75年前の昨日、日本の国民は降伏を知らされた

1.昨日は終戦記念日でした。75年間、少なくとも日本は、戦争がなく暮らしています。これがどんなに貴重なことかと思います。

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この年になっても、平和な田舎暮らしを過ごせることに感謝しています。先週末は、年下の友人夫妻と4人で、地元の農家から借りた土地で作ったじゃがいもの収穫をしました。

今年はコロナの自粛で、いつも手伝ってくれる長女夫婦が来られず、種芋を植えつける時期が遅れ、おまけに長雨もあり、収穫は例年の3分の1ほど。それでも、翌日の夕方は友人のお宅で収穫を祝いました。

いま、当地は野菜の豊富な時期で、我が家も連日ベジタリアン向けのメニューです。スーパーに行っても「生産者直売」の野菜が並んでいて、熱心に買い求めています。皆さんマスク着用とはいえ、これも平和な光景です。

ロンドン郊外に住む次女の一家は、しばらく帰国できませんが、ときどきラインで、顔を会わせます。75年昔には激しい戦争をしていた異国にいま平和に暮らしています。

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2.他方で、前回ブログで紹介した「明子のピアノ」の河本明子さんは、1926年ロスアンゼルス生まれ、35年にアメリカ製のピアノとともに一家で帰国しました。父母の故郷広島に住んでもピアノを習い、ショパンを弾くのが大好きでした。

しかし、帰国した35年に日本は国際連盟から脱退、翌々年には日中戦争が始まり、太平洋戦争へと広がり、1945年無条件降伏を受諾した9日前に被爆しました。

彼女の場合、物心ついてからほとんど平和を知らないうちに、19歳でこの世を去りました。

彼女が愛したピアノは蘇り、6日の広島でのコンサートでも披露されました。コロナがなければ来日して演奏する筈だったマルタ・アルゲリッチは、「私たちは彼女のことをはっきり記憶するでしょう」とパリからメッセージを残しました。

何人かの方からコメントを頂きました。

・飯島さん「あの日あの時間、いろんな思いを持った人々が一瞬にその全てを断ち切られたのです。数多くの戦争犠牲者の方々に思いを馳せると胸が張り裂ける気がします」

・Masuiさん「広島への祈りは小生の心に深く深く特別なメッセージとして響いてきます」

・岡村さん「ジョン・レノンの「イマジン」が頭をよぎるのです。僕らの時代はベトナム戦争でした。ナパーム弾に爆撃されて逃げ惑う少女の写真がピュリツアー賞を取った事が思い出されます。71年~72年にかけてシドニーに居ましたが、ラジオからは毎日のように「イマジン」が流れていました。前の戦争もこの戦争もいったい誰の為の戦争だったのでしょう」

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3.こういうコメントを読んで、まだ戦争の記憶と思いが継承されていることを改めて感じました。

しかし、若い人たちにもそのような記憶が伝わっているかといえば、難しいでしょう。

コメントに心から感謝もし、同時に、戦争を知る高齢者が徐々に少なくなる現実のもとで、悲劇をどう継承していくのだろうかと考えました。記憶は薄れていく。だからこそ記録を残していくことが大事。「明子のピアノ」もその一つとして残っていく。そしてその物語に、マルタ・アルゲリッチのような世界的な音楽家が真摯に向きあい、まっすぐに取り組んでいるという姿勢に、未来への希望を感じています。

 「明子のピアノ」だけではなく、この時期、新聞などメディアは連日あの戦争の悲劇を伝える、辛く・悲しい記事が多いです。私は辛くても目を通すようにしています。

 祈念式典での平和宣言もそのひとつです。6月の沖縄慰霊の日で玉城知事は、一部を琉球語と英語で語りました。昨年末アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の生き方にも触れました。長崎の田上市長は、昨年この地を訪れたローマ教皇の言葉を引用し、「75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています」として、悲惨な記述を引用しました。

f:id:ksen:20200815080351j:plain また、9日付同紙は、「戦争の悲惨さ孫に伝えたい」と題して75歳の女性永田栄子さんを紹介しました。長崎出身の父は毎日新聞の記者だったが、6月、沖縄戦線の従軍取材で32歳で戦死、その8日後に長崎で生まれた彼女は家族とともに被爆した。「被爆したことを人に言ってはいけない。言えば差別される」と祖母に言い聞かされて育った。しかし幸せな結婚をして、娘はオーストラリア人と結婚し、一家で豪州にいる。永田さんは中学生と小学生の孫3人に3年前から毎年夏、メッセージを送っている。「沖縄戦では母親が子を背負って敵に向かって行った。子供が手りゅう弾を手にしていたんだ」。そうつづっても孫たちには伝わらない。「悲惨さが届いているか分からないけれど、分かるまで、嫌がられても毎年書くつもり」・・・・・

 

 12日の毎日新聞には、長崎支局の若い女性記者(沖縄出身)が、(沖縄でも長崎でも)「分かってくれないもどかしさと、忘れ去られようとする不安にあらがいながら、75年前に何があったのかを必死に伝えようとしている人たちがいる」と書きました。永田さんもその一人でしょう。

f:id:ksen:20200815081051j:plain5.私のような市井の老人は、せめてこういう記事を丁寧に読むことぐらいしか出来ないのだが、と思いながら毎年読んでいます。子どもも孫も日々の暮らしに忙しくて読む時間はないでしょうが、せめて暇な老人の義務だと思っています。

 そして、もうひとつこの時期は、岡村さんが書いてくださる「イマジン」を聞き、歌詞を思います。ジョン・レノンの作詞作曲ですが、2017年に作詞は夫人ヨーコ・オノとの共作と正式に認定されました。

・・・・Imagine all the people (想像してみよう 誰もが平和に生きている世界を)

    Living life in peace

   You may say I'm a dreamer (僕のことを夢見る人と君はいうだろう)

   But I'm not the only one   (だけど、僕はひとりじゃない)

   I hope someday you'll join us  (いつかは君だって仲間になってほしいし)

   And the world will be as one  (そうなれば世界はひとつになるんだ)

 8月9日、田上長崎市長は、こう呼びかけました。

「日本政府と国会議員に訴えます。核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」。

 この人もまた「夢見る人と君はいうだろう」――「だけど、彼はひとりじゃない」。

昨日の毎日新聞には、「NHKが昨年12月に実施した「政治意識月例調査」(1238人回答)で「核兵器禁止条約に参加すべき」と65.9%が回答。「参加しなくてもよい」が17.1%だった」とあります。