五月晴れと『ペスト』(カミュ、宮崎嶺雄訳)の再読


1. 5月10日&11日の東京は、まさに五月晴れの気持ち良い週末でした。世田谷羽根木公園を歩いたり墓参に行ったりしましたが、新緑もつつじも鮮やかでした。六本木の国際文化会館ではまだ武者人形を飾っていました。

庭に居る時間も含めて、日中はもっぱら外で過ごしました。
母の日だそうでお花も届き、次女の連れ合いが10代のとき自分の祖父の金婚式に作曲した短い曲をピアノで弾いて、そのビデオをメールで送ってくれました。
他方で、夜はNHKスペシャルという番組を付けたら、徘徊し行方不明になり、保護されて何も答えられないという認知症の老人が増えているという特集を報道していて、つい最後まで見てしまいました。殆ど年齢的に変わらない人たちで、五月晴れとは打って変わって、いささか暗い気持ちでベッドに入りました。


2. 当方はいまのところは、散歩をしても無事に自宅に帰り、本も読み、雑文も書き、お喋りもしております。
そういえば、今年の1月から6月の前半も「喋る」機会が多いなと改めて思いました。もちろん大勢の聴衆を前に、お金を貰って「喋る」というようなプロの方の立派なものとは違って、多くは自分の「好き」でやっている仲間うちのボランティアで、聴いてくれる仲間はせいぜい10〜20人ほどですが、考えてみると、
(1) 1〜3月は京都の「町家塾」でソーシャルビジネスについて。
(2) 4月〜5月は世田谷市民大学のゼミでの発表(1つは日中関係、1つは新島襄)、やはり世田谷在の有志がやっている読書会(テキストはジョン・ダワー他の『転換期の日本へ』とカミュの『ペスト』)
(3) 6月には、1つは元職場の先輩が主宰する「サロン」でカズオ・イシグロの『日
の名残り』の紹介と英国について。もう1つは、中高の友人に頼まれて、これは「何でもいいから」主宰している会の月例会で1時間ほど喋ってくれ、という依頼。
ということで、合計9回あります。
これらを終えると、7月末には、今年が最後になりますが、京都の古巣の大学で「集中講義」があります。

3. 要は「素人のお喋り」なので、話題は「広く・浅く」で、まとまりのない準備に時間を取られています。日程合わせて、ある日は、日中関係の本を拾い読みしたり、ある日は、新島襄の著作(岩波文庫で3冊出ている『自伝』と『手紙』と『教育宗教論集』をチェックしたりというような時間を過ごしています。
いままでに読んだ本の再読や拾い読みをしながらの確認といった作業が中心になり、それだけ、新しい本を読む時間が取れないのが残念ではあります。

他方で、「再読」あるいは「再々読」は大事だし楽しいな、とも改めて感じます。
先日、親しい編集者と話していて「再読が、本当にその本を読んだことではないか」という発言があって、なかなかいいことを言うなと思いました。


ということで、10〜11日の週末は17日の「読書会」にそなえて、カミュの『ペスト』邦訳を読み返し、英語版をチェックし(フランス語は出来ないので)、昔読んだ『アルベール・カミュ、その光と影』(白井浩司)などもチェックしました。
序でに『異邦人』の窪田啓作訳もまた読み返しました。
問題は、『ペスト』の文庫本をもちろん持っているのですが、最近は大きな活字の改版が出て、このほうが老人には読み易いので、また買ってしまう、ということでますます本が書棚にたまります。

写真に載せましたが、方や前からある平成6年発行の50刷、方や今年の3月に出たばかりの75刷、活字の大きさがだいぶ違います。中味は全く同じで解説もすでに亡くなった訳者・宮崎嶺雄氏のがそのままです。



