Xmas EveにElio Ratoo君のことなど

  1. 昨夜は、長女夫婦と渋谷の青山学院大で。恒例の「オール青山」による

メサイア」を聴きました。最後に、聴衆も一緒に「きよしこの夜」を歌って終わります。

 

2.この時期海外から、クリスマスカードも主に電子メールで届きます。

(1)英国に住む次女からは、孫二人が通う学校が配信する動画を送ってくれました。学年ごとに集まってクリスマスの歌を唄っています。

(2) 写真を見てあらためて思うのは、少人数の、多様な人種の子供たちだということです。彼らは、学校で否応なく「共存」することを学ぶでしょう。

(3) 皆がクリスチャンという訳でもない。それでも、クリスマスに聖歌を一緒に歌うのは悪いことではないのではないか。

(4)私も、「ハレルヤ」コーラスに感動し、「きよしこの夜」も歌いながら、日本人は本来「共存」と「寛容」に長けているのではないか、と考えました。

(5)「文明とは、何よりもまず、共存への意志である」という,スペインの哲学者オルテガの言葉を思い起こします。

  1. 海外といえば、最後にローマ在住のエリオ・ラトー君のことです。いまは

フェイスブックで繋がっているだけです。

(1)日本語は出来ませんが、時々「いいね」を押してくれます。

(2)彼自身のフェイスブックは写真と短いイタリア語なので、翻訳機能を使って読み、こちらからも「いいね」を押します。

(3)本当は古い付き合いで、知り合ったのは1966年のアメリカです。お互いに20代でした。

(4)アメリカの銀行制度を学ぶため、研修生という資格でテキサス州のダラスに半年間、ホームスステイしました。まだ日本は貧しく、この国の豊さに圧倒される思いでした。まだ人種差別は厳しく、黒人はお断りというレストランが残り、毎朝ダウンタウンの銀行に通うバスは、白人と黒人の席が分かれており、黒人は後ろ。

「君は前に座っていいんだよ」と銀行の人事部の人にわざわざ言われたものでした。

(5)その時、イタリアの銀行から来ていたのがエリオ君で、外国人は二人だけだったので、とても親しくなりました。年中一緒に過ごし、レンタカーで広大なテキサスを旅もしました。同じ敗戦国から来て、戦勝国アメリカの豊かさに圧倒された者同士という思いも、どこかにあったかもしれません。

 

(6)半年経って、彼は帰国し、私はニューヨークの支店勤務となり交友は途絶えました。その後、一度だけの再会は日本でです。

エリオ君は結婚し、新婚旅行で、アリタリア航空のスチュワーデスの奥さんと2人で日本を訪れ、我が家にもきてくれました。

臆面もなく載せた冒頭の写真はその時のものです。

(7)以来、音信は途絶えました。英語での手紙のやり取りは、忙しい現役時代にはなかなか続きません。

それが40年以上も経って、フェイスブックを通じて、友人になりました。いまは、時折お互いの投稿に「いいね」を押すだけの繋がりになりました。

それでも、昔の一時期に濃密に付き合った異国の友人のことを無性に懐かしく思いだします。

Xmas EveにElio Ratoo君のことなど

(写真1-昔のエリオ君の写真9486)

  1. 昨夜は、長女夫婦と渋谷の青山学院大で。恒例の「オール青山」による

メサイア」を聴きました。いつも最後に、聴衆も一緒に「きよしこの夜」を歌って終わります。そのあと4人で居酒屋に寄り、遅く帰宅しました。

(写真2-4281オスカー学校)

  1. この時期海外から、数はすっかり減りましたが、クリスマスカードも主

に電子メールで届きます。

(1)英国に住む次女からは、孫二人が通う学校が配信する動画を送ってくれました。学年ごとに集まってクリスマスの歌を唄っています。

(2) 写真を見てあらためて思うのは、少人数の、多様な人種の子供たちだということです。彼らは、学校で否応なく「共存」することを学ぶでしょう。

(3) 皆がクリスチャンという訳でもない。それでも、クリスマスに聖歌を一緒に歌うのは悪いことではないのではないか。

(4)私も、「ハレルヤ」コーラスに感動し、「きよしこの夜」も歌いながら、日本人は本来「共存」と「寛容」に長けているのではないか、と考えました。

(5)「文明とは、何よりもまず、共存への意志である」という,スペインの哲学者オルテガの言葉を思い起こします。

(写真3-4280生徒たち①)(写真4-4279生徒たち②)

