3回目の東下りと「床屋談義」

  1. 前回のブログに、杭にとまっている、とても小さいカワセミの写真を載せたところ、田中さん&松崎さんから「見つけた」とコメントを頂きました。視力がいいのは若い証拠、羨ましいです。

 岡田さんからは、「漢字では翡翠と書く。英語のkingfisherよりピンとくる」というコメントがありました。翡翠は宝石のヒスイでもあり、これをカワセミと読ませるのはご指摘の通り洒落ていますね。

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 岡村さんは「フィンランドに旅行したとき、手作りの店でカワセミのペンダントを売っているのを見た」とのこと。写真を添付していただいたので転載します。世界のあちこちで写真を撮っておられます。

 

 老人二人は、朝の散歩の途次、池のほとりで相変わらずカワセミ探しです。一昨日は辛うじて捉えることが出来ました。 

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2.  話変わって今回は、赤坂で、京都からお越しの下前さんの講話を聞いた報告です。

 「床屋談義」と題する「京都の話」は昨年の夏に始まり、これで3回目です。皆さん喜んで聞いていて、まだまだ続いて欲しいものです。

 

(1)今回の本題は、「京都のまちなみ」について。

下前理容店のある姉小路通りは、25年以上も住民が、「姉小路界隈を考える会」を作って活動している。下前さんは副会長。

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(2)会が自主的に動いて、「平成版の町式目」や「建築協定」を制定し、ルール作りを図った。

その結果、「5階以下の中低層の街並みを基本とする」方針を打ち出し、京町家再生の事業にも取り組み、10年かけて26件の京町家を再生した。

 

(3)取り組みに関心を持つ人も増えて、海外から調査に来る人も多い。

アメリカの名門校MIT(マサチューセッツ工科大)の学生が先生に連れられてフィールド・リサーチに来て、下前さんが応対したこともあった。

 

(4)京都の中心部は、「職住同居」の住まいが多かったこともあり、いまも木造建築が多い。

  昭和の戦争で空襲がなかった幸運もあり、いまも残っているが、どんどん減ってきている。「瓦屋根で格子戸のはまった町家は、日本人の住まいの原風景の想いがして後の世に残したい」と下前さんは言います。

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(5) 例えば、近くにある「イノダコーヒ」の本店は、彼は17歳の時から60年毎朝通っているが、外装も内装も基本は昔のままであり、変わっていない。

 古い頃の「イノダ」や「和菓子の亀末廣」や「鳩居堂」などの写真を見ながら、そんな話を聞きました。

 

(6) 文化を守る、大事な取り組みですね。

一つだけ贅沢なお願いを言えば、祇園の花見小路のように、電線の地中化を実現してもらえないかです。費用が難問でしょうが、ロンドンやパリやニューヨークの街を歩いていて、電柱を見かけることはまずありません。「電柱大国日本」を何とかしてほしいと思うのですが・・・・・。

 

3. この日は、もう一つ、文化財、とくに国宝や重文などの絵画・典籍などの修理に携わる装潢師(“そうこうし”と読みます。私は初めて聞く言葉です)の仕事についてもお話がありました。

これもやはり文化を守る人たちについてで、面白かったです。できれば次回にご報告したいです。

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この2つの講話を聞きながら、

――「何が失われた大切なものか?」、そして、

「何が、新しく生まれた美しいものか?」―

の2つを考えていくことが大事ではないか、とあらためて考えました。

 前述した「町家の保存」と「電線の地中化」は、「失わない」努力と「新しく美しいもの」とを共存させる「新しい文化」ではないでしょうか。

 

  1. 講話の合間には、

  「イノダ」からスタッフが出張してくれて、ドリップ式の珈琲を入れてくれました。

 

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(1)  犬のマークのついたビクターの手回し蓄音機で、45回転のレコードのシャンソンを聴きました。

流れたシャンソンは、1943年にイブ・モンタンが歌った「枯葉」や越路吹雪でした。

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(2) この会は、松井孝治慶應義塾大教授の主宰するシンクタンクの企画です。

同教授は親子3代、下前理容店で頭を刈ってもらっているそうで、旧知の間柄。

そういうこともあってか毎回、雰囲気の良い、よく考えられた洒落た企画でした。