4. それにしても75刷とは、日本でもよく読まれています。
カミュは、当時フランス領だったアルジェリアに生まれ、貧しい少年時代を過ごし、結核に冒され度々の喀血に悩まされながら、優秀な頭脳をかわれて奨学金で学校に通い、しかし病気のため大学教授資格試験を断念し、29歳で発表した『異邦人』が大きな反響を呼び・・・1957年44歳の若さでノーベル文学賞受賞。1960年、46歳で自動車事故のため即死。
『ペスト』は彼の代表作ですが、ペストが突如勃発して死者が激増し、外界から途絶された人口20万の市で、医者であるリウー以下、人々がどう生き・死んでいくかの物語です。
ペストという災厄を、カミュは第2次世界大戦でドイツに占領されたパリの市民に遇して、物語を書いたと言われます。
3.11の東日本大震災後、『ペスト』を思い出し、それについて触れた識者も居たようです。

本書を私が読むのは今回おそらく4度目になります。飽きずに何回でも読めるというのは、やはり優れた作品の証拠ではないでしょうか。
内容をここで紹介する紙数はありませんが、最後に、少し本書をめぐる話をして終わりにします。

(1) 月1回の読書会の主宰者は元お医者さんご夫婦で,ご主人が今回の発表をして下さいますが、さすが専門家だけあって、ペストという病気についての医学的説明・歴史などに時間を割いて頂けるようで、17日が楽しみです。今まで、医学に無智な私はそういう観点からは読めていなかったので、新たな勉強になりそうです。

(2) 私の「読み」と言えばいつも通り、細部にこだわる感想ばかりですが、
例えば、この小説、194*年のオランというアルジェリアの都市を舞台にした物語だが、物語が語られる時代や場所などを特徴づける「具体名詞・固有名詞」が殆ど出てこない。
これが、この小説の抽象性・象徴性・悲劇性を高めているように思い、成功していると思います。
他方で例えが良くないかもしれないが、人気作家・村上春樹の小説を読んでいると、いつも、主人公の着ているファッションだの乗っている格好いい車の名前とか流行っているジャズの名前とか、時代を代表するような記号・ブランド名がやたら出てきます。
あまり私の好みではないな、と改めて思った次第。

(3) この小説の魅力は主な登場人物たちがお互いに、誠実かつ真面目な対話を様々な機会に熱心に交わすことで、大げさな言い方ですが、ギリシャ哲学お得意の「プラトン対話篇」の伝統を感じます。
一例をあげれば、当初は、災厄に襲われた市を早く逃げ出して恋人に合流しようとする「よそ者」の新聞記者ランベールが、ペスト患者の治療に奔走する医師リウーへの支援を表明し、留まることを決めて、そのことをリウーに告げる。
これに対して、リウーは、まっすぐに身を起こし、そしてしっかりした声で、それは(恋人に会わずに、危険をさらして留まるのは)愚かしいことだし、幸福の方を選ぶのになにも恥じるところはない、といった。
「そうなんです」と、ランベールはいった。「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです。」
そして以下のようにつけ加えます。

「・・・現に見たとおりのものを見てしまった今では、もうたしかに僕はこの町の人間です。自分でそれを望もうと望むまいと、この事件はわれわれみんなに関係のあることなんです」


こういう、例えば「連帯」を表明する「語り」が例ですが、他にも、人間どう生きるか?というような「お喋り」と「対話」が随所に出てくる。
「あなたは、神を信じますか?」なんていう言葉が普通に発せられる。
もちろん、ぺストで毎日人が死んでいく極限状況における人たちの「対話」ですから、読んでいる方の平和な暮らしから想像するのは難しいかもしれない。しかし、カミュが大事にする「人間の不条理」は、いつも私たちをつかまえて離さない。

センチメンタルと笑われそうですが、若い時の私は、こういう「やり取り」が好きだし、感動したりしたのですが、75歳という高齢になっても、あるいは高齢になったから余計「無常」を感じるのか、何度読み返していいなと思いもし、そのことにいささか恥ずかしくも感じています。