口舌の徒から反省の弁

1. 新潟・福島などの記録的暴雨のあと、今度は日本列島すべてが猛暑におおわれているようです。自然は厳しいです。
厳しい夏を何とか元気に乗り切りましょう。


2. 私が夏過している長野県八ヶ岳山ろく蓼科高原は幸いに東京や京都ほどではありませんが、それでも昔に比べれば、暑くなりました。鹿も増えました。
いかに暑くても、皆さんにとっては8月というのはやはりお盆休みがあったり、子どもたちの夏休みだったり、高校野球があったり・・・楽しい季節でしょうか?


私個人にとっては、或いはこの世代の人間は大なり小なりかもしれませんが、ちょっと気の重い月ではあります。毎年、この月のブログにそんなことを書いているような気がしますが、

原爆の日敗戦の日と続くわけです。


「敗戦忌日がな丸山真男読む」という友人の句を思い出したりしています。

家人は、茅野市の図書館から借りた『永遠のゼロ』というゼロ戦と特攻で死んでいった人たちを主人公にした小説を読んで大いに感動したようです。
「最後は号泣した」という友人の言葉で、東京北沢の図書館で借りようとしたら200人待ちと言われたそうで、茅野のほうが簡単に借りられたようです。


2006年出版というのに、まだ読者が多いというのは、この戦争の悲劇を小説を通してでも知る人が増えるというのは、大事なことではないかと思いました。



2.私も読んでみたいと思いつつ、ちょっと急ぎの仕事があって、先延ばしです。
昨日、原稿を書き上げて、最後の「おわりに」の文章を編集者にメールしたところで、
今週は、22日〜26日京都の古巣の大学での集中講義の準備をあわててやる予定です。

おまけに、ちょっと夏風邪をこじらせて、やっと良くなりましたが、しばらくぐうたらしていました。
諏訪中央病院という、『がんばらない』という本と在宅医療をすすめることでよく知られた鎌田実さんがかって院長をしていた病院に、3回通いました。

なかなか感じの良い病院で感心しました。
いうまでもなく、病院というところは、こちらが体調悪かったり、病気の縁者を見舞いに行ったりするところですから、「行ってよかった、感じ良かった」と思うほうが無理な場所に違いありませんが、ここは、なかなか、お医者さんも、受付も、ボランティアの人たちも、みんな気持ちよくて、過しやすいところでした。
それに、八ヶ岳を遠くに眺めるロケーションも恵まれています。

都会に居るより田舎暮らしが恵まれていることは決して少なくないですね。
この病院もその1つかもしれません。


3.そんな風に私自身は高齢を実感していますが、他方で、ほぼ同年齢の元気な老人が多いということにも最近驚いています。


例えば、中学・高校の同級生が2人、2週間ほど前に我が家にも来て、夕食をともにしましたが、この2人は、何と、南アルプス仙丈ケ岳北岳という3000メートル級の山を2つぃ登頂したあと、下山して蓼科に寄り道したものです。


そうかと思うと、原村というペンション村があることで有名な避暑地が茅野の隣にありますが、ここの某ペンション経営のご夫妻がアレンジして、某日の午後、慶応カントリーミュージッククラブOBの演奏会が開かれ、おそらく60〜70歳台のメンバーがみんな元気でアメリカの賑やかな民謡を演奏してくれました。

近くに住む引退したお年寄り中心に満員の盛況でしたが、出席者もみんな元気で、中にはテンガロンハットをかぶったカウボーイ姿の高齢の男女が演奏に合わせて楽しそうに踊っていました。


4.そうかと思うと、ここには私より、1回りぐらい年下の方がけっこう住んでいて、充実した日々を過している人が多いことに最近気が付きました。


私の田舎の住まいは、蓼科の南の八ヶ岳山ろくに約40年前住宅地を開発したもので、海抜1300メートルぐらいですから夏は快適で冷房は不要ですが、冬は、まことに厳しく、零下10〜20度まで下がり、雪もそこそこつもります。


そんな厳しい環境に、会社を早期退職してご夫婦で移住して、1年の大半を住んでいる人が増えてきているようです。

私も昨年、定年退職して、とくに夏はこの地で過す時間が長くなったので、そういう人たちとの付き合いが徐々に生まれました。
話を聞いてみると、なかなか楽しい人たちです。


5.例えば、某大手楽器会社を退職した某氏は、音響の専門家で現役時代は大きな音楽ホールの設計を手がけたそうです。いまも、頼まれて全国の企業に音響設計の手伝いにボランティアで出かけている。
この地ではごく気楽に出向いてくれて、技術のさっぱり分からぬ我々夫婦を助けてくれて、先週は壊れたオーディオのスピーカーを取り付けてくれました。
かたがた、この地に住む有志と落葉松の伐採をやるボランティアに取り組んでいて、一本はしごで木の高いところまで登るという。



 また某建築会社を早期退職した某々さんは、この地に永住、地下に自ら工房をつくって、大抵の設備・工具をそろえていて、家具や工芸品を作ってしまう。頼まれて、あちこちのお宅用にも作ってあげる。某さんと、落葉松の伐採ボランティアの仲間でもある。

6.だいたいが60歳代の初めでしょうか。
楽しく元気で、かつ人のために役だつことに喜んで労力を提供する・・・・
なかなか魅力のある人たちです。


そういえば、冒頭に触れた、原村でペンションを経営するご夫婦も、もと鉄鋼マンでロンドンやロス駐在も長い。
いまはご夫婦で滞在客に地元の食材を使った料理を提供し、庭の草花をきれいに手入れしています。
中高大と一緒だったある友人に言わせると「いまが、いちばん生き生きしているんじゃないか」とのこと。


7.彼らが言うことで面白いと思うのは、
「サラリーマン時代は、時間がないから、付き合いが会社の仲間中心だった。
いまは、いろんな人と知り合いになる。それが楽しい」という発言です。


それにしても、「ものづくり」というか、何か手仕事が出来るというのは、幾つになっても見ていて楽しそうですね。


私なんか、大学を出て、銀行・関連会社・大学と渡り歩いて、手仕事やものづくりの労働をしたことがない、まさに「口舌の徒」(口先だけの人間)は、こういう人たち(職人という言葉を私は尊敬語で使いたいですが)をたいへん羨ましく思っています。