「聖フランシスの平和の祈り(Make me a channel of your peace)」と織部の「沓型」茶碗でお茶を頂く


1. 紅葉が美しい季節になりました。
何れは散るのですが、前回は、医者の助けを得て自ら「散る」時期を選んだ事例を紹介しました。カナダでは法(the medical assistance in dying law)によって医者が患者を安楽死に導くことが認められています。
(ところで前回、日本の終末期医療の予算を5億円と書きましたが、5兆円の間違いでした。下前さんに指摘されました。お詫びして訂正します。
元銀行員というのに数字に弱いのです)


NY TIMESの長い記事を読んで、心に残った箇所が幾つかあります。
(1) ジョン・シールズの頼みで「アシジの聖フランシスの平和の祈り」と呼ばれる祈祷文を読むところ。
「わたしをあなたの平和への通り道とさせてください」で始まり、「憎しみのあるところに愛を〜)」と続き、「慰められるより慰めることが、理解されるより理解することが、許されるより許すことができますように」と続く、美しい祈りです。

聖歌になっていて、YouTubeで聴くことができます。短い・美しい曲です。
歌詞も読める、英国オックスフォードの子供たちが歌うサイトを愛聴しています。
https://www.youtube.com/watch?v=DFyDpc4r2zY
https://www.youtube.com/watch?v=daGWdbrSGBM

20年前のウェストミンスター寺院でのダイアナ妃の葬儀でも歌われました。


(2)最後にグリーン博士が静かに「用意はいい?」と尋ねるところ。彼は答える「皆はどうかい?」そして「ステファニー、僕はいいよ(“Yes, Stefanie,” he said. “I am ready.”)」。


彼の最後の言葉ですが、自分をずっとケアして、最後の注射をしてくれる女医さんをファースト・ネームで呼んでいます。

「先生」でも「ドクター・グリーン」でもなく、「ステファニー」です。信頼と親しみと感謝とがこもった優しい呼びかけのように私は感じました。

前回のブログに写真を載せた「そのステファニーは、48歳、2人の子供の母親。大学時代にバレーボール部のキャプテンだったというオーラを感じさせない、温かく、有能で、着飾ることもお化粧もなく、いつもジーンズ姿、そして何事にも率直で隠し事をしない」女性だそうです。


2. 日本ではお医者さんをファースト・ネームで呼ぶのはとても無理ですが、30年以上勤めた東京銀行が、全て「さん付け」で、1度も役職で呼び合ったことがない職場でした。秘書も新入行員も頭取に、普通に「〜さん」と呼んでいました。

人をそんな風に呼ぶのがすっかり肌に付いてしまったので、「先生」だの「部長」だのと呼んだり・呼ばれたりするのはいまだに苦手です。
序でに言えば、昔の職場は、男性が威張っている雰囲気もなかったと思います。
そんな訳で、いまも当時の同僚の女性との交流があります。
10月某日は、2人の男性の元同僚と一緒に彼女の自宅にお邪魔して、お茶を点ててもらいました。おこい茶を3人で回し飲みし、そのあと、おうすを二杯。おいしく頂き、とても楽しい時間でした。
こじんまりしたマンションが住まいですが、和室に炉が切ってあって、茶室の雰囲気です。

今回は、久しぶりですがその間、「立礼」も出来るように部屋を少し直したそうです。
それと、私が茶碗を差しあげたこともあって、そのお礼にと招いてくれたものです。
三重県松阪に住んでいた姉が数年前に亡くなり、お茶を多少やっていて、子供も居ないので下の姉が茶器などを引き取った。
ところが、周りにお茶をやる人などいない。私も家は狭いし、興味もない。お茶をやる旧知の女性に少し引き取ってもらおうと考えました。
古道具屋に払ってもどうせ二束三文でしょうから、使ってくれる人があれば、亡くなった姉も喜んでくれるだろうと思いました。


3. 差し上げたのは花入れなどの他、茶碗は2つだけ。
1つは天目茶碗で野点用の小さなもの。もう1つは、織部の「沓(くつ)型」の茶碗です。これは織部だけのデザインだそうです。
もっとも私は茶碗のことなど何も知らず、小さくて持ちやすいからと思って選んだ1つが野点用で、室内では使わないそうです。「沓型」という茶碗があることも知らずに、これまた恥をかきました。

それでも「沓型」の織部の方は、これで「おうす」をおいしく頂きました。
天目茶碗の方は、「茶碗飾り」と言って掛け軸と花と並べて飾ってくれて、その後、3人で拝見しました。こちらは織豊時代の発掘品だという箱書がありました。


4.彼女のお茶は何度も頂いていますがその度に作法を教えてもらいます。
彼女自身、師範の資格があるとはいえ、元は職場の同僚ですからもちろん「先生」なんて誰も呼びません。
本人も「庶民のお茶」と呼んでいて、礼儀作法は教えてくれますが、聞いてもすぐに忘れてしまい、作法を無視して大いに会話を楽しみます。無知で好奇心旺盛な私は質問ばかりします。聞いてもすぐ忘れるので、毎回同じ質問をすることも多いです。

正客以外はあまりしゃべらないのが作法だそうですが、そんなことはお構いなしでまことに賑やかです。
話題は大いに広がりますが、知らない情報を得ることもあります。


デヴィ夫人のブログ知っている?」と誰かが言いだし、いろいろ教えてもらいました。
以下、すべて今回初めて知ったことです。
(1) 彼女はいまはタレントとして、TVの常連である。
(2) ブログも書いていて、少し前だが、6月13日の文章で、来春から「三菱東京UFJ銀行」から「東京」の名前が消える方針だと聞いて、嘆いている。
https://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12282258639.html

―――インドネシア時代から 東京銀行(Bank of Tokyo)を知っている私としては、残念で 悲しくてなりません。消えてほしくない というのが本音です。
世界中に支店があり、 パリに行けば オペラ座に近い4-8, Rue St-Anneに、 N.Y.に行けば ウォールドルフ・アストリア・ホテルの 一階に支店がありました。私達 日本人にとって どんなに「誇り」だったことでしょう!
東京銀行は 日本の国際経済史といっても 過言ではありません。その「東京銀行」の「東京」の名が なくなるということは 東京銀行を知るものとして ショックです。


(3) 「こういうことを言ってくれる人が居るのは嬉しいね」と4人で話し合い、全員デヴィ夫人のファンになりました。
このブログはこの友人の息子さんが気がついて、父親に教えてくれたそうです。

デヴィ夫人がタレントになってTVに出演しているということから、すべて私は初耳でした。
もっとも家人はもっと無知で、帰宅して夕食時にその話しをしたら「デヴィ夫人って日本人なの?」と驚いていました。