京都で「国宝展」を観る。「縄文のヴィーナス」にも再会。

1. 前回に続いて京都の話です。昨日(12月9日)も法事があって日帰りしたのですが、ここで取り上げるのはまだ前回の続きで11月23〜25日のこと。

「祝賀会」に顔を出すという用事で行ったのですが、紅葉見物もして「国宝展」にも行ってきました。
この時期はもちろん観光客で一杯でしたが、幸いに南禅寺宿坊の南禅会館に泊まることが出来ました。
部屋にTVもない質素なところですが、高くなく、地下鉄の「蹴上」駅にも近く、南禅寺にも無料で入れるし、紅葉で名高い永観堂にもごく近く、便利でした。


2, ただし、恒例の堺町六角上がるの「イノダ」本店には、歩いては行けず、祝賀会の翌朝は早く起きて、地下鉄で4駅「蹴上」から「烏丸三条」まで出かけました。

南禅会館を素泊まりにしたのは、「イノダ」での朝食だけではなく、「ここの主」に会いたいと思ったからです。
しかし、7時過ぎに到着したところ平日というのに早くも満席で、観光客が外にまで大勢並んで待っています。
そこで厚かましく、行列を横目に見て店内に入り、「円卓」に座っている「主」のところまで挨拶に行きました。

期待していたように彼は「常連席にどうぞ」と言ってくれて、私は内心では「待ってました」と思っても、そこは口には出さず、
「常連でもないのに、大勢の人を追いこして座るのは申訳ない」と礼儀ただしく恐縮した姿勢を見せて、その実、早速隣にちゃっかり座って、久闊を叙しつつ、お気に入りの「アラビアの真珠」の珈琲を頂きました。


2. こういうお店があるというのは、まことに有難く、やはり京都だからでしょうか。
「主」別名「円卓の騎士」は、とにかく1年365日、朝、仕事の前に必ずここで珈琲を飲み、1時間ぐらい座っています。
  辛抱強く立って待っている観光客はおそらく、この円卓が常連の席だということを知っていて(ガイドブックに書いてあるのかも・・・)、
「いま入っていった爺さんも常連の1人なんだろう」と思って、割り込んだなんて思わず、私を見ていたのでしょう。


ということで無事に旧知の「騎士」と話ができ、と言っても大した話しをした訳ではありませんが、まあ京都に来た目的の1つはこれで果たし、そのあと、三条京阪京都検定1級保持の藤野さんと待ち合わせて、彼が連れていってくれて「国宝展」に行きました。


3. 「国宝展」は京都国立博物館の開館120周年を記念する特別展で、「国宝に指定されている美術工芸品885件の約4分の1に当たる210件が、会期を4期に分けて一挙に登場する。日本美術の粋を鑑賞しつつ、文化財保護の重要性を再認識する、またとない機会になっている」とあります。

ちなみに、「国宝」という言葉も120年前の法律で初めて明記された、したがってこの2つは同い年だそうです。


私が行ったのは最終日の前日で、第4期の陳列。
さすがに大勢の人で、開館直後に行ったのですが、もちろん「イノダ」以上の行列で、1時間ほど並んで入場できて、展示室の中も人がいっぱいでした。
それでも、東京よりはましではないかと思います。
東京の、評判の展覧会などにはとても出かける気になれませんが、それに比べれば京都はまだ人出が少ないような気がします。


4. 第4期の目玉は、「大日如来坐像」(平安時代、大阪金剛寺)、「源氏物語絵巻・竹河」(平安時代徳川美術館)「油滴天目」(中国南宋時代12〜13世紀、東洋陶磁美術館)、
「伝頼朝像」(鎌倉13世紀、京都神護寺)、「燕子花(かきつばた)図絵」(尾形光琳、江戸時代、根津美術館)・・・・・などなど。

もっとも浅学な私は、美術品の価値など少しも分らず、野次馬の1人に過ぎません。
しかし、茶碗が上記の「油滴天目」を入れて3つ出ていましたが、個人的には、
「志野茶碗銘卯花墻(うのはながき)」(桃山時代16〜17世紀)というのが、何となく気に入りました。
「日本で焼かれた茶碗で国宝に指定されているのは、本阿弥光悦の 白楽茶碗(銘不二山)と、この卯花墻の2碗のみである。(略)歪んだ器形・奔放な篦削り・釉下の鉄絵などは織部好みに通じる作行きといえる 」
と美術館のホームページにありますが、これを読んでも難しいことは分かりません。


ただ、丸い茶碗ではなく、「ゆがんだ形」が、円ではなく楕円を感じさせて、「卯の花の垣根」という銘の通り、すっきりした素朴な美しさを感じました。


5 時代的にいちばん古い「国宝」は、縄文時代のものが4点、弥生時代が6点出品されていました。
縄文4点は土器1つ、土偶3つで、うち2つは、私がいつも夏を過ごす長野県茅野市からの出品、「縄文のヴィーナス」と「仮面のヴィーナス」です。
茅野市は「国宝が二つある市」をうたい文句にしていますが、普段は同市の尖(とがり)石(いし)
縄文考古館にあります。我が家から車で十分弱で、よく訪れます。
「京都で君たちに会えるとは思えなかったよ」とちょっと嬉しくなりました。
 
何れも茅野市で発掘されたもので、「縄文のヴィーナス」は、縄文時代中期の約五千年前、「環状集落の中央広場の小さい穴の中に横たわっていました。大型完形の妊娠土偶。わが国最古の国宝です」と考古館の説明書にあります。

「仮面のヴィーナス」の方は、同時代後期の約四千年前、「広場一帯にはいくつかの墓の穴が重複しており、その一つに埋葬された状態で出土しました。大型完形で女性をあらわす、豊かで優れた姿が表現されています。」

いずれも「高さは三十センチ前後のものですが、縄文人の残してくれた貴重な遺産です」。

京都国立博物館では展示物はすべて撮影禁止ですが、茅野の考古館では自由です。そのことを藤野さんに告げると、ちょっと驚いておられました。


茅野市のある八ヶ岳山麓の一帯には、大昔、縄文人とよばれる人たちが住んでいました。気候が温暖化したこともあり、定住し、竪穴住居に住み、共同生活を送り、弓矢を使用し、鹿などの狩猟や木の実を採集して暮らしていました。土器も多く作られました。一万年前から五千年以上続いたでしょうか。やがてこの地が寒冷化するにつれて、彼らはより温かい土地を求めて移動していきました。

稲作が始まり弥生時代を迎える二千年ほど前のことです。 
私たちの中にも、狩猟採集の民だった彼らの血が流れているのでしょう。