続「国連幸福度報告2019」と麻雀で遊んで幸福?

1.新年度が始まりました。東大駒場キャンパスも新入生を迎えました。部活勧誘のタテカンも並んでいます。

f:id:ksen:20190331132933j:plain目指す大学に合格した「幸福度」は何点ぐらいでしょう?失敗した人には辛い春だろうが、この次は「幸福」が来て欲しいと願います。

 2.前回ご紹介した、国連が毎年発表する「幸福度報告」についていろいろコメン

トを頂きました。

(1)その前に、前回、この報告を「大手メディアがあまり取り上げない」と書いたのですが、東京新聞が3月31日の社説で触れました。

ところがちょっとおかしな理解です。同紙社説によれば、

―――国連「幸福度ランキング」。「日本は156か国中58位でした。評価に使われた6つの指標には疑問のあるものもあり、額面通り受け取る必要はないのですが、正直、「え、そんなに下位?」と思われた方もあるでしょう」――

(2)前回も説明したのですが、この「幸福度」は、「6つの指標」を「評価に使った」のではありません。「あなたの幸福度を、10点から0点の間で点をつけてください」という質問の答えを基にしたものです。

「6つの指標」は、数値の説明変数に過ぎません。

f:id:ksen:20190315144039j:plain3. 報告書を読めば東京新聞のような間違いはしなかった筈です。

現に、私のブログにコメントされた方は全員が、「これは主観的な幸福感の数値である」と理解した上で書いて頂きました。

(1) Masuiさんからは、

――「多くの日本人は欧州諸国とそれほど多くの差があるとは思っていないのではないか?教育についても、大学の順位で100番以内にようやく東大が入る程度だったり・・・・多くの日本人が思っていることが世界の基準からずれています。政府はこのギャップがどのようにして出来たか、それを修正するには何に力を入れてゆくかを示すべきです」―――

これは正論だと感じました。 

(2)他方で、下前さんからは

―――「幸福度等 幾ら数字を並べ立てても物事比較の材料には為らないし増してランク付け等 無意味通り越して滑稽 若しくは弊害すらあるのではと考えます。」―――

というコメントがあり、なるほどと思いました。

このように、何に「幸福」を感じるかなんて所詮個人的な問題ではないか、国連が真面目に取り上げて比較するようなことかと感じる人も多いでしょう。

それでも、ご承知の通り、1776年7月4日トーマス・ジェファーソン起草のアメリカ独立宣言は、冒頭で、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命、自由、幸福の追求(pursuit of happiness)を含む不可侵の権利を与えられている」と述べました。

f:id:ksen:20190325124706j:plain国連はこういう思想に立って、世界の人たちの「幸福の追求」に取り組むのは自分たちの責務だと考えているのでしょう。

ですから毎年、「幸福度」の各国数値を真面目に分析をして、報告します。

1位のフィンランドが7.769(もちろん10点満点ですから、まだまだゴールは遠いと言えるのかもしれませんが)。

対して、最下位の南スーダンは2.853。なぜ、フィンランドに比べて、かくも低いのか?どうすれば少しでも高くなるのか?

南スーダン(だけでなく、イエメン、アフガニスタンルワンダタンザニア・・・などなど)のように、「幸福度」が極端に低いのはなぜか?少しでも高くなることを願い、そのためにはこの国は何をすべきか?

国連の担当者は、南スーダンの2.853を1点でも2点でも上げることを、祈り、願い、そのために分析し、ランキングを付け、報告し、そして世界に訴えているのではないでしょうか。 

4.また岡村さんは、コスタリカに旅行したことがあり、「何故か緊張から解放されて1ヶ月ほどぶらぶらしていた」そうです。

国連「幸福度ランキング」の上位20か国に入る国の中で、唯一、OECDのメンバーでもない貧しい中南米の小国、「軍隊のない丸腰国家」として知られます。

そんな国が、欧米やカナダ・オセアニアに混じって12位と頑張っています。「まるでのどかな地方都市に居るようで、12位と言うのならそうかなあと思います」とあり、

また、「15年前に日本を離れ現地の女性と結婚してレストランを経営して」いる日本人がいて、一緒に市場に買い出しに行ったり、家に招待して貰って食事をよばれ「仕事を探してあげるから此処に住んでみないか」と言われた。一瞬暮らしてもいいかなぁと思った」そうです。

なぜ、コスタリカの「幸福度」は、7.167と高いのか?興味があります。

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5.ということで、最後に、そうは言っても、「何に「幸福」を感じるかなんて所詮個人的な問題ではないか」という下前さんの批判も十分に説得力があるという例証みたいな出来事を紹介いたします。 

たまたま、夕食時に家人に、この国連の報告書の話をしました。

その上で、「あなたの「幸福度」を数値化したら、10点満点でどのくらいか?」と質問したところ、数秒考えて「フィンランドぐらいかな、つまり7と8の間ぐらい」という答えでした。 

ずいぶん高いなと驚いて、そういえば、その前日、素人麻雀をしたことを思い出しました。

ここ6年程、最低月に1回、夫婦3組6人で麻雀をしています。

家人は当初まったくの素人で、一から始めました。

それぞれの自宅で回り持ちでやり、女性3人に男性が交代で1人入ります。残った2人は後ろからアドバイスをします。

もっとも、この間、飲んだり食べたり喋ったりの時間が長く、議論に及ぶこともあり、私たちは「うんちく麻雀会」と呼んでいます。

終わってごく庶民的なお店で夕食を楽しむ。ここでも、自由な意見交換で賑やかです。 

長く続けているので、さすがに女性軍もそこそこ腕を上げてきました。

たまたま直近は桜咲く4月3日に調布の某氏宅にて開催。

そこで、何と家人が「大三元」をつもったのです。

「中」と「白」を鳴いて場にさらし、「発」とチイソー(7索)のどちらかが出れば上がりと待っていたところ、驚いたことに終盤になって3枚目の「発」を自分で持ってきました。

f:id:ksen:20190403142328j:plain本人はとくに狙っていた訳でもなく、ほとんど意識せず、後ろで見ていた私の方がよほど興奮しました。

しかし、まあ、こんなことがあった翌日ですから、「幸福度」がぐんと上がるのも当然だなと思いました。

老い先短くなると、望みはごく小さくなって、今日一日無事でさえあれば平均点、おまけにこんな風に友人たちと楽しく遊んだり、散歩の途次に咲き乱れる花景色を眺めただけでも、けっこう「度数」が上がり、幸せな気分になります。

ところで、東大駒場の研究所の庭に一杯に咲く野の花の写真も上に載せましたが、おそらく春の七草ほとけのざ」ではないかなと思っています。