ささやかなユーモアと「言葉を取り戻せ!」

  1. 先週の東京は良い日和が多く、世田谷羽根木公園の梅林まで散歩しました。恒例の梅まつりは今年は中止ですが、距離を空けつつ梅を見る人が、それぞれ楽しんでいました。

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  1. 前回は台湾のデジタル大臣オードリー・タン氏を紹介しました。本人のみならず、同氏を登用した蔡英文総統の識見に対する評価を、下前・Masui両氏から頂きました。「日本ではあり得ない」というコメントが付いていました。

 2月12日付毎日新聞に、御厨(みくりや)東大名誉教授の「国会に「言葉」を取り戻せ」という長いインタビュー記事が載っていました。

「『異論を挟むヤツは自民党から出ていけ』という空気一色に染まった党内で政策論争ができるわけがない。野党もまた論争能力を磨けずに衰えていった。・・・国会に言葉を取り戻せなければ、この国に未来はない」。

 そして、「政治の担い手が文字通りに十年一日のようであることが大問題、と御厨さんは憤る」とありました。「異業種にいた優秀な人材や若い世代が政治の世界に参入すれば、それが新しい風を吹かせ、政界をガラリと変えていく可能性があると思います」と言っていますが、本当にそうなるでしょうか。私も下前さんと同じく、悲観的ですが・・・・。

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  1. 田中(美)さんからは、タン氏が「ユーモアの大切さ」を強調したことに納得した、とコメントを頂きました。

 ユーモアについては年12月20日のブログでも、「「サンタクロースは高齢ですから皆さんが心配するのはわかります。しかし新型コロナ・ウィルスの免疫を持っているから大丈夫、来てくれます」と真面目に答えたWHOのドクターの言葉について、漱石の「ユーモア論」とともに紹介しました。

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3.今回も、コロナとユーモアに関わる話です。

 台湾のコロナ対策については、タン氏だけでなく昨年6月放送されたNHKの特集番組でも、疫病対策の責任者だった陳建仁副総統がやはり同じく道傳さんとの対話で、「ユーモアの大切さ」を語っていました。

 彼が紹介したのは以下の事例です。

――女の子がピンクのマスクをしていて、いじめられた(日本の学校の「髪は黒であるべし」に似た「マスクは白であるべし」の校則でもあったのでしょうか)。

それを知った陳氏以下はある日のテレビでのコロナ対策の会見時に、全員ピンクのマスクを着けて現れた。―――

 

 これが「ユーモア」だという陳さんの心の中には、「優しさ」があったろうと思います。

 漱石は、そういう英国流のユーモアをよく理解していました。彼は、日本語でいえば「こっけい」にあたる、しかし、その上で「深い同情がなければならぬ」と付け加えます。

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4.ユーモアについての定義は山のようにあります。

以下は古い本ですが愛読書、河盛好蔵著『エスプリとユーモア』(岩波新書1969年)からの引用です。

 

・「もし、“わたしはでくの坊です”と言ったら、それがユーモアなんです。もし“あなたはでくの坊です”と言ったら、それがウィット(エスプリ、機知)なんです)」

・「ユーモアと機知の本質的な違いは、機知が常に意図的であるのに対して、ユーモアは常に非意図的なことである」

・「ユーモアは、他人を傷つけることを求めず、ただ自己を守るだけである。剣ではなく楯(たて)なのである。」

・「ユーモアは、我々の不安な生活における潤滑油であり、我々の生きている社会と我々の関係を調節し、我々が苦境に傷ついたとき、いつでも傷口に塗る膏薬を持ってきてくれる親しい、優しい友人なのである。

 

➜皆でピンクのマスクをつけてテレビに出ることによって、陳さん以下のコロナ対策メンバーは、いじめられている女の子を剣ではなく「楯」で守ったのです。

 

5.これに対して、「あなたはでくの坊です」と言うのがエスプリ(あるいはウィット)。これは言葉の技術であり、とくに返し言葉の形でめざましい働きをする、と河盛好蔵は言います。

――フランス革命から復古王政期にかけて活躍した政治家タレーランは、ある日、友人と散歩をしていた。友人は得意になっていろいろ裏情報を教えてくれる。そのとき偶然そばを通った男が大きなあくびをした。それを見てタレーランは言った。

 「君、声が大きすぎるようだぜ」――

 こういう事例を幾つも紹介したあとで、河盛好蔵は、「私は日本人のような緊張度の強い国民性の持主のあいだでは、イギリス風のユーモアはなかなか育たないのではないかと思う者であるが、鋭いエスプリの持主は、たくさん出てくるのではないかと思う」と書いています。

 「深い同情」に包まれたユーモアが日本でも育つでしょうか?

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  1. 最後に、些細な話ですが、数日前、BS1の朝の国際ニュースを見ていたら、英国の田舎の村で、隣り同士の6家族のところで次々に赤ちゃんが誕生したというニュースを報道していました。

 幸せそうな6家族が次々に画面に登場して、赤ちゃんを見せながら語っていました。

これも、コロナ対策で必要な「ユーモア」ある報道ではないかなと思いながら、何となく明るい気持ちになって画面を眺めました。