『ある正金銀行員家族の記憶』(八木和子)を読む

1. 本郷の東大キャンパスを歩き、三四郎池の写真を撮って、前回載せました。
犬を二匹並べて撮影している女性もいて、のどかな風景でした。

他方で、世の中は米中関係、Brexitの行方、パリの大規模デモなど先進国も不穏のまま年を越しそうで、気になります。
それに比べて、ここ2回触れたオーストラリアはやはり「ラッキー・カントリー」です。中国人の移民が増えて不動産価格が高騰して、若者は住む家に苦労している、といった話も前から聞きますが、それでも魅力的な国のようです。
オーストラリアのようにG20にも入っていないし、大国ではありませんが、ニュージーランドはもっと魅力的な国のように思えます。
NHKの国際ニュースを見ていたら、ニュージーランドで「週休3日で生産性を維持している」会社が話題になっているという特集を報道していました。


何せ、首相が生まれたての赤ちゃんを連れて国連総会に出席した国ですから、素敵だと思います。ちょうど日本の国会議員団が出張していて、表敬訪問に行ったら、首相は
授乳中でびっくり仰天したという記事を読みましたが、ほほえましいですね。


私事ですが、前にブログに書きましたが、ロンドンで働く次女は2月に2番目の子を出産し、まだ授乳中の8か月目の10月に、やはり赤ん坊を連れて日本に出張でやってきました。いまは、金曜日を自宅で仕事する日に決めているそうです。お陰で、上の子の学校への送り迎えを普段の日はナニーさんと亭主に頼んでいるのですが、金曜日は彼女が車を運転して担当する由。
ニュージーランドほどではないにせよ、たぶん日本よりは女性の働く環境としては恵まれているように思います。
この違い、どこから来るのでしょうね。


少なくとも「違い」を知ることは大事ではないかと考えたのは、贈呈して頂いた2冊の本を読んだからかもしれません。

1冊は私家本で、『ある正金銀行員家族の記憶』(八木和子)、もう1冊は『公卿(くぎょう)会議』(美川圭、中公新書)です。


2.『ある銀行員の〜』は戦前、横浜正金銀行(正金)で勤務した今川義利氏のお嬢さん八木和子さんが書かれたものです。「正金は、明治13年、日本の貿易を支える金融機関として設立され、世界の三大為替銀行の一つといわれた」と八木さんは書きます。


(1)八木さんは、昨年の末までにこの回想録を書き上げ、今年の3月、98歳で逝去。
本書は6月に出版されました。
八木さんの姪御さんが、昔の職場で一緒だった友人の奥様にあたることから、本書を恵贈して頂きました。
つまり今川氏は、友人の奥様の祖父にあたります。
「昔の職場」というのが、戦後になって正金を継いで出来た銀行なので、同氏は大先輩でもあり、戦前の、とくに海外での活躍ぶりをたいへん興味深く拝読しました。


(2) ご家族にとって幸運なことに、戦前の正金勤務時代の手紙や資料、写真などがすべて残っていて、それに加えて、大正9(1920)年ロンドンで生まれ、その後、父親の海外転勤にもすべてついていった著者の鮮明な記憶が加わり、貴重な記録になっています。
執筆を続けたのは著者90歳代のときですが、高齢ながら記憶力も文章力もしっかりしています。40代のときには、女性の発明くふう展というのに出品して、科学技術庁長官賞を受賞したという方です。


(3)今川義利氏は、明治26年水戸で生まれ、仙台の旧二高から東大を出て、大正6年に正金に入行。
以後、1943年戦争開始とともに捕虜になって、交換船で帰国するまでの24年間をほとんど海外で勤務しました。

入行後3年目にサンフランシスコ、以後、若干の国内勤務を挟んで、ロンドン、上海、大連・奉天(何れも当時は満州国)、カルカッタ(インド)、スラバヤ・バタビア(当時のオランダ領インド、現在のインドネシア)と、まあよく海外勤務が続いたものです。
3年ぐらいで転勤・移動しています。苦労も多いが、良い経験だったでしょう。

本人はともかく、「同伴される家族の方はある意味悲劇である。自分の意志で動くわけではないから、幸運なこと、楽しいことはあっても、それ以上に悲しいこと、災難、さまざまな別れなど、運命に翻弄され続けることになる」と著者は書いています。
たしかに、振り回されたでしょうね。しかし、それだけ、小さな子供だった著者を含めて、皆さんそれなりにたくましくなったのではないか、「違い」を知り、見方を拡げることにもなったのではないかという気もします。

(4) 氏は25歳で初めて異国に行き、アメリカに勤務。当時、正金の先輩からよく言われていたのが、「よく学び、よく学び、よく遊び」だったそうです。
最初の学びはもちろん仕事だが、2番目の「学び」は、「当時手本とされていた英国紳士と対等につきあえる教養を身につけること・・・特に基督教を理解し・・・モラルと正義感を合わせ持つ、立派なジェントルマンであることを目指したのである」と著者の八木さんは書きます。
「よく遊べ」とは、「外国人との付き合いには欠かせない遊びの習得である」とあります。

そういう時代だったのでしょうね。
いまのトランプさんのアメリカとは、天と地も違うような気もしますが。


今川氏の場合は、水戸中時代に熱心に教会に通い、英語を学び、やがて二高時代に洗礼を受ける。教会で一緒だった女性と結婚する。
東大では、大正デモクラシーと言われた時代に、「民本主義」を唱えた吉野作造の薫陶を受ける。
したがって、2番目の「よく学ぶ」は習得が早かったでしょう。
そしてこういう教育環境にも、「ある時代」を感じます。



(5)海外勤務の話は、いろいろと興味深いですが、1つだけあげると、
インドのカルカッタ支配人から、いまのインドネシアに転勤するにあたって、現地行員一同から感謝状を贈られたそうです。
「インド勤務最後の日、勢ぞろいしたインド人の現地行員たちが、まるでマハラジャの品のように美しい、本体が銀製で精密な金細工がほどこされた免状入れの筒に入れた感謝状を持ってきたから皆がびっくりした」とあります。
クリスチャンということも、同氏の人柄に影響を与えたのかもしれません。
前例のない出来事だそうで、しかも感謝状の日付は1939年6月24日。開戦の2年半前ですが、すでに日英関係はデリケートな時期。しかもインドは英国の植民地でした。


(6)今川氏の、捕虜になってからの言動もなかなか立派だったようですが、紹介する紙数が尽きました。
教育や家庭のせいか、社会全体の空気のようなものか、昔はそれなりの立場にあって立派な人物が(もちろん今と同じく、威張ってばかりの碌でもない人間も多かったでしょうが)いたように思います。
いまも、どこかにおられるのでしょうか。お会いしたいものです。


3. 最後に、京都で知り合った、中高の後輩・立命館大教授の美川さんの本を紹介する紙数もなくなりましたが、同書はすでに日経の書評にも載り、毎日新聞磯田道史氏が、「今年の3冊」の1冊にあげています。