アメリカ最高裁カバノー判事とエコノミスト誌の論説「Kava--no」

1.庭の芙蓉もそろそも終わりですが、今日のような曇り空によく似合う花です。

我善坊さん、コメントと質問有難うございます。平安初期の「陽成天皇」がなぜ、後期の崇徳院後鳥羽院と並んで、百人一首で「院」と呼ばれるか?
雲の上の話なので考えたこともありませんでした。
早く譲位して上皇の時代が長く、この歌もたぶん上皇時代のものだからでしょうか。
何れにせよ、当時の天皇に「終身」という決まりはなかったのでしょうね。


2.他方で、アメリ最高裁の判事は憲法で「終身」と決められています。
弾劾されるか、自らの意志で辞職するかでない限り、死去するまで職を全うできます。
今回も、81歳になる中道派ケネディ判事が高齢を理由に辞意を表明したため、トランプが後任を選ぶという悪運に恵まれました。

この後任人事に、超保守派のカバノー控訴裁判事を指名したことから、若いときの飲酒癖や女性への暴行疑惑が報じられ、証人を呼んでの公聴会も開かれ、FBIの調査も行われ、アメリカの世論を二分する大騒動になった、
しかし、トランプと共和党は「彼の嫌疑は晴れた」として、10月6日(土)の上院で、僅差で承認された。


(1) 上院総数100名のうち、カバノーに賛成50、反対48、「present1」、欠席1。
「present」は直訳すれば「出席」ですが、日本の新聞は「棄権」と訳しました。
この人は共和党の女性議員で、自分は「反対」、しかし、「欠席」」している議員が1名いて、彼は「賛成」を表明している。従って出席できない彼とのバランスを取るために、「出席している」という意思表示だけをしたそうです。

(2) 面白いと思ったのは、共和党の欠席した議員は、「お嬢さんの結婚式に出席し、一緒に礼拝堂のヴァージン・ロードを歩かねばならないため」だったそうです。
日本の新聞は「1人は私用のため欠席」と報じました。日本だったら「不謹慎だ」という声が上がりそうですが、そういう論調はアメリカのメディアには見られませんでした。

そのためにも、「私は反対だが、欠席する彼が賛成なのでチャラにする」”present”という決まりは面白いと思います。
従って、投票総数は98票になる。日本の場合、賛成・反対・欠席しかないのではないか。総数は99票、「賛成50、反対は49、そして欠席1」になるのではないか。


(3)与党共和党はむろん「賛成」で、「反対」の意志表示をしたのは上述の女性1名のみ。
野党民主党から「賛成」した造反者も1名いた。この議員の選挙区ウェスト・ヴァジニア州は、大統領選でトランプが圧勝したところ。中間選挙で改選されるにはトランプ支持層の票も取らねばならないという、自己の利益を優先したのではないかと言うのがもっぱらの憶測です。


仮に彼が民主党の大勢に従って「反対」に回っていれば、49対49,present1,欠席1と同数でした(それでも「私用で欠席した人が足をひっぱることはない。日本方式だと、49対50と逆転する・・・・・これでは欠席しにくい」


(4)こんな僅差の「承認」は1880年以来だそうで、「国の将来を決めるこんな大事な問題をわずか2票差の単純多数決で決めてよいのか」という疑問は感じざるを得ません。
それでも勝ちは勝ち、「トランプ大統領の勝利」とメディアは報じました。

しかし、この日も国会議事堂の周りは抗議のデモで混乱し、多くの逮捕者が出ました。
この結果が、11月6日の中間選挙にどう影響するかが注目されます。
世論調査では、大卒以上の女性の6割強はカバノーの性的暴力を訴えた女性の証言(公聴会の模様は、テレビで一部始終が放映された)を信じると、回答した由。
他方で、共和党は、「むしろ被害者は男性だ、中傷だ」と攻撃することで、同じように選挙戦にこの問題を利用しようとしています。
国論はまさにまっぷたつに割れています。


3.ということで、結果は出たのですが、興味深いのは、ニューヨーク・タイムズやタイム誌など主要な大手メディアが一斉に「カバノー反対」の論陣を張ったことです。
彼らはそれでも敗れた。その敗北感・挫折感は大きいだろう、それでも、敗けても主張し続ける姿勢はジャーナリズムの1つの在り方を示しているように感じました。


この中で,英国「Economist」誌10月6日号を紹介したいと思います。
アメリカではなく、英国を代表するクォリティ・ペーパーが”Kava―no”と題する「論説」で、他国の出来事について以下のような反対論を表明しました。


(1)「FBIの調査がどんな結論になろうが、公聴会でのカバノー判事の証言自体が、最高裁に座る人物にふさわしくないことを立証している」と始まる。

(2)彼の証言は、本当にひどいものだった(damning)。はぐらかし、不誠実だった。例えば、高校時代に飲んだくれたことを認めたが「合法だ」と主張した。しかし、当時のメリーランド州の法律では飲酒が許されるのは21歳だった(いまは18歳)。

(3) 彼は、単に怒りを露わにしただけではなく、策略を弄した(conspiratorial)。そして怒りの矛先をもっぱら民主党に向けた。あたかも自分はその反対側の人間であるかのように。

(4) カバノー氏の司法における保守的な思想自体が問題なのではない。彼の、あまりに明白な民主党への嫌悪が問題なのだ。
2015年に、ある著名な法律家(jurist)が大学で講演し、こう語った。
「優れた裁判官とは、野球の審判員と同じく、公正中立でなければなりません」
この発言は、カバノーその人のものである。


4.「論説」で、他国の国家の要人の人事に、ここまで厳しく批判を加えるのは、さすがと思わざるを得ません。


(1) 最後に、同誌は9月15日号の論説でもカバノー問題を取り上げ、「弱いは強い(weak is strong)」と題して、「アメリ最高裁の判事が終身であることにそもそも問題があり、憲法を改正すべき」と主張しています。

(2) 私は実は、最高裁判事の終身制は良いなと考えてきました。
いったん就任すれば、当時の大統領や与党の思惑など気にせず、自分の信念を貫き通すことができると思い、過去にその実例も多いからです。
(代表的なのが、共和党アイゼンハワーに指名されたが、歴史上もっともリベラルな、歴史を変えた判事と言われた、アール・ウォーレン最高裁長官です)。


(3) しかしここまでアメリカ政治・社会の「分断」が進み、
大統領や与党は、保守・リベラルを問わず、ごりごりの思想の持主を選ぼうとし、
しかもなるべく若い判事を選んで、長く居させようとする(カバノーはまだ53歳、これから30年近く居座る可能性が高い)、
こういう動きが顕著になってきた昨今をみると、エコノミスト誌の「アメリ最高裁判事にも定年制あるいは任期制を」と言う主張も尤もだと考えるようになりました。


(4) 因みに「弱いは強い」という表題は、アメリカ建国時、アレキサンダー・ハミルトンが「司法は三部門の中で、権力の基盤を「(公正な)判断」においているだけで、権力としてはもっとも弱い」という言葉から来ています。「しかし、だからこそもっとも強い。だからこそ〜」とエコノミストは論じます。