私たちの「思い出トランプ」

  1. 私事ばかりのブログで恐縮ですが、孫2人は、8月1日英国に戻りました。

 最後の4日間は猛暑とコロナの中,東京に滞在。無事に帰国したようで安心しました。

 

  1. 蓼科では、山のような洗濯物を、近くのコインランドリーに行って、10分100円の機械に入れました。ここは、無料駐車場もあり、隣にカフェもあり、地方都市らしいゆとりのある場所です。妻は、障子の貼り替えもやりました。4歳のいたずらの後始末です。

しかし、東京も往復しましたが妻は、彼らが東京の留守宅をきれいに片づけて出発したのに感心し、「母親(自分のこと)のしつけが大事」と自慢していました。

  1. 入れ替わりに長女夫婦と猫1匹がやって来ました。平日はリモートで仕事をしているので、「そよ風」の到来です。

老人は疲れがとれるのに時間がかかります。それでも、里山を走り、田畑や山の姿を眺めると落ち着きます。

朝は庭で簡単な朝食をとり、鶯の鳴き声を聞き、しばし爽やかな風を受け止めます。

思い出話もします。

 

  1. トランプ遊びをたくさんやりました。

(1) 10歳の男の子は毎日勉強の時間があり、それが終わると一緒に室内遊戯の時間です。英国ではトランプ遊びはいまも人気があるようです。

 日本でも私が小さい頃はトランプでよく遊びました。いまはどうでしょうか?

(2) 2人でも遊べる「ジン・ラミー」というのを彼から教えてもらいました。なかなか面白いゲームです。

 

(3)インディアンポーカーもやりました。

・52枚のトランプ・カードをよく切って、1人が1枚ずつ取って自分のおでこにかざす。他人のカードは見えるが、自分のカードは見えない

 

・そこでお互いに相手のカードを見て自分のカードが勝てるかどうかを考えて、チップを出して賭けていくゲームです。

 

・相手の方が強いと思えばその時点で降りる。決められたチップの上限まで降りない場合は、開けて勝負する。強い方が勝ち、チップを総取りする。Aが最強で、2が最弱です。

(4) 我々と彼と3人でやった時に、私以外の2人のカードが両方とも「2」という状況がありました。

2より弱いカードはありませんから、私のカードが3以上であれば必ず勝つ、その確率はきわめて高い。

 

(5)そこで「これは勝つ」と確信して、最後まで下りずに勝負を続けたところ、誰も下りない。

➡結局3人全員が最後まで下りずに「勝負!」と皆が札をオープンし、私も自分のカードを確かめたところ、何とこれも「2」でした!

つまり、誰もが、自分以外のカードが「2」だと知り、「これなら勝てる」と最後まで強気になったものです。

 

(6)3人とも「2」とは、何たる偶然。カードはよく切った(シャッフルした)筈ですが、こんなこともあるのですね。

下の孫を寝かせ終わった娘も加わって、4人で大笑いしました。

 

(7)結局、「同じ数字のカードの強弱はABC順」というルールで、スペードの2をおでこにかざした妻の勝利となりました。

 

  1. 何ともバカバカしい思い出話です。

しかし、「思い出す」という人間の能力は、素晴らしいと思います。

 

大森荘蔵という哲学者は、『流れとよどみ―哲学断章』(1981)の「記憶について」と題する章で、

「「思い出す」ということは見たり聞いたり味わったりというような「知覚する」こととは根本的に別ものなのである。(略)(例えば)私は(もういなくなった)彼をじかに「思い出す」のである」

――と書いています。「思い出」は、生きる日々そのものではないでしょうか。

 

6.昨日は茅野市平和祈念式典に出席しましたが、今回は取り上げる紙数がなくなりました。