「Go to 京都」―「イノダ」と「松長」の魅力。

1. 東京は16日(木)に警戒レベルを「最高」に上げました。私たち老夫婦は、2日(木)から長野県茅野市の山奥に暮らしています。東京に居ても人には会えないし、大学の図書館はやっとオープンしましたが学内の教職員と学生以外入館できず、ということで逃げ出しました。

当地に来て2週間何事もなく過ぎたので、人様に感染させる恐れはなさそうです。当地諏訪地方は感染者まだ1人で(長野県全体は84人)、出張で東京往復したサラリーマンだそうです。

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2.他方で、友人のフェイスブックを覗くと、京都は東京より活動は自由なようで、堺町通三条下がるの「イノダ本店」もオープンしていて、円卓での常連さんによる朝の会話も活発でしょう、懐かしくも羨ましいです。

 これだけ「ステイ・ホーム」が長いと、老妻と二人暮らしならまだ話相手がいますが、一人暮らし(例えば連れ合いを亡くし、子供も独立した、何人かの友人のような)を思うと、寂しいだろなと思います。

そして、あらためて「イノダ」の円卓の存在意義は大きいなと痛感します。友人の近所にもこういう居場所があればいいのですが、東京では少ないのではないでしょうか。

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3.「イノダ円卓」の魅力は、

(1)まず、1年365日、朝7時からやっている。この時間から開いているのは有難い。珈琲を飲んでそれから仕事に十分間に合う時間でもある。

(2)常連用の円卓は、出入り自由、気が向いたら出かけて座っていればいい、帰りたくなったら自由に帰ればいい。だから殆どの客がひとりで来ます。

(3)会議の場ではないから、全員が同じ話題に加わる必要もない。2,3人ずつそれぞれ別の会話をしていたり、1人で新聞を読んでることもある。あるいはすぐ近くの別テーブルで1人で本を読む、気が向いたら読む手を休めて会話に加わる・・・・この「自由さ」が魅力です。

(4)しかも一人といっても、自分の家でではなく、すぐ近くに見知った人たちが座っている、入ろうと思えばその輪に入ればいい、近くに人が居る雰囲気を感じながら、しかし自分は一人で読書をし、珈琲を飲む。この「距離感」がいいのです。少なくとも私の感性にはぴったりです。

(5) 更に言えば、常連といっても、おそらく主に「イノダ」でのお付き合いで、それ以上には広がらない人も多いのではないか。この距離感もいいなと思います。

(6)しかも、この円卓、常連さん専用席ではなく、空いていれば観光客が座っても一向に構わない。現に、円卓の主・柳居子さんはそういう人たちを招きいれて、親しく会話をしたことをブログに書いています。多少敷居は高いかもしれないが、少なくとも常連さんには「よそ者」を排除するという差別意識はない。

3. というようなことでしょうか。

この「円卓での朝の会話」ですが、飯島さんが「皆さんの溢れる知識、経験で話題は多岐に渡る」と書いています。

 男性と女性の違いも話になったようです。岡村さんからフェイスブックにコメントを頂きました。外国人と結婚した卓球の福原愛さんや後藤久美子のこと。古い映画『招かれざる客』のこと、映画ではシドニー・ポアチエ演じる黒人青年と結婚したいと言いだした白人家庭の娘に、スペンシー・トレーシーの父親は「怒り狂う」が、キャサリン・ヘプバーンの母親は「娘の味方になり、穏やかに夫を説得する」・・・。

ここから岡村さんは、「女性は外国の男を異人種と考えない思考があるのではないか。そして女性はどこでも暮らしていける力を持っている。結局中年の頭の固い男を納得させるのは、政策よりも奥さんや女性かもしれない」という感想を披露され、面白かったです。しかも同氏は、若い時の海外放浪の旅が長く、どうやら異国の女性にモーションを掛けられた経験もありそうで、実感がこもっています。

 それに柳居子さんが、「親や家族と別れて、相手に飛び込んでいくという潔さは男性にはなく女性にのみ備わったものと考える」というコメントを追加。お二人の女性観を面白く読みましたが、「円卓での朝の会話」にも少しは関係あったでしょうか。

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4.御池通り高倉上がるの「松長」のことにも触れておきます。常連が集まるのは朝だけではなく、夜酒を飲む場所も大事で、「松長」は格好の「円卓」になります。

江戸時代から続く古い割烹で、今のご亭主は10代目ですが、気楽な雰囲気で居酒屋とあまり変わらない。この若い女将さんが神奈川の出身で「都の西北」の卒業生、それが「いけずな(?)」京都の町に見事に馴染んで立派に店を切り盛りしています。京都の人脈も拡げ、NPO的な活動もやっています。

とにかく、気安く立ち寄れる場所。常連だけでなく、外国人も飛び込みで入ってくる。すると女将は率先して仲間に入れてしまう。夏だったら浴衣を着せてあげて、祇園祭りの季節だったら、常連さんに連れて行ってもらう、こんな雰囲気です。5.実は、先週の夜、蓼科にいる私の携帯が鳴り、「松長」で飲んでいる常連の一人藤野さんからで、女将とも暫く長話をしました。「松長」で手伝いをしていて、2階でお花の教室も開いている女将の友人の女性が、京都に居る私の従妹と会ったという報告もありました。

翌日、従妹にメールで知らせたところ、「人の紹介で、週一度うちに来てくださることになりました。とてもいい人です。世間は狭いですね。でも京都はまあまあこんなもんです。」という返事が来ました。

「うちに来る」とは、「時雨亭文庫」の事務局で働くということですが、まあそれはともかく、久しぶりにそんな話を京都の人たちと交わし、懐かしかったです。

 なお、この文庫が目下お蔵の修理・新設のための基金を募集しており、「クラウド・ファンディング」も活用しています。

以下のサイトによると順調に資金が集まっているようですが、ひょっとしてお気持ちのある方もおられるかもしれないと思い、宣伝させて頂きます。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/reizeike?fbclid=IwAR156utJLb-p4TjtXR3HUpqjfcYLMLeftgnCh7Xg9pfCm3iKHJSC8BtLuvw

6.実は今回は米タイム誌のコロナ特集記事の1つを紹介するつもりでした。

「隔離の後で(After Isolation)」と題して、もともとアメリカ社会では「孤独」が大きな社会問題になっていた、それがCovid-19でさらに「孤独」を感じる人が増えているという内容です。

ところが、京都の思い出話で長くなってしまいました。次回、機会があればご紹介するかもしれません。