広島原爆の日に第28回茅野市平和祈念式

  1. 先週の日曜日(6日)は広島原爆の日。二人で茅野市平和祈念式に参加しました。

2015年の第20回から出ています。それ以前はこの時期まだ京都に居ました。

 

2.私がいま住んでいる茅野市では、広島・長崎に原爆が投下されてから50年の1995年、市・市民からの募金を得て、公園内に「原爆の火・平和の塔」が出來ました。

翌96年、「塔」の前で第1回平和祈念式が行われ、今年で28回目を迎えました。

  コロナ感染の広がるなかでも、マスク着用、間隔を開けて座るなどの対策を講じつつ、一度も休むことなく毎年この日に実施してきました。実行委員のボランティア活動に頭が下がります。

3.今年は、出席者も100人近く、コロナ前にほぼ戻ったでしょう。

但し式次第は短縮されたままで、市長挨拶のあと、午前8時15分に1分間の黙とう、広島・長崎両市長からのメッセ―ジ披露、有志が折った折り鶴を捧げ、全員の献花で終了しました。

従来はそのあと皆で、「♪ああ許すまじ原爆を、三度許すまじ原爆を、世界の上に」で終わる歌を歌うのですが、コロナ以降無くなりました。

 

4,式の議事進行は、地元の高校の生徒会役員3人が担当し、両市長からのメッセージ

は中学生男女10人が代読しました。

 こういう場に若い人が活動する姿を見るのは嬉しいです。

5.出席する前に、PCに「茅野市平和祈念式」と入れて検索してみました。

検索画面の1頁に私の昔のブログが2つ載っているのに驚きました。私のブログを見る人などごく少数なのに、きっと検索する人が少ないのだろうと少し寂しく感じました。

 

6.検索の2頁目には、「長野県茅野市の「原爆の火」維持困難、カレンダー購入で支援を」という昨年11月9日の記事もあります。

 「ロシアのウクライナ侵攻などによる燃料費高騰で、「平和の塔・原爆の火」の維持が困難になっているとして、同市平和祈念式実行委員会が支援を求めている。画家いわさきちひろ作品のカレンダーを販売し、売上を資金に活用する。「今年は例年以上に燃料の確保が難しい」と協力を呼び掛けている」。

原爆の火」(広島での原爆投下時の残り火)は1995年以来ここでも燃え続けています。何とか続いて欲しいと願います。

7.最後に、検索画面の上位にある、2019年のブログ「平和祈念式典とジョン・レノンの「イマジン」」に書いたことの一部です。

(1)この年の式に出席したところ、地元の永明小学校の6年生が担当の先生と参加していた。たまたま隣に座った先生から話を聞いた。

(2)「総合学習」の時間に「平和」について学習した。

「日本が過去に経験した戦争の悲劇を、まず知り、考える」ために、

・原爆の出来事について調べて発表する。

・数か月かけて千羽鶴を折る。

・「平和の塔」の掃除活動を続ける。

・「原爆の火」を茅野市に持ち帰った人から話を聞く。

・そして、最後の授業では、「50年前に平和への願いを込めて作られたジョン・レノンの「イマジン」を皆で歌いました。世界中の人たちと同じ思いを共有できるようにと願い、英語で歌いました」。

 

(3)こういう先生がいるのだ、と聞いていてちょっと胸が熱くなりました。

彼ら・彼女らはいまは高校生。皆で「イマジン」を歌ったことを覚えているでしょうか?