「自由の気風はただ多事争論の間に在りて存するものと知るべし」

1. 古いブログに、お2人から初めて、全く別のコメントを頂いたので驚いています。
こんな昔の拙文を読んで頂いたことに、まずお礼を申し上げます。

かねて、頂いたコメントへのお礼と再コメントは本文に載せることにしていますので(実は他のやり方を知りませんので)今回も踏襲します。
ということは、他の方はおそらく関心がないと思うので、無視してください。


2. まず初めに、お断りをしておきたいのは、掲題にあげた福沢諭吉の言葉です。
誰もがいろんな意見や考えがあるでしょうし、全て同じということは無い。
だからこそ、お互いに異論を尊重し、議論することが大事で、丸山真男が、もっとも好きな言葉として、これを上げています。


当方も頂いたコメントの意見を尊重しており、貴重な情報だし、それに反対するつもりはありません、
ただ、当方が感じることや姿勢は、少し違うかもしれない。
その点はぜひご理解を欲しいと思います。

3. そこで、まず順序が逆になって恐縮ですが、2008年12月4日のブログへのojiasannのコメント、『パチンコの経済学』という本について、
(1) 著者については全く知りませんが詐欺師だというコメントまことに面白かったです。


(2) この本は「ギャンブルをテーマに卒論を書きたい」という学生がいて、私自身ギャンブルはやらないので、大学の図書館からいろいろ借りてきて読んだ1冊です。
図書館がどういう基準で選書し購入したかは分かりませんが、私は面白く読みました。言うまでもなく、ある社会現象を説明する本として面白く読んだので、それ以上でもそれ以下でもありません。
パチンコをやったことがないだけに今まで全く興味がなく、「なぜ、日本人はかくもパチンコに熱中するのか?」という問題提起を考えたことがなかったので、熱中する人からのメッセージを興味深く読みました(もちろん似たような本は一杯あるのでしょうが、たまたま図書館にはこれしかなかったのです)。

(3) そして、ここからは、ご異論のあるところだとは思いますが、
一般論として、私は、著者がどんな人、仮に社会的犯罪を犯した人、であっても、書かれた書物の価値とは必ずしも関係ない、道徳的な価値と、「ディスクール(言説)」の存在価値とは別個ではないか、と考えるものです。



もちろん詐欺師ではないし海外の古い例にはなりますが、「社会的犯罪を犯した」人物としては、例えば、マルキ・ド・サドジャン・ジュネが、有名ではないか。

読んだことはありませんが、ホリエモンの文章も、面白く読む人がいるだろうし、居ても構わないのではないか。

不謹慎と怒られそうですが、稀代の詐欺師、稀代の色事師が書いた「回想録」なんて、面白いかもしれない。

社会的犯罪とまでいかなくとも、不品行や道徳的に非難されるべき行動をした、しかし優れた作家、芸術家、は古来たくさん居ます。


例えば,島崎藤村の姪との事件は道徳的に許されない、と私も思いますが、しかし、彼は優れた文学者と考えます。

(4) もちろん、「詐欺師の書いた本など読むべきではない」というご意見もあるでしょうし、それが多数意見かもしれないし、否定するつもりは全くありません。ただ、繰り返しですが、違う意見も抹殺しないでほしいな、とは思います。


4.次に、2010年11月20日のブログ「なぜ、いまリンカーンか?」への再新のコメントを付けて頂いた、「Bruxelles 2012/10/01 07:39 はじめまして」さん、有り難うございます。

(1) いろいろと調査研究をしておられるようで、感心しております。
正直言って、まだ丁寧には拝読しておらず、これから時間をかけてゆっくり読ませて頂きます。日露戦争とシフの話など面白そうですね。いいブログを教えて頂き、感謝です。


(2) ということで、リンカーンを研究しておられる由。
「Lincolnはある意味アメリカの自由、平等の象徴的存在、従って歴史学会・言論界総出でLincolnのイメージを「お守り」してきたのだろう。長い間、合衆国の正義の切り札として。」

といった観点からのアプローチを「どう思うか?」というご質問を頂いたと理解しています。

正直言って、私は、年をとって大学院で「アメリカ研究」の修士号を取得したぐらいでアメリカ史、ましてリンカーンの専門家ではありません。
従って、意見を言うなど恥ずかしい限りですが、
以下、これも一般論として歴史上の人物についての私の関心の姿勢あるいはアプローチについて説明させて頂き、お答に代えたいと思います。

(3) 例えば、リンカーンでも、チャーチルでも、福沢諭吉でも、誰でもいいのですが、少なくとも彼らに関する「一次資料」が残っている場合、これをもっとも尊重したいと思います。

それ以外の、リンカーン(或いは、福沢諭吉)をめぐる様々な、まさに、おびただしい「言説」は、自分なりに取捨選択せざるを得ない。

その際に、例えば「実はリンカーンうつ病だった、ホモだった・・」とか「JFKは女狂いだった・・・」というような言説は、そういうことに興味を持つかどうかは、個人の趣味の問題で、構わないとは思いますが、私は興味がありません。


ユダヤ人陰謀説」だの「フリーメイソンがどうした、こうした」といった類の言説にも(興味を持つ人が居ても一向に構わないと思いますが)、全く関心がありません。


(4) 但し、「一次資料」が真実だと言っている訳ではありません。
一次資料と言えば、本人が書いたものが最重要で、福沢のような著述家の場合は膨大にありますが、リンカーンであれば、演説と手紙ぐらいしか残っていない。
そしてそこに「本音」を出しているかというと、必ずしもそんなことはない。
政治家等の「回想録」や「日記」が後世に読まれることを意識して、いかに事実を都合よく歪曲する場合が多いかは、よく知られています。


(5) しかし、それでも、本人が書いたものを読むことで、読み手がどう受け取るか?は人によっても異なるでしょうが、きわめて重要と考えます。


リンカーンであれば、少なくとも彼自身の「演説」や「手紙」を読むこと。
そこから彼が読み手に呼びかけてくるものは何か?
それを読み手は読み手なりに、どう受けとめるか?
ここにしか、リンカーンにアプローチする意味はない・・・・と私は考えています。