『学問のすゝめ』(福沢諭吉)と「ミンナソラノシタ」の郡山行き


1.前回のブログではアメリカで「エリートがエリートを再生産する傾向が強まっている。来年の大統領選挙はクリントンとブッシュが対決するかもしれない。これは問題ではないか」という英国「エコノミスト」誌の特集を紹介しました。
今回も、まだこの問題を考えてみます。

「もしブッシュの息子が大統領候補になったとしてもブッシュ家だからなったのではなく、個人が優れていたからだったと考えるのが正しいと思う」というコメントをFBで頂き、「まさにその通りです」と返事をしました。

妙な言い方ですが、「優れている」から余計困ってしまう。エコノミスト誌の言葉を借りれば、「富や権力を通して、“頭脳”が相続されていく、そういう社会になっている」
ということです。
もちろんアメリカだけではないし、ある意味で当たり前だと思われるかもしれない。
しかし、アメリカの問題は、1つは経済的格差が飛びきり大きい社会であり、2つ目は、教育と富とのリンクが他国より大きいということです。
(実は日本もそうなりつつあるのではないか)

(1) 同誌は統計をあげて説明していますが、例えば、
・SAT (大学進学適性テスト)の成績と親の所得とが連動し、強まっている

・有名私立大学の授業料が高く、かつ平均の消費者物価指数(CPI)よりはるかに上昇率が高い。

その結果、中産階級にとって、経済的な負担がますます増大している。
アメリカの一流私立大学の入学は、試験の成績だけでなく、親がOBであったり寄付金やその他の要因で決められる。


(2)平行して、この国がますます、エリートの男性がエリートの女性と結婚する社会になっていることも統計をあげて立証しています。
そして彼らは、余裕もあるので大いに子供を生み、育て、彼らを良い学校に送り、情操教育や趣味を拡げさせることにも熱心である。
→「新しい貴族」がアメリカに生まれつつあると言える。これは問題ではないか。


どうすればよいか?
同誌は、解決は容易ではないが、最も重要なのは、教育システムを変えてもっと、貧しいが優秀な若者が良い教育を受けられるようにすべきであると主張します。
それは、アメリカ社会の活力と安定のために必要である(日本もそうではないか)


2.記事を読みながら、あらためて福沢諭吉の『学問のすゝめ』を思い起しました。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という有名な出だし(アメリカの独立宣言の一節から引用した)で始まる本書初編は、この節を以下で結びます。


「人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」

この言葉が、明治の初めの日本社会にどれだけのインパクトを与え、「近代化」に資するところがあったかを思い、
福沢が「門閥制度は親の敵でござる」と激しく攻撃した、その状況に戻りつつあるのか、という多少の危惧を感じざるを得ません。


3.もちろんそうは言っても、私たち普通の庶民にとっては「良い教育を受けて教養を身に付けてエリートになる」ということ自体が別の世界の話で、まずは「健康に、幸せに、家族仲良く」という願い以上はないかもしれません。


特に、幼い子供を持つ母親の願いは以上に尽きるのではないか、とあらためて認識したのは、京都のNPOのお供をして福島県の郡山に行ってきたからでもあります。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20140213/1392270839
約1年前に「ミンナソラノシタ」という団体をブログで紹介したことがあります。
http://minasora.org/

郡山の幼稚園と交流し、応援するという活動を続けてきて、今回、寄付金や活動資金が所定の額に達して、贈呈するものがあって訪れたものです。
その際に、幼稚園の先生や母親の方からいろいろと話を聞くことが出来ました。
放射能を心配し、食品や水や戸外で遊ぶこと、さらには運動不足や健康や将来のことを心配している母親の悩みが個別に出てきて、心が痛みました。

しかも夫々が、少しずつ異なった意見や疑問をもち、その背景にそれぞれに状況が違うという難しさがあります。状況がどう違うかというと、
・郡山から避難してそのままの人
・一時避難して、再び戻ってきた人
・ずっと郡山に留まっている人
・もっと原発に近くて放射線量も高い地域から移ってきた人・・・・・・
等さまざまです。
その上で個人の考えも、夫婦や家族でも違う、心配する度合いも違う、「やむを得ない。ある程度行政の言う事も信じよう」と諦めている人も、子供のためにそうは行かないと思っている人もいる・・・・場合によっては対立も生まれる・・・・
これは本当に難しいだろうな、と思いました。


京都向日市NPO「ミンナソラノシタ」は、まこと幼稚園の母親たちであり、幼稚園が決断して昨年、郡山からの母親と園児を7名、3週間、費用を負担して招待しました。
年に3週間でも被爆した土地を離れることは健康上意味があるという医学的根拠があるそうです。
この3週間、子供たちは向日市の幼稚園に「短期入学」し、芋ほりなど戸外で思い切り遊びました。泣いて別れを惜しんだそうです。この京都滞在が2人の母親と5人の子供たちにとってどれだけ開放感に溢れた日々だったか、どんなに楽しかったか・・参加した母親からお礼とともに報告がありました。
しかも、郡山に帰ると、また緊張した、心身ともに疲れる日々が続く・・・・

そんな話を聞いて、「エリートなんて何だ。私たちには、平凡な・健康な日々がいちばん大事じゃないのか。いい学校に進学するなんて、エリートになりたい連中に任せておけばいいじゃないか・・・」とも思いました。
この、昨年10月の、郡山から京都への「保養と幼稚園短期留学」は、関西テレビが報道し、その内容は以下の「ミナソラ」のホームページで見ることが出来ます。
http://minasora.org/archives/2530

向日市の「まこと幼稚園」は、もちろん経費がかかり決して楽ではないのですが、何とか今年も、たとえ少人数であっても続けたいと言っています。立派なものです。
ある母親からは「もちろん違う意見の人もいるだろうが、私は東電を全く信用していない」という発言もありました。