1. この12月は東京だけでなく、ロンドンも寒いようで、クリスマス前にウィンザー城にも雪が降ったと、娘のところから写真を送ってきました。
外は雪でも部屋の中は温かそう。大きなツリーを飾っています。やはり1年でいちばんのお祭りなのでしょう。
ところで先週のカズオ・イシグロの「Nobel Lecture」について、我善坊さんコメント有難うございます。
「彼の若さと柔軟性」という理解は面白いです。
彼のスピーチに「若さ」を感じるか63歳の「老成」を感じるかは人によって異なるでしょうが、
何れにせよ彼の思考と行動は、幼い時に異国で異邦人として暮らしたことによって形成されたことが大きいのではないか、と感じています。
そのあたり、前回の長崎での思い出に続いて、今回はまずは5歳から住み始めた英国についての思い出から、彼の話をフォローしたいと思います。
2. クリスマス・ツリーの前で踊っている少年もいま同じ年齢で、イシグロが少年時代を過ごしたサリー州ギルフォードのすぐ近くに住んで、やはり同じような体験をしているのかな、と想像しながら、彼のスピーチを読み返しています。
前回は、田舎の大学院の「創作コース」に2週間に1度参加し、孤独な日々を送りながら、長崎を舞台にした小説を書いていたことについて触れました。
小さな部屋を借りて、「そこは、昔ながらの売れない作家にふさわしい屋根裏部屋を思わせた」。
原文は“My little room was not unlike the classic writer’s garret.”といかにも英語らしい二重否定を使っているあたり、今では異邦人を脱して英国人になりきっているのでしょう。
3. カズオ少年は、5歳のときの1960年、両親と姉とともにロンドンから90キロ離れた中産階級の多い町にやってきました。
いまは消えてしまった「古い英国」が残っていて、日本人どころか、フランス人やイタリア人に出会うことさえ稀だった。
隣人たちは皆が日曜には教会に行き、彼も日曜学校に通い、10歳のときには、日本人で初めて少年聖歌隊のヘッドになった。
地元の小学校では英語を母国語としない唯一の、おそらくは学校の歴史で最初の、生徒であり、11歳で終えると汽車に乗ってグラマー・スクールに通った。
その頃には私も、英国の中流階級の子供にふさわしいしつけを身に付けていた。
友達の家で遊んでいるときに誰か大人が部屋に入ってきたら、すぐに立ちあがって挨拶すること、
食事中にテーブルから離れるときには、許可を得てからそうすべきこと・・・等々。
日本が憎むべき敵だった第2次世界大戦が終わってまだ20年も経っていない時期だったことをいま振り返って考えると、英国のどこにでもあるようなコミュニティの人たちが私たち家族を受け入れてくれたオープンで寛容な接し方は、いまも私を驚かす。
戦争の苦難を経て、戦後の福祉国家を築きあげたこの世代の英国人に対する、私の深い愛着、敬意、そして好奇心は、このような幼い頃の個人的な経験と「記憶」から得たものである。
他方で、家では日本人の両親とまったく別の生活を送っていた。そこには別のルールがあり、しつけがあり、別の言葉があった。時々祖父母が送ってくれる雑誌や漫画や教科書を熱心に読み、幼い頃の記憶とあいまって「私の日本」を残そうと2つの小説を書いた。
そして、3作目が「私の英国」ともいうべき『日の名残り』である。
しかし私は、「いまは存在しない英国」と同時に、国境や言葉を越えて、誰もが自らの記憶を呼び起こさせるような、英国を訪れたことのない人でも理解できるような、そんな「神話的な英国」を描くことをも目指したつもりである。
4.・・・・(何年か経って)1999年に44歳の私は招かれてアウシュビッツ強制収容所跡を訪れる機会があった。
一人一人の記憶だけではなく、私達はより大きなジレンマに直面しているのだという問題に気付いたのはその時である。
このような悲惨と悪とを私たちはどのように記憶すべきなのか?
それらの悲劇を身をもって体験した親の世代が徐々にいなくなってしまうと考えたとき、「物語の語り手」である私は、彼らの「記憶」や教訓を伝えていく義務があるのではないか?
私は、これまで忘却と記憶との間にあって悩む個人を描いてきた。
国家やコミュニティが同じような課題に直面したときにどうすべきかを描くこと、これが私のこれからなすべきことではないだろうか?
国家もまた個人と同じように、記憶し、忘れていくのだろうか?それとも個人と国家とでは違いがあるのだろうか?
4. このように成長し、成熟していったかってのカズオ少年は、いまノーベル賞の記念講演で、最後に現在の世界を懸念し、憂い、以下のように訴えます。
「いまの世界、あまりにも気がめいる出来事に満ち満ちている。
それは残念ながら、私の信じてきた世界――知的で、皮肉をまじえた、リベラルな思考を持った人たちに満ちた刺激的な世界――が、私が考えていたよりも小さい世界だったのかもしれない、
子供の頃から、私が信じてきたリベラルで人道的な価値感が幻想だったのかもしれない、という気持に私をさせる。
しかし、私たちは楽観的な世代ではないか。親の世代が欧州の多くの国々で全体主義と戦い・変貌させるのを、殺りくからリベラルで民主主義な国に変えていくのを見てきた世代ではないか。
私たちはその選択を担い、これからも歩き続けていかなければならない。
そのためにも、「文学」の力を、若い世代を、そして多様性の大切さを信じよう・・・・・
「文学」は人々の感情を伝えていくことにこそ価値がある。
国境や分断を越えて、人間として共有しているものに訴えかけることに価値があ
る。
物語とは、一人の人間がもう一人に語りかけることだ、
「私が感じるのはこういうことだ。
君はそれを理解してくれるか?
君も同じように感じてくれるか?」と。
5 ➡スピーチを締めくくるにあたって、カズオ・イシグロが、「リベラル」という言葉を3回使い、その価値を強調し、そして、「文学」こそそれを蘇らせる力を持っているのだ、
と訴えたことが、私がいちばん感動したところであります。