この時期出掛ける場所として、墓参と神代植物公園。

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1.今年の3月は、10日は東京大空襲から75年、11日は東北大震災から9年。そしていまは伝染病。13日の読売新聞論説は「21世紀の人類の、感染症との最初の本格的な闘い」と位置付けています。

 東北大震災について東京新聞に、震災で若い父親を亡くした8歳の少女の詩が追悼のシンポジムムで朗読されて涙を誘ったという報道があり、「あいたいよ、パパ」と題した詩の全文が載っていました。

「生まれる前に逝った父へ」の記事によると、父親は当時23歳、宮城県石巻市の自宅付近で津波にのまれた。母親と6日前に結婚式を挙げたばかり。「大丈夫?」、身重の妻を気遣うメールを最後に連絡が途絶えた。

 彼の妹と祖父母がともに死去し、震災の4か月後に生まれた、少女はいま母とその祖父母の実家に暮らしているそうです。

 今回の新型コロナについて、ある友人からのメールに「始まりがあれば きっと終わりもあることでしょう」という言葉がありました。

 その通りだなと思い、少し元気をもらったような気がしました。

 しかし、「終わりもある」、しかしその間に悲劇も起こる、その中には「あいたいよ、パパ」と訴えるような人たちもたくさんいる、と思うと悲しいですね。

 同じ日の同新聞には、75年前の大空襲(約10万人が亡くなった)で親や兄妹を亡くした高齢者の辛い思い出話も載っています。

f:id:ksen:20200315081426j:plain2.そんなことを、家人と散歩をしながら話したり、考えました。

 家に居ることが多いですが、先週は暖かな日が多かったので、家人と墓参りに行き、神代植物公園にも行きました。

 まだ梅も咲いており、「椿とさくらまつり」も始まったばかりで、早咲きの「東海桜」が満開でした。薔薇はもちろんまだですが、手入れの人たちが熱心に働いていました。数か月後が楽しみです。

 この時期、こういう場所に行くのがよさそうです。とくに墓地は、死者とは感染したり・されたりの心配はありません。

 東大駒場の図書館も春休みなので学生も少なく、静かです。キャンパスを歩いていたら近くにお住まいの友人に2度も会いました。彼はバード・ウオッチングが趣味で、キャンパス内の池の近くは格好の観察場所だそうです。良い趣味だなと思いつつ、「お互い、他に行くところがありませんね」と苦笑いをしました。

3.前回は、売れているという、カミュの『ペスト』を紹介しました。

 もちろん「売れている」というのは、日本だけではありません。欧米はそれ以上だそうです。

 3月5日付の英国ガーディアン紙によると、本書は、フランスでもイタリアでも前年の3倍以上売れてベストセラーのリスト入りした、英訳(題名は「The Plague」)はアマゾンの在庫が無くなってしまった、と報じています。

それともう1つ、ディーン・クーンツという作家のホラー小説『闇の奥』が爆発的に売れているとか。本書は、1981年作で、2020年に中国が「武漢400」と名付けた生物兵器を開発するという話が出てくるそうです。たまたま同じ年ということもあって話題になっているようですが、中身は読むほどの本ではなさそうです。

https://indeep.jp/in-1981-powerful-biological-weapon-wuhan-400-is-born/

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4.フェイスブックから友人が「もう一つ話題の小説は、アレッサンドロ・マンゾーニの『いいなづけ』です。イタリアでは教科書にも載る有名小説で17世紀のミラノを襲ったペストに触れた部分があり、邦訳もあります」と教えてくれました。

 また別の友人は「17世紀30年戦争でドイツで蔓延したペストで、バイエルン小村の村人が集まって、キリストの受難を毎年行いますからお救いくださいと祈るや、ぴたりとこのペストがなくなり町は救われたとの伝説があり、4百年後の今も受難劇が行われているオーバーアマガウに想いが行きました。1980年に故辻邦生夫妻と共にこの受難劇を見た想い出があります」という興味深い思い出話を書いてくれました。

 中世の日本だって、伝染病がしばしば蔓延しましたが、祈とう師に祈るぐらいしか手だてはなかったようです。

 しかし、震災や空襲の悲劇を思い起こしても、「神も自然も不公平・不公正、つまり不条理」と考えざるを得ません。だからこそ、せめて人間は、可能な限り「公平かつ公正であろう」と自ら、あるいは連帯して努力するしかない。カミュは『ペスト』を通してそう言いたかったのではないでしょうか。

 彼は、「不条理は、それに同意を与えないかぎりにおいてのみ、意味があるのだ」と語り、主人公の医師リウーは「ペストと戦う唯一の方法は誠実さだ」と語ります。

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5.今回も『ぺスト』から、以下1か所を引用して終わりにします。 

――本書では、ペストが終息に向かう最後の最後になって,タルーが感染したことが分かる。自由人のタルーと医師のリウーとはこの悲劇のなかで親しく会話を交わすようになり、タルーはボランティアの結成の音頭をとってリウーを支援する。

 リウーの母は、「まさか、今になって」とつぶやき、「うちにおいてあげようよ」とリウーに提案する。二人は、患者は隔離病棟に収容しなければならないという規則を破って、自宅でタルーを看護する。

 戦いの夜が沈黙の夜へと移り、タルーは「勝負に負けたのであった」。母子は向き合って、彼の死を弔う。

 ・・・・タルーは勝負に負けたのであったーー自分でいっていたように。しかし、彼、リウーは、いったい何を勝負にかちえたであろうか?彼がかちえたところは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思い出すことになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。おそらくはこれが、勝負に勝つとタルーの呼んでいたところのものなのだーー

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 リウーが黙って母と向き合う場面は印象的です。カミュはいつも寡黙な彼女に名前を与えません。

 女性に対するカミュの態度はこの小説の中できわめて抑制的です。

 それは、祖母と母と過ごした彼の極貧の少年時代と、教育もなく、生涯働きづめだった障害をもった母への深い愛情と関係しているのでしょう。彼の母は字を読むことも得意ではなく、彼がノーベル文学賞を受賞したときにも、感想を問われて「何も言うことはない」と答えたそうです。小説の中のリウーの母は、聖母のようなイメージで描かれます。