  1. 海外といえば、最後にローマ在住のエリオ・ラトー君のことです。いまは

フェイスブックで繋がっているだけです。

(1)日本語は出来ませんが、時々「いいね」を押してくれます。たぶん写真ぐらいは見てくれるのでしょう。

(2)彼自身のフェイスブックは写真と短いイタリア語なので、翻訳機能を使って読み、こちらからも「いいね」を押します。

(3)本当は古い付き合いで、知り合ったのは1966年のアメリカです。お互いに20代でした。

(写真5-いいね4265)

(4)アメリカの銀行制度を学ぶため、研修生という資格でテキサス州のダラスに半年間、ホームスステイしました。まだ日本は貧しく、この国の豊さに圧倒される思いでした。1965年に公民権法が成立しましたが、それでも人種差別は厳しく、黒人はお断りというレストランが残り、毎朝ダウンタウンの銀行に通うバスは、白人と黒人の席が分かれており、黒人は後ろ。

「君は前に座っていいんだよ」と銀行の人事部の人にわざわざ言われたものでした。

(写真6-メタセコイア4256)

(5)その時、イタリアの銀行から来ていたのがエリオ君で、外国人は二人だけだったので、とても親しくなりました。年中一緒に過ごし、レンタカーで広大なテキサスを旅もしました。同じ敗戦国から来て、戦勝国アメリカの豊かさに圧倒された者同士という思いも、どこかにあったかもしれません。

 

(6)半年経って、彼は帰国し、私はニューヨークの支店勤務となり交友は途絶えました。その後、一度だけの再会は日本でです。

エリオ君は結婚し、新婚旅行で、アリタリア航空のスチュワーデスという奥さんと2人で日本を訪れ、我が家にもきてくれました。

臆面もなく載せた冒頭の写真はその時のものです。
(写真7―4530東大ハチ公)

(7)以来、音信は途絶えました。英語での手紙のやり取りは、忙しい現役時代にはなかなか続きません。

それが40年以上も経って、フェイスブックを通じて、友人になりました。いまは、時折お互いの投稿に「いいね」を押すだけの繋がりになりました。

それでも、昔の一時期に濃密に付き合った異国の友人のことを無性に懐かしく思いだします。

英誌エコノミストが予測する「2024年の世界」

  1. 先週も、銀杏の落葉を踏みながら東大駒場の図書館まで往復しました。

(1)視力・知力ともに衰え、小さな活字を読むのがしんどくなりましたが、英誌エコノミストだけは、図書館で毎週目を通すようにしています。

(2)その中で、11月18~24号は、「2024年の世界」を予測する90頁の特集記事に興味があり、この号は購入しました。

(3)国際情勢から文化に至るまで、幅広く来年の予測を取り上げたものです。

 

  1. なかなか読み切れませんが、今回は、特集記事の冒頭「2024年の世界

(編集部から)」と題する「序文」を紹介します。

結論を先に言えば、エコノミスト誌の「来年の見通し」は残念ながら、明るいものではありません。

 

3.「序文」は、来年を予測するに当たって以下の9つの問題を提起します。

(1)世界中で選挙の年だが、民主化にとって朗報か?

(2)アメリカの大統領選挙は?

(3)欧州のウクライナ支援は?

(4)中東の混乱と悲劇は収束するか?

(5)無秩序状態がいっそう進むか?(アジアに軸足を置こうとしたアメリカの戦略は、ウクライナとガザでの戦争によって挫折。アメリカ一極の世界は終わった)

(6)米中対立はグローバル・サウスを巻き込み、新しい冷戦時代を迎える?

(7)クリーン・エネルギーへの移行の流れは資源の世界地図を塗り替える?

(8)世界経済の不安定は続く(中国経済は失速するかも)?

(9)AI(人工知能)が雇用や情報操作などに与える影響はさらに拡がる?

