母に引き取られる。」
そこでカトリックの学校で教育を受け、最初は神父になろうと考えたが、奨学金を得てロースクールに進学する。「カトリックの神父や尼僧は、差別があるため教育をなかなか受けられない南部の多くの黒人子弟へ、熱心に教育を施した」。


(2)1990年共和党ブッシュ(父)政権は、当時コロンビア地区の連邦控訴裁判事だったトマスを最高裁判事に指名する。
初めての黒人判事だったサグウッド・マーシャル(民主党ジョンソン大統領任命)の後任だった。マーシャルは公民権運動の弁護士として全国的に著名な人物、リベラルの代表格。
ブッシュはとうぜんに黒人の候補を選びたい。そして意外なことにトマスは黒人法律家には珍しく「保守派」であり、彼の眼鏡にかなった。


(3)期待通り、トマスは最高裁でも「群を抜いて保守的」となる。妊娠中絶、同性愛者の婚姻に反対の少数意見を述べて違憲とする。個人の銃の所持も憲法で認められるとし、未成年者の死刑に反対する多数意見にも組みしない。
しかも、黒人など少数民族に有利な大学の合格枠を設定する「アファーマティブ・アクション」(人種優遇措置)にも「逆差別である。黒人も能力と努力によってのみ評価されるべき」として違憲であると反対する(これも少数意見)。


しかし、「ザ・ナイン」の著者トービンによれば「彼自身、これまで重要なステップで毎回アファーマティブ・アクションの恩恵を受けていた。カレッジやイエールに入学できたのも、レーガン政権で公民権担当の職を得たのも、最高裁判事に指名されたのもそうだった」。
また、阿川さんも『アメリカ現代史』で、「ブッシュ大統領は指名発表の際、トマスが「黒人であるかどうかは、この選択にまったく関係ない。現時点でもっとも優れた最高裁判事候補である」と述べた。(略)しかしトマスが黒人でなければ、法曹としての目立った実績がないまま43歳の若さで指名されることはなかった。彼は優秀なロイヤーではあろうが、能力だけで判断するのであればもっと優れた法律家や学者が他にも大勢いた・・・・」と書きます。


6.以上見てきたように,アメリ最高裁判事をめぐっては、なかなか興味深いドラマがあり、政治がからみ、よくも悪くもアメリカという多様な社会、そして多様であるからこそ司法が最重要な社会を象徴しているように思います。
もうひとつ、ソトマイヨールやトマス判事のように、貧しい少数民族出身であっても、優秀であれば奨学金を得て優れた教育を得る機会を与えられて、国のリーダーともなり得る・・・・日本の貧しい若者にも同じようなチャンスはあるでしょうか?