「東おばさんと京じいさん」の話

1.今回は京都の岡村さんを紹介したいと思います。

このブログがフェイスブックからも見られるようになったのは、6年前。

以来、岡村さんは毎回欠かさずコメントを載せて頂き、内容も(私の本文よりはるかに)面白く、たいへん感謝しております。

 

2,内容は多岐にわたります。

(1) 同氏は、祇園町の会長を長くやっているので、私が京都の話を載せると、祇園

今昔話を書いてくださることが多い。時に舞妓さんの写真もあります。

(2) 大学を出てすぐの1970年代初めに、五木寛之の『青年は荒野をめざす』を読んで自分もと思い立ち、世界一人旅をした。海外の話を載せると、自らの旅の体験談を披露してくれる。これも面白い。

(3)奥様はすでに亡くなられているが、長野県茅野市の出身です。ですから私が茅野での暮らしを報告すると、ご自分も夏に畑を手伝ったとか、フォローして下さる。

(4)その他は私が取り上げる種々雑多な話題に触発されたコメントです。本の紹介もあり、よく読んでおられます。

3. 前回のブログはシドニーからの訃報についてでした。

以下は、これを読んでの岡村さんご自身の思いです。

 

(1) まずは遥か昔、高校の卒業旅行に、岡村さんを含めた友人男性3人が京都から伊豆

旅行をした。

そこで泊まったユースホテルで、東京から来た3人の女子高校生と知り合った。親しくなって連絡先を交換した。その後、50 年以上たって連絡が復活し、「東おばさんと京じいさん」が連休明けに東京の神保町で会うことになった。

 

(2) そしてその後の出来事を、前回のブログに対するコメントとして、以下のように

載せて頂きました。

――昨年12月に、3人が京都から上京して6人が再会し、懐かしい昔話で盛り上がった。

ところが、今年の5月になって、3人の女性のうち、段取りをしてくれた女性が亡くなったという知らせを、妹さんから受け取った。

再会時には一言も言わず、終始明るく振る舞っていた彼女は実はがんを病んでいた。

(3) それを知った男性3人は、7月末に京都から上京し、妹さんの案内で両国のお寺

にお線香をあげてきた。

妹さんから、すでに癌の転移により余命3カ月と宣告されていたことを聞いた。最期は緩和ケアを受けていた(この点はシドニーの野田氏と同じ)。緩和ケアで「何より大切にすべきは、ただ生きることではなく、よく生きることである」と言われていた。

 

(4)しかも、男3人にそれぞれ書き残した手紙があった。

昔に戻ると、男3人は伊豆旅行のあとも、東京の自宅を訪れて妹さんにも会っている。男どもは忘れていたが、「そのとき、貴方達は我が家に泊まったのよ」と言われた・・・などのエピソードがたくさんあります。病について一言も明かさず逝った女性の気持を思って、岡村さんは涙を抑えられなかったでしょう。「よく生きる」とは、最期まで他者への気遣いを持って逝くことも含まれるのでしょう。

 

4.以上のコメントへの私の返事は以下の通りです。

「3人の京男と3人の東女が伊豆旅行で偶然会って、50年後に東京で再会する。その直後に、この段取りをつけてくれた女性が亡くなる。3人は東京まで出向き、故人のお墓にお参りする・・・・拝読する私まで涙が出てきます。小説になるような出来事で、想像力が膨らみます。根っこには、京都の男性の優しさもあるのではないかと思いました。大事な思い出話を披露して頂き有難うございました」