忘年会の合間に『公卿会議』(美川圭、中公新書)を読む

1. 忘年会のシーズンで都心のどこに出かけても人が多いです。

私も学校時代の友人とか、豪州やニュージーランドで一緒に働いた仲間の会とか、昔の職
場の同期の集まりとかに、いそいそ出かけています。


(1) 豪州やニュージーランドで一緒に働いた仲間の会は、私が一番の年長で、20歳近く若い、まだ現役の連中もいるので普段聞けない話が出て面白いです。
恒例で皆さんから近況報告をもらいますが、社員数300人前後売り上げ500億程度の中堅企業の役員部長クラスが2人いて、どちらも人出不足に困っていると言っていました。むしろ期待は外国人で、例えば慶応卒の中国人の女子学生を採用したがまことに優秀で、日本を好きになって定着してほしいと言っていました。そういう、現場の・外国人を仲間として期待するという気持ちに比較すると、家族帯同も認めずに外国人に単なる労働力として短期間だけ来てもらうという発想は、日本人の思い上がりではないでしょうか。


 他方で、アメリカ勤務の長い某君は、息子さんがこの度アメリカの大学を卒業して、何とグーグルに入社が決まったというので驚きました。超難関でしょうが論文を提出して認められたとのこと、AI関連の業務につくそうで初任給も相当の高額のようです。
AI開発には、コンピュータの知識だけではなく心理学・哲学など多様な知識と発想が必要なようで、そういうところが評価されたようです。
日本人がアメリカの超優良企業に採用され、日本にも中国人の優秀な人材が入ってくる、そういう時代になっているのだな、と改めて感じました

(2)職場の同期の集まりは毎月やっていて、10人前後が神田にある一橋大学卒業生のための如水会館に集まります。
 同大学の校友会を「如水会」と呼ぶそうで、名付け親は渋沢栄一。同会の公式サイトによれば、中国の古典にある「君子の交わりは水の如し」からとった、渋沢氏は「水は平和にして、また変動あるもの」であり、良い言葉と思うと言っているそうです。

けっこう真面目な集まりで、毎月誰かが話題を提供して、簡単な報告をします。
職場柄全員が英米をはじめ海外勤務を経験しているせいか、海外の出来事への関心が高く、米中の貿易摩擦、英国のEU離脱、フランスの反マクロンの大規模デモなどの話題で盛り上がります。

中には、堅い話題ではなく、「文芸路線」の披露もあります。
先月は某君が、10数年続けている窯で陶器を作り上げる楽しみを語ってくれました。
今月は私が、お正月も近いということもあって、「和歌の話」をしました。
和歌といえば、まずは百人一首がいちばん入りやすい、さらには、「かるた」や「坊主めくり」でお孫さんと遊ぶのが和歌に接する第一歩、トランプが気になるのも分かるけど、正月ぐらい「かるた」で遊んでは如何か?
そして、たまには騒がしい現世から少し身をおいて、千年も昔の日本人の雅な世界を思い出しては如何?というものです。


2. 千年昔の日本といえば、前回書名だけ触れた『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(美
川圭、中公新書)を興味深く読んだので、今回はこの本を補足紹介して終わりにします。
著者は日本中世史を専門にする立命館大教授。寄贈していただきました。


(1) 面白いテーマで、これは話題になりそうだと思っていたら案の定、日経の書評に出て、毎日新聞磯田道史氏が「今年の3冊」の1冊に選びました。
もっとも磯田氏が「学問的な新書だが〜」と書くように、決して読みやすい本ではあり
ません。とくに、天皇や貴族の名前や時代や職名など、たくさん出てくる固有名詞が覚えられず、しょっちゅう前に戻って確認することになります。
しかし、もちろんこれは著者の問題ではないので、中世の歴史を論じていく以上、当然に必要な知識です。
そしてその点を精読していけば、たいへんに興味深い書物です。


(2) 「貴族は意外と勤勉だった?奈良・平安から南北朝まで、屈指のエリートたちが繰り広げた「会議」の変遷をたどる」と本書の紹介にあります。

本書を書きあげた契機について、著者はまず「はじめに」で50年も前の学者の次の文章を引用します。
――「ふつう、平安時代の貴族は、政務をおろそかにして、毎日詩歌管弦に時を過ごし、遊んでばかりいたように思われがちである。(略)
けれども、それだけでかれらの生活がわかったように思っては大間違いである・・・」
ということで、美川さんは豊富な史料にあたり実に丁寧に検証していきます。


その問題意識について、「あとがき」でこう述べます。
―――「本書では律令制の時代から、南北朝期の終わる頃まで、約700年の朝廷における公卿(くぎょう)会議の歩みを・・・具体的にたどってきた。そこで思うのは、宮廷貴族たちが、意外なほど会議での合意をめざして、それなりの努力を続けているということである。
 困難な問題が生じたとき、武力を行使するよりも、まずは会議を開いて合意をえて進もうとする志向は、少なくとも侮蔑の対象になるべきものではない。天皇上皇を宮廷貴族の合議で支えていくという体制は、ときに専制への方向に走ることもあったが、(日本でも一時期見られた)「族滅(ぞくめつ、一族皆殺し)」に象徴されるような、大量殺人をともなう苛烈な支配には向かわなかったのである」。


