キング牧師の「私には夢がある」をインターネットで聴ける、夢のような時代


1. 前回はアメリカの市民運動・人権運動が最高の盛り上がりを見せた「1963年ワシントン大行進」から50年経った昨年8月に、タイム誌が特集号を組んだことを書きました。
「最初に聞いたときは強烈な感動を受けた」というFBのコメントを頂いたように、この日のプログラム悼尾を飾るキング牧師の「私には夢がある」は、20世紀の名演説と言われます。


因みに、少し古いですが1999年のアメリカの世論調査ギャロップ)で、「20世紀を通して世界で最も尊敬する人物は?」の第1位はマザー・テレサで、キング牧師が第2位だったそうです。
同じような調査を日本でやったら、どういう答になるでしょうか?


また、アメリカ人は何事にも、ランク付けをしたり格付けをしたりするのが好きですが、キング牧師のこの演説が名スピーチの第1位、ケネディ大統領の就任演説が第2位、というのがほぼ定着しています。
「100の名演説(Top 100 Speeches)」というインターネットのサイトもあって、何度も聞いて「自分も将来こういう風に語りたい」と熱心に勉強する人も多いことでしょう「スピーチ」の定義にもよるでしょうが、この「100」には政治家の「演説」が多く、前に(ブログ)でも紹介した、2005年スタンフォード大学卒業式でのスティーブ・ジョブズの「スピーチ」が入っていないのはまことに残念です。

ジョブズの「スピーチ」は、政治家や説教家特有の、力強いメッセージを大衆に語りかけて「鼓舞する(inspire)」するという英米人好みの「演説」ではなく、むしろ日本人好みの「静かな語り」という印象を受けて、個人的にはとても好きです。
彼は卒業する大学生を前に、「点と点がいつか繋がること(connecting the dots)を信じて、好きなことをやれ」「人生において失うことと愛することの意味」そして「死」について、声高ではなく淡々と語り、最後は、良く知られた「ハングリーであれ、愚かであれ」というメッセージで終わります。

キング牧師ジョブズの「語り」が私の好きな・英語のスピーチの双璧と考えますが、それなら、日本人の日本語による「言葉」で印象に残り・繰り返し聞きたくなるものは、何かあるだろうか?
と時々考えるのですが、残念ながらあまり思いつきません。


もちろん、私たちは「言葉」でinspireするという習慣はあまりないし、そもそも日本語はリズム感のあるダイナミックな言語ではない、ということはあるでしょう。
それでも、心に響く・日本語の「スピーチ」はたくさんあると思うのですが、「日本語の名スピーチ」というキーワードでグーグル検索をすると、やはり、キング牧師だのジョブズだの(或いは、マララ・ユフザサイの国連での)が真っ先に出てきて、びっくりします。

実は私は、もし仮に外国人に「何かあるか?」と訊かれたら、
東日本大震災に当たっての天皇陛下の「言葉」、約6分と短いものですが、を紹介したいと思うのですが、如何でしょうか?
宮内庁のサイトがあり、いまもヴィデオで聞くことができます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h02
ヴィデオは日本語だけですが、文章は英訳されて読むことができます。


2 何れにせよ、いまインターネットのおかげで本当に便利な時代になりました。
私が学生の時は、ケネディの就任演説のレコードを(当時の私にしては)大枚を払って購入して、何度も聴いて覚えようとしました。いまこれら全ての「スピーチ」を無料で聞けるのですから夢のようです。
スピーチだけではなく、歌も何でも聞くことも出来てもちろん歌詞が付いているのもあります。
例えば、私は大昔、ニューヨークで観たミュージカルの「ラ・マンチャの男」(日本でも染五郎が長い間舞台上演しました)の中の「見果てぬ夢(The impossible dream)」というドン・キホーテが歌う主題歌が大好きになりました。
ところが当時は、これをひとり楽しく風呂の中かなんかで「がなる」には歌詞が分からない。
仕方なく、レコード店で楽譜を買ったり、本屋で原作(戯曲)を買ったりして覚えました。お陰で今でも口ずさむことができますが、そこそこ苦労したものです。今では、もちろんYoutubeで(歌詞付きを含めて)いろいろ聴くこともできます。
http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
「見果てぬ夢」だけではなく「峠の我が家」だろうが「りんごの木の下で」だろうがジョン・レノンの「イマジン」だろうが何でもOKです。


