「コロナウィルスでカミュの小説『ペスト』が売れているらしい」

1.コロナウィルスは世界的に拡大していますね。

 渋谷のスクランブル交差点もいつもより人が少なく、外国人観光客が立ちどまって写真を撮る、普段の光景は見られません。

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 皆様のところもそうでしょうが、商社勤めの長男は15日まで原則在宅勤務、ただし管理職は3日に1回時差出勤になった由。

 ロンドン勤務の娘は、「ロンドンから離れた非常用オフィス勤務となり、数週間は続く予定。孫の自宅学習は終わって今週から通学が始まった」。

 こういう非常時にはいつも、人の善意と、中傷や自己利益最優先の行動との両極端が見られるのは人間の性でしょうか。

「善意」について言えば、3月3日の東京新聞は「休校、苦しむひとり親」と「急な休校、支援の輪」という見出しの2つの記事が載りました。

 そして、「足立区のNPOや企業約30団体が、区内の事務所やカフェ計3か所を「子どもの居場所」として開放し、宅配弁当を無償提供する」、「板橋区にある「まいにち子ども食堂高島平」は、年中無休で毎日三食、活動を続ける」などが報道されました。

 京都の友人からもメールが来て、京都に行くと必ず寄る、江戸時代から続く小さな割烹「松長」の支援活動も京都新聞に報道された、と教えてくれました。

 記事には「松長は、親子向け教室の会場として使ってきた店内の1部屋で、近隣の子どもを預かる。曜日や時間、人数は事前連絡に応じて対応する。おかみの長谷川真岐さん(46)は「共働きのママ友の間で、休校について戸惑いの声が多かった。子どもを預かるハードルは高いが、地域の助け合いが広がってほしい」と話す」とあります。

 それにしても日本の新聞はどうして必ず年齢を入れるのかなと不思議に思っています。英米の新聞で見たことがありません。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/175560

 京都でいつもお会いする真岐さんの年齢を初めて知りました。

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2.同じく東京新聞の4日夕刊の「大波小波」というコラムは、「カミュの小説『ペス

ト』が売れているらしい」、「読者は共感を求めているのか、それとも教訓を求めているのか?」とありました。

 そこで今回は、ご存知の方も多いでしょうが、本書を紹介したいと思います。20代から何回も読んでいる愛読書の1つで、6年前に読書会で取り上げ、「あとらす」という雑誌に寄稿したこともあります。邦訳は宮崎峰雄訳、新潮文庫

 アルベール・カミュは当時のフランス領アルジェリアで生まれ,1957年44歳の若さでノーベル文学賞を受賞しました。

――どんな物語か?

(1) 194*✴年、北アフリカにある地中海に面した人口20万の都市オランに突如として人を死に至らしめる伝染病が発生し、死者が激増する。感染を防ぐために外界から遮断され閉鎖された町で、医者リウーは寝る間も惜しんで献身的に治療に当たる。彼の妻は、市が閉鎖される直前に病のため市外の療養所に入院し、留守を預かるためにリウーの母が滞在している。

(2) たまたま取材で出張中に巻き込まれた新聞記者のランベール、自由人ともいえるタルー、イエズス会の神父パヌルー、オトン判事とその家族、市の臨時職員のグランなどが、死がまん延する極限状態に直面してそれぞれにどう生き、どう対処するか。

(3) ランベールは、自分は無関係な人間で恋人の待つパリに何とかして戻りたいと画策するが、閉鎖された街を出るのは容易ではない。

 パヌルーは教会で、ペストは「神から出たもの」であり「反省すべき時がきたのだ」と力強く説教する。しかし判事の幼い男の子が苦悶のうちに死んでいく姿に立ち会い、神は私たちに何を求めているのかと苦悩せざるを得ない。

 グランは、小説を書くという自らに課した、傍から見たら滑稽な、徒労としか思えない「仕事」を以前と変わらず淡々と続ける。

もちろん、この非常事態に一儲けしようと企てる男もいる。

(4) 感染が拡大し、要員不足が懸念される状況で、タルーは医者や看護師を助けるためのボランティア組織を立ち上げる。

 ランベールは、奮闘するリウーの姿に心を打たれ、自分もいまやこの町の人間なのだと、留まり参加する決意を固める(「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」とリウーに語って)。

グランもパヌルー神父も息子を亡くした判事も参加する。

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(5)何カ月かが経ってペストの勢いが徐々に衰えかけたころになって、ボランティアで患者や死者に接しているパヌルーとタルーは感染して命を落とす。

 年が明け、また春が近づく頃、ペストの終息が宣言されて市門は開けられ、再び外の世界との接触が可能になる。しかしリウーの妻は夫に会うことなく療養所で死去する。心を通わす会話を何度も交わしたタルーからえたものは「友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ」だ、とリウーは自らに言い聞かせる。

 ペストから解放された市民は祝祭の気分に溢れ、賑やかに花火が上げられるが、リウーはこれが一時的な勝利にすぎないこと、ペストは再び人間を襲うだろうこと、だからこそ、戦った人々の記録を残しておこうと心に決める。

 それは「ペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために」。

f:id:ksen:20200308080634j:plain3. 本書が刊行されたのは一九四七年カミュ三四歳のとき。第二次世界大戦でドイツに

占領されたパリの市民に寓して書いたといわれます。ぺストと戦う人々の姿がレジスタンス(ナチスへの抵抗運動)を象徴するとして、広く読まれました。

 反抗と連帯、そしてヒューマニズムを訴える小説としての評価が定着していると思います。著者カミュを「いまも、私たちの良心であり続ける」と呼ぶ人もいます。 

 そもそも、本書は病気としてのペストを題材にしているが、「ペスト」に表象されるのは、人間を抑圧し・抹殺する「悪」一般であり、「不条理」という死にいたる人間存在そのものであろうとはよく言われることです。

 本書でもグランは「ペストは人生そのものだ」という認識を語ります。タルーは「われわれはみんなペストの中にいるのだ」と記します。   

 そのように理解すれば、ペストで街が閉鎖され、市民が監禁状態に置かれるという前提は「そういう人間の条件(カミュは、それが「不条理」であり、普段は意識されないだけで死に向かう人間の実存だと考えます)の中で、どのように生きるか」が大事なのではないかと思われます。

 もちろん、極限状態においては医者や責任者がどういう判断をし、行動をとるべきかも大事でしょう。

  いま中国の武漢は、まさに閉鎖された町に監禁された状態で、医師や看護師やボランティアや市民が同じような状態で、死や様々な「悪」と戦っていることでしょう。この人たちは苦難の中にあっても、リウーと同じく、「人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということ」を感じられるでしょうか。

4.本書から共感や教訓を得られるかどうかは、読者によってさまざまでしょう。しかし、家に居る時間が増えたいま、こういう優れた古典を読む人が増えたとすれば、とても嬉しいことです。