正調江差追分を聴く

1. 前回、NYのイェールクラブからペンステーションまで、ドクター・ジョン・マーリンと一緒だったことに触れました。
その先の記録も残しておくつもりですが、今回は、4月21日の土曜日、東京は上野駅から特急で1時間半、常陸多賀まで出かけた話です。

日立市多賀町の市民ホールで「正調江差追分を聴く会」という音楽会があり、これを聴いてきました。
4時間近い長丁場でしたが、会場はほぼ満員、高齢者ばかりか若い姿も見かけて、500人強の聴衆が最後まで熱心に・楽しんで聴いていました。


2. 私は、民謡は全くの無知・無学ですが、江差追分は昔、にしん漁で栄えた北海道江差町で歌い継がれてきた民謡で、これを歌う会が全国に150ほどあり、毎年、江差で全国大会が開かれるとのことです。

日立の支部長をしている某君が私の中学・高校の友人で、彼が委員長として10周年記念の大会を開催したものです。
某君は、本職はもと中小企業の経営者、父親の後を継いで詩吟の家元でもありますが、30年ほど前から民謡を歌いはじめ、とくに江差追分に「のめり込んで」支部を立ち上げました。


3. いまも、ユーチューブで聴きながら、ブログを書いていますが、
http://www.youtube.com/watch?v=KOYa2CRLIZA&feature=related

江差追分は、江戸時代中期、信濃追分の馬子歌がルーツだそうです。
越後に伝わり、そこから北前船でさらに各地に、少しずつ変化しつつ舟歌になっていったようです。
前唄・本唄・後唄に分かれ、いろいろ歌詞があるようですが、本唄の
「かもめの鳴く音に、ふと目を覚まし、あれが蝦夷地の山かいな」
がとくに知られています。

この日は、会員全員の合唱に始まり、それぞれがこの本唄を個別に歌いまくり、
さらに、これを、東京、函館、苫小牧等から駆けつけた、友情・応援出演の、全国大会の優勝者等のセミプロの方が歌ってくれます。
本職は秋葉原ですし屋をやっているという人も居ました。


この江差追分江差町長兼江差追分会長によると
「この唄には、その人の性格が表れると言います」
「死ぬまで修業の唄と言われています。その答えは遥か天空の彼方にしかないと言う師匠もいる」そうです。
素人の私にはまったく分かりませんが、
聴いていて、日本人の心にある「悲しみ」のようなものを感じました。

ル―ツである「小諸(もともとは、こもろでなく、こむろと発音するそうです)馬子歌」「越後追分」「本庄追分」などの披露もあり、かたがた、プロの津軽三味線二胡の演奏もある、というような次第で、まことに 盛りだくさんでした。

4. 因みに「追分節」というのは、
日本の民謡の中でも以下の特徴があり、いちばん難しいとされているようです。
・多くは朗々と声を響かせて歌う
・はっきりした拍節を持っていない。
・音域が広い
・母音を伸ばす・・・・・等。

この「母音を伸ばす」というのは、例えば、本唄の出だしの
「かもめの〜」であれば、わずか4語を28秒、息を継がずに一息で歌わないといけないそうで、かつ「喋るようにうたう」のだそうです。
だから、健康にもきわめて良いというのが、友人の大会委員長としての挨拶でした。


彼は、挨拶の他、
江差追分を会員の「トリ」として、また津軽三味線の伴奏で歌ったほか、他の人が歌う「ソイ掛け」の担当でもあり、大活躍で、特別出演のゲストからも「この方の 江差追分に対する情熱で10年続いている」という発言を多く聞きました。
夫人が日本舞踊の名取なので唄に合わせた踊りもありました。


因みに、この「ソイ掛け」というのは彼の補足説明によると
「民謡には「お囃子」の入るものが多く有りますが、江差追分の、その囃子に当たるものが
「ソイ掛け」というもので、唄の節の区切りごとに、最初は「ソイ ソイー ソイ」、
途中が「ソイ」というのが入ります。 唄い手を唄い易くするための、結構難しい大切
なものです」
ということで、
歌い手の後方に居て、高い声で、なかなか良いものです。



5. ということで、

地方都市の、地元の人たちが大勢集まり、出演者も気合が入って、なかなか良い雰囲気でした。
本唄を披露した会員の中には、小学生もいましたし、脳梗塞で倒れたがリハビリ中の3年前に歌い始めたという方も居ました。


これが日本の唄なんだなあと、あらためて感じながら座っていました。
小生には全く縁遠い・手の届かない世界ですが、
老いも若きも元気で歌い・踊り・演奏する姿はとてもよかったです。
また、友人夫妻が長年、日本の伝統文化の維持・継承や地域の活性化のためにも動いていることも素晴らしいと感じ、気持のよい週末を過ごしました。