今年2回目の「モツレク」を聴きました

(写真1―東大の銀杏4157)

  1. 東大駒場構内の銀杏並木はいま黄金色に染まっています。

六本木の国際文化会館(IHJ)でも武蔵小金井駅前で、紅葉を眺めました。

(写真2-IHJ4148)

  1. IHJでは、4歳年上の先輩と戦争の話をし、前回取り上げた友人の新著

ウクライナ戦争と和平法則』も紹介しました。彼は「人間って愚かな生き物だね」と繰り返しつぶやきながら、「読んでみる」と言ってくれました。

(写真3-武蔵小金井4138)

  1. 武蔵小金井駅前のコンサートホールでは、モーツァルトの「レクィエム」

モツレク)を妻と二人で聴きました。

(1)4月以来、今年2回目のモツレクです。

(2)4月は中高OB 主体の合唱団によるコンサートで、そこで歌った3人が、今回は別の合唱団に誘われて、助っ人として参加しました。

(3)おまけに誘ったのは武蔵小金井在住の私の弟です。彼の方はメンバーの減少に悩んでおり、3人はまた歌えるのは有難いと喜んで誘いに乗りました。

(写真4-モツレク4140)

4.4月のコンサートは、総勢120人強の大合唱団でしたが、今回は40人と小規模でした。

 今年2回も歌った3人の中には、女性も一人いますが(本職は現役の女医さん)、以下は録音を後で聴いた彼女の感想です。

(1)「4月の麻布モツレクは大合唱で、とても感動的でした。

今回の少人数もよかったです。よく響く男声の間から美しいソプラノが聴こえてきました。女子が年配だから美しいのだと思いました。声がむやみと若くない・・・」。

(2)そして、「私は7年前に、ザルツブルク大聖堂で,やはり少人数40人ほどの聖歌隊と一緒に歌ったことがあるのですが、その時を思い出しました」。

(3)彼女は自分が他界したときの家族葬にはモツレクを流してもらうつもりだそうです。2回歌ったうちのどちらの録音を使おうか、迷っているとも言っています。

(写真5-本4165)

5.最後に、『レクィエムの歴史、死と音楽との対話』(井上太郎、平凡社選書、1999)からの受け売りです。

(1) レクィエムは本来、「死者のためのミサ」冒頭の「主よ、彼らに永遠の安息を与え給え」という祈りに由来する教会音楽だった。

(2)19世紀後半以降大きく変わり、「あらゆる宗教を超越した地球人としての祈りがこめられる」曲になった。

1995年、第二次世界大戦が終わって50年目、ドイツで「和解のレクィエム」が演奏された。互いに戦った国々の14人の作曲家による合作である。

(3)いつの時代であっても、レクィエムを書く作曲家は、曲を書きながら何度も死と対話するに違いない。だからそこには作曲家の死生観があらわれる。

(写真6-4178プログラム)

(4) 1791年、モーツァルトの死の年に作られた最後の作品レクイエムK626は、未完に終わったが、上述書で著者は、

「(そこから)感じとられる彼の死に対する考え方は、聴く者の心の底まで沁み透って行くのだ。この曲はモーツァルトの死後、最高の讃辞に包まれた」

と述べて、1787年31歳の彼が病む父に書き送った手紙の一節を引用します。

――「死というものは僕たちの生にとって真の最終目標なのですから、僕は数年このかた、この人間にとって真実で最上の友と非常に親しくなっています。(略)恐ろしいものであるどころか、むしろ心を安らかにし、慰めてくれるものなのです」――