スズメたちのこと 東日本大震災から10年 

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  1. だいぶ春めいてきました。駒場野公園の小彼岸桜も咲き始めました。

コロナのせいで、ここ1年以上、東大と付属研究所の構内に入れません。

そこで妻と二人の朝の散歩は、代わりに駒場の住宅街を歩いていますが、近くの駒場小学校に通学する生徒たちに会います。黄色い帽子をかぶった1年生の3人組で、男の子1人、女の子2人がいつも一緒です。

中でも男の子が、物怖じせず、明るく・よく喋り、なかなか面白い。

子供たちが歌ったり踊ったりするNHKの番組に、学校の仲間と何度も出たとか、ドラエもんが大好きだとか、いろいろ喋ります。

「黄色い帽子は1年生のときだけかぶる。もうすぐ2年生になるから要らなくなり、妹に譲るんだ。頭の大きさがちょうどいい」と教えてくれました。

数日前に会ったときはかぶっていなかったので訊いたら、「きのうピアノの教室に忘れた」と言ってました。そこから、ママがピアノの先生だという話に拡がりました。

妻は「また、スズメたちに会った」と言って喜んでいます。

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彼らが成人したり、社会人になったりするときの日本と世界はどうなっているだろう?

 もう見届けることの出来ない老人は、何となく未来に不安を感じながら、楽しそうなスズメたちを眺めています。

 ぼんやりした不安は、今月11日が東日本大震災から10年、12日はコロナに襲われてWHOのパンデミック宣言から1年、という時期と関係あるかもしれません。震災から10年がこういう状況なら、コロナの負の影響もあと10年はいろんな形で続くかもしれない。

 

 そしてそのあと何が起きるか?この国は相変わらず「おじさん」の世界だし、気候変動も気になるし、米中対決も心配だし、2045年にはシンギュラリティと言って、「AI(人口知能)が人間の知能を超える」と主張する科学者もいる。・・・私たちの社会はどう変わるのでしょうか?

 

 

  1. 前回のブログで、田中〈美〉さんがフェイスブックで、藤野さんが京都新聞から取材を受けたと記事の写真を添付してくれたと書きました。

 

(1)今度は、従妹が親切にも、「藤野さんって、偉い人なんですね」という手紙とともに、同じ京都新聞の実物を送ってくれました。

「人生には、全く予期できないことが起こるもんだと、今さらながら感じ入っています。

コロナにしても、自然の脅威にうち震えます。私の生きているうちに、もうあんまり恐ろしいことが、起こらないようにと祈るのみです。じゃあ死後はなにが起こってもいいのかと言われそうですが」というメールも彼女から、3月11日の当日に入りました。

「関西は非常事態が解除され、日常の忙しさが戻りつつありますが、会食は全然ありません」。

 

(2)藤野さんは、震災直後、「災害ボランティア支援センター長」として、延べ500人以上の京都からバスで駆け付けたボランティアのリーダーとなりました。いまは、このブログでも度々「紹介している、「放射能汚染の不安を抱える福島の親子を京都で受け入れる団体「ミナソラ」の活動に加わっています。

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(3)その「ミナソラ」が、7日京都の妙心寺で「10年目の11会議」を開催しました。私はオンラインで視聴しました。

代表の林リエさんが司会進行をし、3人のパネリストの他福島からも3人がオンラインで参加し、現状報告がありました。

いろいろの発言の中で、私がいちばん記憶に残ったのは、

 

・代表林さんの,「私たちの活動は微力だけど、無力じゃないと信じてやっている」という言葉と、

・福島のある母親の言葉です。彼女は、母子で3週間の京都への幼稚園留学がどんなに楽しかったを思い出して語ったあと、

チェルノブイリ原発事故では、35年経ったいまも、ミナソラが京都の主婦たちの自主努力でやっているのと同じような事業を国がやっている」と語り、

最後に、「ミナソラが、ずっと継続して遠く京都から思ってくれて、つながっている気持ちが嬉しい。お願いがあるとすれば、皆さんもミナソラと同じように私たちを忘れないでほしい」と訴えました。

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  1. 遥か遠くロンドンでも11日、日本人会などが主催して「追悼のイベント」が実施されました。

やはりオンラインで、現地時間午後2時半(日本時間午後11時半)開始、2時46分には教会で黙とうがありました。私事ながら、在英国の次女の連れ合いも毎年チャリティのピアノ・コンサートを英国と日本で、もう30回以上開いています。

今年はコンサートは開けないので、代わりに大震災の鎮魂のために彼が作曲し・演奏した「Grace and Hop(祈りそして希望)」が映像のバックに流れました。

https://www.youtube.com/watch?v=rTeRxuW0T5s

 

5.老いたる私は、いまは貢献することはほとんどないのですが、福島の母親の言葉に応えて、せめて「思い出すこと。忘れないこと」だけは続けていこうと思っています。