京都のボランティア団体「ミンナソラノシタ」まだ頑張ってます

f:id:ksen:20200125144834j:plain

1. 年に2回発行する「あとらす」という素人雑誌の編集の手伝いをしています。

執筆者は全員アマチュアですが、大学の名誉教授など何人もいて、皆さん楽しく自由に寄稿してくれます。

最新の43号(ということは20年以上続いています)が届き、私は「パンデミック2020―ステイホームの中間報告」と題して、自粛生活での「雑感」を文章にしました。

f:id:ksen:20200126125120j:plain

  1. 1年前のちょうど今頃、京都に行ったことから書き始めました。

 中国での新型コロナウィルス発生がすでに報道されていましたが、まだあまり気にせず、多くの人に会いました。「京都の朝はイノダのコーヒから」も、割烹「松長」の夜も、楽しみました。

上洛の主目的である、毎年恒例の従妹の家でのカルタ会と二次会は、20人近い老若男女の親族が「密」そのもので騒ぎました。懐かしいです。

雑誌を、カルタ会主宰の従妹に送ったところ、「卓史さんでも、加茂川と比叡山を見て、ホッコリされるのですねえ。京都の人でないのに、そんな気分になられるのは、驚きです」という感想が来ました。私が本稿の冒頭に、「バスに乗って窓からみえる比叡山や鴨川を眺めるだけでほっとします」と書いたことへの感想です。メールには「加茂川」と書いてあって、どっちが正しいのかな?とどうでもいいことを考えています。

f:id:ksen:20210129102401j:plain

3,以来、上洛することができず、寂しく思っているところです。ただ、京都の友人の中には、365日ブログを書いたり、フェイスブックで近況報告をしたり、コメントを頂く方も居られるので、いつも身近に感じます。

今回は、その中から一般財団法人藤野家住宅保存会(https://fujinoke.kyoto/ )

理事長の藤野さんから、

・京都のボランティア団体「ミンナソラノシタ」(以下「ミナソラ」 https://minasora.org/ )

の最近の活動の拡散依頼メールを頂きましたので、取り急ぎ紹介いたします。

  藤野さんは、発足当初から顧問で、上述した雑誌「あとらす」の37号にも「ミンナソラノシタの2000日―福島の子どもたちを応援する京都のお母さんの奮闘記」という紹介文を書いて下さいました。

 頂いたメールには、

「スマイルボタン3.11プロジェクトという壮大な企画がスタートしました。

福島近郊に「ミナソラの家」を作ろうと、林リエさん(注:創始者で、代表。三児の母親で仕事も頑張っている女性)たちは張り切っています。

この頑張りはどこから来るのかと驚いています。プロジェクト紹介用のビデオも良くできているのでご覧ください」とあります。以下のサイトです。

https://minasora.org/smilebutton311

f:id:ksen:20210129100059j:plain

4.いままでの活動について簡単に触れると以下の通りです。

(1) ミナソラについては、過去のブログで何度も取り上げていますが、福島の幼稚園に通う子供たちを支援する、京都の若い母親たちの活動です。今年で10年になる3.11の原発事故の直後から始めています。有給や専任のスタッフはおらず、全て20人ほどの主婦の手仕事です。

 

(2) 最初は、京都で避難生活を続ける母親たちや、現地の幼稚園での支援などから始まりました。その後、「幼稚園留学」と銘打って、子ども達を3週間京都に招いて京都の幼稚園で自由に外で遊んでもらうという活動(福島では残存放射能の問題があり、なかなか難しい)も加わりました。

短期間でも京都に来て交流し、外で遊べることがどれだけ楽しい思い出か、「感謝している」と涙ながらに語る,映像に参加したお母さんもおられました。

(3)「ミナソラ」の活動が特徴的なのは、同年令の子ども達を持つ母親の間で、自然発生的に始まったボランティア活動であること、苦労はいまも多い、「暇な余裕のある人のやることではないか」という批判もないではない。しかしめげずに明るく、仕事や子育ての忙しい日々を縫って、自分たちが出来ることを地道に継続していること、などでしょうか。「継続は力なり」です。

(4) 5年以上前、私も藤野さんに誘われて、林リエさんと一緒に福島の幼稚園を訪れたことがあります。外で遊べない子供たちのために室内用の砂場の砂を寄贈するという目的でした。こういう状況での子育てに悩む母親たちの悩みを聞く機会もありました。

f:id:ksen:20210129101002j:plain

5.上にあげた藤野さんの文章は、このあたりのことをとても上手に書いています。

林さんについて、「その情熱は凄まじいものがあり、深い思いに溢れている」と紹介します。その上で、経営的にはたいへん苦しいが、マスコミ戦略や企業へのアプローチが巧い。従って心意気に共感したメディアにしばしば取り上げられるし、応援してくれる企業も出てきている、と報告しています。

f:id:ksen:20210129114644j:plain

6.林さん自身は、こう言っています。

(1) 原発のことも、福島のことも何も知らなかった私たち「ママ友」がこの活動を始めるにあたっては、何よりも子供たちの未来を全力で守る社会であって欲しいという願いが根底にある。

(2) 皆さんへの願いは、いまの福島を知ってほしいということ、まだまだ応援が必要だということ。

 

7.こんな地道な活動を10年も続けて、さらなる一歩を進んで、福島郊外に「こどもの家」を作ろうとしている、経営が苦しいというのに、さらに大きなプロジェクトに挑戦しようとしている。藤野さんではないが、「この頑張りはどこから来るのかと驚いています」、と同時に頭が下がります。

日本の未来は、こういう女性と若者に期待できるのではないでしょうか。