4.以下に、このうち(1)と(2)について補足します。

まず(1)「選挙の年」。

・来年は、世界人口の半分以上となる42億人強を占める70以上の国・地域で選挙が実施される。史上初めての出来事。

・しかし問題は、だからといって民主主義が進むとは言えないことである。

実施される選挙の多くは(ロシアをはじめ)自由でも公平でもないだろう。

・因みに、来年最初の選挙は1月13日の台湾の総統選挙である。日本にとっても最大の関心事であることは言うまでもない。

5.次いで(2)のアメリカ。

・来年の選挙の中で最重要は、アメリカの選挙、中でもトランプが当選するかどうかである。

・同誌は、11月の米大統領選挙でトランプが再選される確率は現時点で3分の1と予測する。

アメリカ独特の選挙制度のために、誰が大統領に選ばれるかは、数少ない州(いわゆるスイング・ステイト)の数万人に過ぎない有権者の選択によって実質的に決まってしまう。

 ・しかもその結果は、気候変動やウクライナの戦争を初め、世界全体に巨大な影響を与える。

  1. エコノミスト誌は、トランプ再選を「2024年の大きな危険」と呼び、「世界予測が、今回ほど1人の人物の行く末に左右されたことはない」と述べます。

同誌が予想するように、プーチンも、ウクライナやガザの運命も、この人物が当選するかどうかに依存するとすれば、恐ろしいですね。

そして2024年の世界は,引き続き悲惨な戦争を抱えたまま、過ごしていかざるをえないのでしょうか?

東大構内でハチに会う

  1. 今回またハチ公の話からです。

(1)彼が今年生誕100年を迎えたという毎日新聞の記事を10月29日のブログで紹介しました。

(2)昔の職場で一緒だった年下のKさんが、「東大にある銅像を案内しましょう」と誘ってくれました。私のためにわざわざ時間を割いてくれる親切が嬉しかったです。

(3)当日は、彼が運転する車に乗って大学まで、快適なドライブでした。 

誰でも自由に入れるので、散歩する人も多くみかけました。

  1. 銅像は、東大弥生キャンパス、農学部の正門横にあります。

(1)旧東京帝大農学部の教授だった上野英三郎博士にハチが飛びつく姿が銅像になっています。

(2)仕事帰りの上野博士と彼を出迎えるハチの姿を、良く捉えています。

博士は抱き合うために持っていた鞄を地面に置く、その鞄まであります。

もうすぐ博士も犬も、キャップをかぶってクリスマスの装いになるそうです。

(3)中国人の観光客が数組訪れていました。

(4)我々はそのあと、農学部の学食で昼食をとり、お隣の本郷キャンパスまで足を伸ばし、安田講堂三四郎池を散歩しました。

(5)2015年の完成を祝う除幕式で、当時の農学部長はこんな挨拶をしています。

――「飼い始めてから1年半ほどで、上野博士は大学構内で急逝しました。それからハチは死ぬまでのほぼ10年間、朝夕に渋谷駅に通い、博士の姿を探し求めました。

私達が作ったこの像は、待っていたハチと上野博士が喜ぶところを捉えたものであり、犬の純真さとそれを受けとめる人の素直な心が表現されています。(略)二人の物語をとおして、動物と人との関係、深い愛情の交流を表すものであり、このキャンパスでは、大変ユニークな像であると思います」。――

 (6)因みに弥生キャンパスは戦前は旧一高があり、その頃の農学部駒場にあり、博士の自宅は松濤、何れも渋谷のごく近くです。

  1. お陰で、久しぶりに学生時代に戻った気分で、先日、同じ職場の年上の先

輩との昼食時に聞いた話も思い出しました。

(1)先輩は普通部(中学)から慶應義塾大学卒業ですが、「今年は慶應の年だったね」と嬉しそうでした。

・高校が夏の甲子園で全国優勝した。

・大学も六大学で優勝。

・大学には準硬式野球のリーグ戦があるが、慶應はここでも優勝。

・テニス部でも男子が全国優勝。

(2)ここまでは、私も他人事として聞いていたのですが、おまけがあって、

・お孫さんが中学から慶應で、高校から野球部。

・いま大学4年だが、準硬式野球部120人を束ねるキャプテンの三塁手

・そして、優勝後、慶應から彼一人が「ベストナイン」に選ばれた。

(3)これにはさすがに驚きました

おまけに、先輩自身は大学時代体育会テニス部のレギュラーだったそうで、近日開かれる祝勝会にOBとして出るつもり、と嬉しそうに話してくれました。

世界が戦火に見舞われている話をしたあとの明るい話題は、聞いている方も気持よかったです。

 

