広島原爆の日、平和祈念式典と畑の収穫

  1. 8月6日(土)、今年も妻と二人で、茅野市の平和祈念式典に参加しました。

いつものように、朝8時15分に1分間の黙とう、そのあと献花をしました。

(1) 長野県茅野市は、岡村さんの奥様の故郷です。岡村さんも奥様が元気だった頃は、夏は農作業の手伝いに、この地を訪れたそうです。

 

人口は約55千人。八ヶ岳白樺湖などの観光地を抱え、工業も盛んです。縄文遺跡が数多くあり、市の所蔵する「縄文のヴィーナス」「仮面の女神」の2つの土偶が国宝に指定されています。

(2) 私が住んでいる茅野市の豊平は、スケートの金メダリスト小平奈緒さんの、教育学者・故長田新の出身地でもあります。

長田氏は広島文理大教授のときに広島で被爆し、重傷を負いました。戦後、原爆を体験した少年少女たちの手記を集めた『原爆の子―広島の少年少女のうったえ』を岩波書店から刊行、映画化もされました。

  1. 同市は、

(1) 1984年、「非核平和都市宣言」をし、昨年1月に発効した「核兵器禁止条約」への署名・批准を求める意見書を採択しました。

(2) ちなみに、全国1788自治体のうち、非核平和都市宣言をしている自治体は1657と大多数です。核兵器禁止条約への意見書を採択しているのは639自治体です。

 

(3) 広島・長崎に原爆が投下されてから50年の節目の1995年、市および市民からの募金を得て、公園内に「平和の塔」が建設されました。

翌96年、「塔」の前で第1回平和祈念式が行われ、今年で26回目を迎えました。

 

  1. 「平和祈念式典」は、コロナ感染が続く中でも中止されることなく、毎年行われてきました。

 

(1) ただし、規模は縮小し、来賓の挨拶は市長だけとなり、最後に参列者全員で木下航二作曲の「原爆許すまじ」を歌っていたのも中止となりました。

  「ふるさとの街焼かれ、身寄りの骨うめし焼土に、いまは白い花咲く、ああ許しまじ原爆を、三たび許すまじ原爆を、われらの街に♪」と歌う古い歌です。

 

(2) それでも毎年続けてこられたのは、市の支援に加えて、市民の立ち上げた実行委員会の皆さんの努力によるものです。

会長はずっと品川美好さんという方で、彼女も被爆者の一人かもしれません。

今回の短い挨拶は、「大国の横暴は許されない」と「若い人の協力が嬉しい」の2点でした。

 

(3) 毎年、広島・長崎の両市長からメッセージが送られます。

これを代読するのは、中高校生です。

今年は12人が順番に読み上げ、議事進行も市内の高校の生徒会長が担当しました。

 

4.この日の広島での式典では、小学6年生2人が「平和の誓い」を述べました。

――「・・・今度は私たちの番です。

・・・世界中の人の目に、平和な景色が映し出される未来を創るため、私たちは行動していくことを誓います」。

 

  また、中学生が、式典に参加する各国の大使に平和メッセージを届け、自らの英語で語り掛ける活動の様子をテレビが報道していました。

品川会長の言う通り、若者の参加は嬉しいものです。

米国タイム誌が「2019年今年の人」に当時16歳の環境運動家グレタ・トゥンベリさんを選出したことを思い出しました。

同誌は、彼女を紹介し、選出した理由を説明する記事の中で、

「・・・時には、人々の考え方を変える最善のやり方は、子供の眼を通して世界を見ることだ」と述べていました。

  1. また、翌7日(日)には、これも例年ですが、畑の収穫をしました。

今年も長女夫婦と一緒です。じゃがいも、枝豆、トマトなど、素人仕事とはいえ、植え、育て、収穫したての作物を早速頂くのは嬉しいものです。

もちろんこれも次世代に任せつつあり、私の仕事は写真を撮るぐらいになりました。