NY Timesの記事「自分自身のお通夜で(At His Own Wake)」

1. 今年最後の茅野市滞在ですが、八ヶ岳は初冠雪。昨日からは台風の影響で雨です。

前回は友人が教えてくれた「クオリティ・オブ・デス」について。
今回は、NY TIMEESの今年5月25日付の記事を紹介したいと思います。
https://www.nytimes.com/2017/05/25/world/canada/euthanasia-bill-john-shields-death.html
同じ友人がこのサイトも教えてくれました。カナダ発の長い記事です。本文だけで23頁あり、辛い内容ですが、「クオリティ・オブ・デス」の事例と言えるかどうか考えながら頑張って読みました。


実は、前回のブログに京都の下前さんから長文のコメントを頂きました。
「日本は人工透析も含めた終末期医療に年間5兆円超の費用を使っている。絶対助からない、病ではない老いに対して手厚い医療を施すのは日本だけかと思います」
という書き出しで、厳しく・鋭く終末期医療の問題点を指摘しておられます。


2. 以下、NY Timesの「自分自身のお通夜で、人生と死の贈物を祝う」と題する記事の要約です。

「不治の病に苦しむジョン・シールズは、医者や友人や家族の助けがあるのなら、オープンにそして恐れることなく死ぬことが自らの遺産として残せるのではないかと考えた」というリード文から始まります。そして、


「ジョンは、予定されている死の2日前にホスピスのベッドで、アイルランド伝統のお通夜(An Irish Wake)を自分で企画するという前例のないアイディアを思いついた。伝統に則って、音楽とお酒で賑やなものにする、唯一異なるのは彼自身もそれに出席することだ」
と続きます。
「パーティが終わると、翌朝彼はホスピスで自分で選んだ死を迎える・・・・・」。


3. 不治の病が分かったとき、彼は語っている。「人生でいちばん大事なのは「自らの品格(dignity)、そして妻と娘を愛する気持を最後まで失わないことだ」。

彼は生涯「奉仕する」ことを仕事にしてきた。
1939年NY市に生まれ最初はカトリックの神父になった。しかし、産児制限に反対する教会の方針に賛成できず、辞めて、カナダに移住した。
自然豊かなバンクーバー島に住み、最初はソーシャル・ワーカー、そのあと州政府の職員組合の委員長を14年勤めた。男女同一賃金を達成したことが何よりの誇りだった。「組合員の誰もが彼を好きだった」と親友の1人は語る。
60歳のときに妻が病に倒れ、介護を優先して委員長の仕事を辞めた。妻の死のあと、自然保護の活動家の女性と再婚、自らも保護活動に関わり始めた。
そして、発病・・・・。


4. 彼のアイディアに、妻は当然に心配した。17日前にホスピスに入院してから1度もベッドから出たことがなく、意識ははっきりしているが体力は衰え、苦痛にも襲われている。そんなことが出来るだろうか?
手を差し伸べてくれたのは医者のステァニー・グリーン博士だった。(写真)

カナダでは前年の6月に「医師による死の援助(medical assistance in dying)」が合法化された。
不治の病に苦しむ、識別能力のある成人患者に対して医者の助けによる尊厳死を認める法案である。
ちなみに、アメリカにも同様の法律があるが、カナダ法の特徴は、医者と看護師に大きな役割と権限・責任を与えていることである。
医者の中には自らの倫理観に合わないと、参加しない人も多い。しかしドクター・グリーン(ステファニー)は、法律施行後すでに35の事例を手掛けていた。「これもまた人を助けるという医療行為の一環なのです」というのが彼女の価値観である。

パーティの日取りは、2017年3月22日の夜に決まった。それから彼女は頻繁にジョン・シールズの部屋を訪れ、本人や家族と話し合った。

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5. 「ジョンのための送別会」はその日、午後6時から開催。車いすに乗って2人の看護婦に付き添われたジョンは7時40分までその場にいた。

2ダース以上の家族・友人が集まり、一人一人が短い挨拶をし(「愛してるよ」「あなたが今夜私たちに与えてくれた素晴らしい贈物に心から感謝する」といった)、ジョンは時々即席のジョークで口をはさんだりした。

親友の1人は悲しみの重圧に耐えかねて部屋に居られなかった。それでも戻ってきて、「素晴らしい性格の持ち主だったジョンは、皆を置いてきぼりにするという特技まで持っていたんだ」と涙ながらに挨拶した。

司会者の音頭で、「別れの杯」と題する古いアイルランドの歌を歌い、ジョンは「皆で楽しそうに歌ってくれて嬉しいね」と語り、「また会おうね(I will see you later)」と言いながら車いすから部屋を出ていった。


6. そして翌朝、ホスピスにて。
グリーン博士(ステファニー)の他、家族と親友がベッドの周りに集まる。それぞれが順番に先祖の名前を呼ぶ。アイルランドの風習に沿って、ジョンの旅路を導いてくれる人たちの名を呼ぶのだ。
ステファニーは、手続きを説明し、死が穏やかなものであることを告げる。「物理的には私はジョンを殺すことになる。しかし、私はそんな風には考えません」と彼女は語る。

あらかじめジョンが選んだ、アシジの聖フランシスの祈りが朗読され、博士は静かに「用意はいい?」と尋ねる。「皆はどうかい。僕はいいよ、ステファニー」と彼は答える。


ステファニーはまず麻酔薬で彼を眠らせてから、3回に分けて致死薬を注射する。
13分後に彼の死が確認される・・・・・


その日の夕べから火葬場までの2日間、ジョンの遺体はホスピスから移されて、彼が生前もっとも愛した自宅の裏庭に安置される。
大きなもみの木の下で、草花が咲き、鹿やアライグマもやってくる。
遺体の傍には火が燃やされ、誰かが交代で座り、詩や小説の1節を読んだり、ただ黙って座っていたりする。

隣人たちも、食事やワインや薪を持ってやってくる。夜になると友人たちは集まって彼の思い出を語り、歌を歌う。

――それは、精神的で、心に訴え(poignant),作法に則り( ritualistic)そして、共同体に根ざした(community-based)振舞いなのだ。


「ジョンがとても喜んだことでしょう」と妻は語る。彼女は、他のアイルランド人と同じく、ジョンの魂は旅立ちの前の2日間遺体とともにあると固く信じているのだ・・・・


7.そんな風にして、ジョン・シールズの78年の生涯が終わりました。
1939年生まれ、私と同い年です。
庭の紅葉がやがて落ち葉になっていく姿を想像しながら、読みました。「死は贈物(The Gift of Death)」という言葉も心に残りました。

教えてくれた同年の友人からは、「日本人とは死生観も違い、興味深かったです。主治医が事前の相談にのり、最後まで患者の意向に寄り添いながら、患者の自死のタイミングを図るプロセスがよく描かれています」という感想が届きました。