今年2回目の「モツレク」を聴きました

  1. 東大駒場構内の銀杏並木はいま黄金色に染まっています。

六本木の国際文化会館(IHJ)でも武蔵小金井駅前でも、紅葉を眺めました。

  1. IHJでは、先輩と戦争の話をし、前回取り上げた友人の新著『ウクライナ戦争と和平法則』を紹介しました。彼は「人間って愚かな生き物だね」とつぶやきながら、「読んでみる」と言ってくれました。

  1. 武蔵小金井駅前のコンサートホールでは、モーツァルトの「レクィエム」

モツレク)を妻と二人で聴きました。

(1)今年2回目のモツレクです。

(2)前回は中高OB 主体の合唱団によるコンサートで、そこで歌った3人が今回は別の合唱団に誘われて、助っ人として参加しました。

(3)おまけに誘ったのは私の弟です。彼の方はメンバーの減少に悩んでおり、3人はまた歌えるのは有難いと喜んで誘いに乗りました。

4.前回は総勢120人強の大合唱団でしたが、今回は40人と小規模でした。

 3人の中には、女性も一人いますが(本職は現役の女医さん)、以下は録音を後で聴いた彼女の感想です。

(1)「4月の麻布モツレクは大合唱で、とても感動的でした。

今回の少人数もよかったです。よく響く男声の間から美しいソプラノが聴こえてきました。女子が年配だから美しいのだと思いました。声がむやみと若くない・・・」。

(2)「私は7年前に、ザルツブルク大聖堂で,やはり少人数の聖歌隊と一緒に歌ったことがあるのですが、その時を思い出しました」。

(3)彼女は自分の家族葬にはモツレクを流してもらうつもりで、2回歌ったうちのどちらの録音を使おうか、迷っているとも言っています。

5.最後に、『レクィエムの歴史、死と音楽との対話』(井上太郎、平凡社選書、1999)からの受け売りです。

(1) レクィエムは本来、「死者のためのミサ」冒頭の「主よ、彼らに永遠の安息を与え給え」という祈りに由来する教会音楽だった。

(2)19世紀後半以降大きく変わり、「あらゆる宗教を超越した地球人としての祈りがこめられる」曲になった。

1995年、第二次世界大戦が終わって50年目、ドイツで「和解のレクィエム」が演奏された。互いに戦った国々の14人の作曲家による合作である。

(3)いつの時代であっても、レクィエムを書く作曲家は、曲を書きながら何度も死と対話するに違いない。だからそこには作曲家の死生観があらわれる。

(4) 1791年、モーツァルトの死の年に作られた最後の作品レクイエムK626は、未完に終わったが、上述書で著者は、

「(そこから)感じとられる彼の死に対する考え方は、聴く者の心の底まで沁み透って行くのだ。この曲はモーツァルトの死後、最高の讃辞に包まれた」

と述べて、1787年31歳の彼が病む父に書き送った手紙の一節を引用します。

――「死というものは僕たちの生にとって真の最終目標なのですから、僕は数年このかた、この人間にとって真実で最上の友と非常に親しくなっています。(略)心を安らかにし、慰めてくれるものなのです」――

今年2回目の「モツレク」を聴きました

(写真1―東大の銀杏4157)

  1. 東大駒場構内の銀杏並木はいま黄金色に染まっています。

六本木の国際文化会館(IHJ)でも武蔵小金井駅前で、紅葉を眺めました。

(写真2-IHJ4148)

  1. IHJでは、4歳年上の先輩と戦争の話をし、前回取り上げた友人の新著

ウクライナ戦争と和平法則』も紹介しました。彼は「人間って愚かな生き物だね」と繰り返しつぶやきながら、「読んでみる」と言ってくれました。

(写真3-武蔵小金井4138)

  1. 武蔵小金井駅前のコンサートホールでは、モーツァルトの「レクィエム」

モツレク)を妻と二人で聴きました。

(1)4月以来、今年2回目のモツレクです。

(2)4月は中高OB 主体の合唱団によるコンサートで、そこで歌った3人が、今回は別の合唱団に誘われて、助っ人として参加しました。

(3)おまけに誘ったのは武蔵小金井在住の私の弟です。彼の方はメンバーの減少に悩んでおり、3人はまた歌えるのは有難いと喜んで誘いに乗りました。

(写真4-モツレク4140)

4.4月のコンサートは、総勢120人強の大合唱団でしたが、今回は40人と小規模でした。

 今年2回も歌った3人の中には、女性も一人いますが(本職は現役の女医さん)、以下は録音を後で聴いた彼女の感想です。

(1)「4月の麻布モツレクは大合唱で、とても感動的でした。

今回の少人数もよかったです。よく響く男声の間から美しいソプラノが聴こえてきました。女子が年配だから美しいのだと思いました。声がむやみと若くない・・・」。

(2)そして、「私は7年前に、ザルツブルク大聖堂で,やはり少人数40人ほどの聖歌隊と一緒に歌ったことがあるのですが、その時を思い出しました」。

(3)彼女は自分が他界したときの家族葬にはモツレクを流してもらうつもりだそうです。2回歌ったうちのどちらの録音を使おうか、迷っているとも言っています。

(写真5-本4165)

