- 前回紹介した下前さんは、8日無事退院され、9日には「イノダ」再登場の写真が
FBに載り、ブログも再開。よかったです。
2.先週8月6日は79年目の広島「原爆の日」。
茅野市でもこの日第29回の平和祈念式典があり、早朝から強い陽ざしの中、二人で参加しました。
(1)市の運動公園の一画、「平和の塔」前に100人弱が集まったでしょうか。
主催者挨拶、市長挨拶、「広島平和の旅」に参加した中学生6人からの報告。
(2) 8時15分に黙とう、有志が作った千羽鶴が献じられ、参加者全員が献花をして終
わりました。
広島と長崎の両市長からメッセージが送られました。
3.(1)私がいま住んでいる茅野市のホームページには、
・「1985年に「非核平和都市宣言」をした」
・「21世紀を迎え、世界の恒久平和の実現を目指す非核平和都市宣言のまちとして、市民ぐるみで非核平和について考え、特に次の世代を担う若者たちに平和の大切さ、生命の尊さを啓発していくことを目的として、様々な事業を実施してきた」
とあります。
(2)「事業」の一つに、「広島平和の旅8月5~7日」があります。――「(地元の)中学生の代表8名に参加していただき、広島での平和記念式典参列、原爆ドーム、原爆資料館の見学、被爆者の方のお話を聞くなどをしています」。
(3)今年の式典では、昨年8月の「旅」に参加した6人の中学生による報告がありました。
ある中学生は「「戦争は、言葉には表せない、凄惨な人類の罪」という価値観が自分の中に生まれ、平和について考えた」と語りました。
(4)広島・長崎合わせた被爆者の生存者は約35万人、平均年齢は85歳を超えました。
4.茅野の式典の歴史について補足すると、
(1)1995年に、公園内に「原爆の火・平和の塔」が作られた。
市民実行委員27名の連名で広く市民から募金を募り、市からの100万円の募金も得て完成した。翌96年に第1回の平和祈念式が行われた。
(2) 活動は、市民の自主的な動きに市が協力して実現したもので、以後、コロナ感染が広がる中でも休むことなく続いています。実行委員のボランティア活動に頭が下がります。
5.その後自宅で、同じ時間の広島、9日長崎の式典の模様を見て、新聞も拡げました。
(1)「平和宣言」の中で松井広島市長は,「昨年度、平和記念資料館」には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かってないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます」と語りました。
(2)そしてこの198万人のうち、3分の1の67万人が外国人だった」と新聞は伝え、あるNPO理事長は,
「平和を本当に必要なものだと考える人たちが、巡礼のように被爆地を訪れているのではないでしょうか」と寄稿しました。