以下2つ、フランク・シナトラ歌う「峠の我が家」は歌詞は付いておらず、「りんごの木の下で」は演奏のみですが、何れも愛聴しています。
http://www.youtube.com/watch?v=v4Krxfb7_Sg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=p-gxmlJobbE&feature=related

英語を好きになるには、歌の文句を覚えて歌うか、「スピーチ」を聞いて自分でもちょっと喋ってみるか、耳から覚えるのがいちばんいいのではないか、とかねて考えているのですが、こういうやり方がどんなに簡単になったか、今の若者が羨ましくてなりません。PC相手にゲームをする時間のほんの少しをこういう「遊び」に向けたらどうか、と思います。


それと、「中学や高校で習っても一向にうまくならないし、むしろ英語が嫌いになった」という若者が多いのですが、耳で聴くツールがこんなに山のようにある時代に、残念だなあと思います。
同世代の友人が「最初にキング牧師の演説を聞いた時は感動した」という、そういう経験を多くの日本の若者に味わってもらいたいと切に願います。
それは、おそらく英語だけではなく、日本語に対する感性も育てるのではないか、と考えるのですが如何しょうか?

3.最後になりますが、タイム誌特集号に載った寄稿で、ある歴史学の教授が、「私には夢がある」というキング牧師の名演説に触れつつ、
(1) こういう「説教師的語り口」―聖書や憲法を引用しつつ単純に力強く格調高く、言
葉と力と道徳的な価値とを結びつける—が,その後の大統領の演説などにも大きな影響を与えて、伝統が受け継がれている
(2) 他方で、「ポスト・モダンのスピーチ」と言うか、静かに語りかける「スピーチ」も
出てきている

と書き、後者「ポスト・モダンの」の例として、黒人射殺事件の判決に触れたオバマのスピーチをあげているのが印象に残りました。
これもブログに触れましたが、
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130721/1374364715
射殺した警備員を正当防衛で無罪とする判決に対する、主として少数民族からの抗議が高まる中、オバマが判決の1週間後に語ったスピーチです。
彼は、2013年7月19日、異例の・予告のない記者会見を行い、きわめて個人的なトーンでこの事件への自らの思いを、淡々と、時につっかえ、時に考えながら、自らの言葉で語った。
・ もちろん、判決を尊重する立場で、これへの批判は一切なく、
・ かつ差別問題が現状はるかにに前進していることも認めた上で(「私の2人の娘は、私の子供時代よりはるか良い時代に生きている」)
・ その上で、差別・格差が存在する現状について国民ひとりひとりが、自分の心にもう一度問うて欲しい、考えて欲しい、soul searchingをして欲しい、と呼びかけ、以下のように語りました。

――「35年前の私は、おそらく射殺された少年トレボンと見分けが付かなかっただろう。
黒人の若い男性であればいままでに以下のような経験を何度もしているだろう。
デパートで(店の警備員から)あとを付けられたこと
路上を歩いていたら、路肩に車を停めた車内に居た人が車のロックをする「カチッ」という音を聞いたこと
エレベーターに2人だけ乗り合わせたとき、同乗の女性がその間ずっと、ハンドバッグを握り締めていたこと
そして、私も(議員になる前のことではあるが)何度も同じような経験をしている――


最後の・自らの体験に触れた「静かな語り」はその後アメリカのメディアが度々引用し、上にあげたタイム誌の記事では2回、この部分をそのまま引用しています。
ということで私もここで再度紹介しました。