5.最後に、『レクィエムの歴史、死と音楽との対話』(井上太郎、平凡社選書、1999)からの受け売りです。

(1) レクィエムは本来、「死者のためのミサ」冒頭の「主よ、彼らに永遠の安息を与え給え」という祈りに由来する教会音楽だった。

(2)19世紀後半以降大きく変わり、「あらゆる宗教を超越した地球人としての祈りがこめられる」曲になった。

1995年、第二次世界大戦が終わって50年目、ドイツで「和解のレクィエム」が演奏された。互いに戦った国々の14人の作曲家による合作である。

(3)いつの時代であっても、レクィエムを書く作曲家は、曲を書きながら何度も死と対話するに違いない。だからそこには作曲家の死生観があらわれる。

(写真6-4178プログラム)

(4) 1791年、モーツァルトの死の年に作られた最後の作品レクイエムK626は、未完に終わったが、上述書で著者は、

「(そこから)感じとられる彼の死に対する考え方は、聴く者の心の底まで沁み透って行くのだ。この曲はモーツァルトの死後、最高の讃辞に包まれた」

と述べて、1787年31歳の彼が病む父に書き送った手紙の一節を引用します。

――「死というものは僕たちの生にとって真の最終目標なのですから、僕は数年このかた、この人間にとって真実で最上の友と非常に親しくなっています。(略)恐ろしいものであるどころか、むしろ心を安らかにし、慰めてくれるものなのです」――

『ウクライナ戦争と和平法則』(廣田尚久著)

  1. 今回は、友人の新著『ウクライナ戦争と和平法則』(廣田尚久著、東京図書出版)の紹介です。

(1) 同封された手紙には、「(6月の)クラス会で相談に乗って頂いた本は、こういう形になりました」とあり、

(2)「ロシアが軍事侵攻したとき、先の世界大戦を知る最後の世代として何か書いておかなければならないと思い、(略)私の専門である和解や紛争解決に引き付けて、(略)和平の法則性を記述の中心にしました」。

  1. 著者は中高・大学で一緒の、尊敬する友人です。

(1)本職は弁護士ですが、法政の大学院で教え、多数の著作があります。

コロナ以降は執筆に専念し、「共存」という価値観のもとに社会を構築する「共存主義」を提唱しています。

(2)民事が専門ですが、「訴訟」に代えて「調停」や「仲裁」による「和解」を目指し、実際の事件の幾つかをこの方法で解決しました。

(3)「訴訟」は、裁判による物理的強制力をともなう「勝ち負けを決めるシステム」です。

対して「和解」は、裁判によらずに当事者の自由意思を尊重し、「私的自治」の理念に基づいて紛争を解決する仕組みです。

(4)その考え(「紛争解決学」)が国家間の戦争にも応用できないかを述べたのが本書です。

  1. 以下、内容を簡単に紹介します。

(1)まずは戦争、具体的には20世紀以降の主要な戦争の歴史を理解し、ウクライナ侵攻の現実を検証する。

(2) その上で、「和平」とは、「戦争の決着を勝ち負けによって決するのではない」という理解に立って、和平に導くにはどういう「法則」が必要かを考える。

(3)そこで彼が提案する「法則」とは、

・「戦争から和平に導くことは極めて困難である」という認識を持ちつつ、

・「和平の論理は戦争の論理とは真逆である」ことを理解し、

・「何とかして、対話と合意に向けて努力する」。

・そのためには「「赦し」という協調のカードを使わざるを得ない」

・「正義を掲げていては和平はできない」

・「懲罰は和平に有効性を持たない」

・具体的には、「調停」や「仲裁」の有効性を信じ、「過酷な条件は和平後に禍根を残すので避け」、「卓抜した和平案を出すこと」が必要である。

  1. 以上は、「戦争が起こったあとで和平をする法則」の考察です。

著者は最後に、そもそも戦争のない世界を実現するためにはどうすべきかも考えます。

そのためには戦争の種子を取り除くことに尽きるとして、

(1)資本主義から、「共存」を価値に据えた共存主義社会へのシフト

(2)核廃絶軍縮への取り組み

(3) 国家の存在が戦争の土壌になっていることを認識し、できるだけ、国家、国家と叫ぶのはやめようと意識すること

という夢を語ります。

5.所詮理想論ではないかと批判されることを覚悟のうえで、敢えて提言を試みる同年齢の友人の情熱には心を打たれました。

本著の「おわりに」で彼は、「戦争から和平へという社会現象に法則性を探求することは、社会科学を研究するものにとっては常道的な在り方だと思う」と述べ、「戦争のない平和な世界が到来することを祈りつつ」と書いて本書を閉じます。