(3) 以上のような著者の問題意識は、トランプの「分断」やこの国の「一強」が懸念されているいま、とても大事だと感じました。それは「民主主義」とは何かということにも広がっていくのではないか。


美川さんは、昨年秋から1年間、サバティカル(在外研究休暇)をとって、英国ケンブリッジ大学に滞在しました。その時に、娘の家にも一家で遊びに来てくれました。
「勤め先の大学の授業と膨大な雑務を免除される機会をえて、半ば思いつきで、議会政治の元祖英国を赴任先に選び、ケンブリッジ大学アジア中東学科に所属し、その緑あふれる環境のなかで、本書の執筆を開始した・・・」と書いておられます。

在外研究の時間を無駄に過ごすことなく、見事な成果につなげたことは、まことに立派なものだと敬服した次第です。

『ある正金銀行員家族の記憶』(八木和子)を読む

1. 本郷の東大キャンパスを歩き、三四郎池の写真を撮って、前回載せました。
犬を二匹並べて撮影している女性もいて、のどかな風景でした。

他方で、世の中は米中関係、Brexitの行方、パリの大規模デモなど先進国も不穏のまま年を越しそうで、気になります。
それに比べて、ここ2回触れたオーストラリアはやはり「ラッキー・カントリー」です。中国人の移民が増えて不動産価格が高騰して、若者は住む家に苦労している、といった話も前から聞きますが、それでも魅力的な国のようです。
オーストラリアのようにG20にも入っていないし、大国ではありませんが、ニュージーランドはもっと魅力的な国のように思えます。
NHKの国際ニュースを見ていたら、ニュージーランドで「週休3日で生産性を維持している」会社が話題になっているという特集を報道していました。


何せ、首相が生まれたての赤ちゃんを連れて国連総会に出席した国ですから、素敵だと思います。ちょうど日本の国会議員団が出張していて、表敬訪問に行ったら、首相は
授乳中でびっくり仰天したという記事を読みましたが、ほほえましいですね。


私事ですが、前にブログに書きましたが、ロンドンで働く次女は2月に2番目の子を出産し、まだ授乳中の8か月目の10月に、やはり赤ん坊を連れて日本に出張でやってきました。いまは、金曜日を自宅で仕事する日に決めているそうです。お陰で、上の子の学校への送り迎えを普段の日はナニーさんと亭主に頼んでいるのですが、金曜日は彼女が車を運転して担当する由。
ニュージーランドほどではないにせよ、たぶん日本よりは女性の働く環境としては恵まれているように思います。
この違い、どこから来るのでしょうね。


少なくとも「違い」を知ることは大事ではないかと考えたのは、贈呈して頂いた2冊の本を読んだからかもしれません。

1冊は私家本で、『ある正金銀行員家族の記憶』(八木和子)、もう1冊は『公卿(くぎょう)会議』(美川圭、中公新書)です。


2.『ある銀行員の〜』は戦前、横浜正金銀行(正金)で勤務した今川義利氏のお嬢さん八木和子さんが書かれたものです。「正金は、明治13年、日本の貿易を支える金融機関として設立され、世界の三大為替銀行の一つといわれた」と八木さんは書きます。


(1)八木さんは、昨年の末までにこの回想録を書き上げ、今年の3月、98歳で逝去。
本書は6月に出版されました。
八木さんの姪御さんが、昔の職場で一緒だった友人の奥様にあたることから、本書を恵贈して頂きました。
つまり今川氏は、友人の奥様の祖父にあたります。
「昔の職場」というのが、戦後になって正金を継いで出来た銀行なので、同氏は大先輩でもあり、戦前の、とくに海外での活躍ぶりをたいへん興味深く拝読しました。


(2) ご家族にとって幸運なことに、戦前の正金勤務時代の手紙や資料、写真などがすべて残っていて、それに加えて、大正9(1920)年ロンドンで生まれ、その後、父親の海外転勤にもすべてついていった著者の鮮明な記憶が加わり、貴重な記録になっています。
執筆を続けたのは著者90歳代のときですが、高齢ながら記憶力も文章力もしっかりしています。40代のときには、女性の発明くふう展というのに出品して、科学技術庁長官賞を受賞したという方です。


(3)今川義利氏は、明治26年水戸で生まれ、仙台の旧二高から東大を出て、大正6年に正金に入行。
以後、1943年戦争開始とともに捕虜になって、交換船で帰国するまでの24年間をほとんど海外で勤務しました。

入行後3年目にサンフランシスコ、以後、若干の国内勤務を挟んで、ロンドン、上海、大連・奉天(何れも当時は満州国)、カルカッタ(インド)、スラバヤ・バタビア(当時のオランダ領インド、現在のインドネシア)と、まあよく海外勤務が続いたものです。
3年ぐらいで転勤・移動しています。苦労も多いが、良い経験だったでしょう。

本人はともかく、「同伴される家族の方はある意味悲劇である。自分の意志で動くわけではないから、幸運なこと、楽しいことはあっても、それ以上に悲しいこと、災難、さまざまな別れなど、運命に翻弄され続けることになる」と著者は書いています。
たしかに、振り回されたでしょうね。しかし、それだけ、小さな子供だった著者を含めて、皆さんそれなりにたくましくなったのではないか、「違い」を知り、見方を拡げることにもなったのではないかという気もします。

(4) 氏は25歳で初めて異国に行き、アメリカに勤務。当時、正金の先輩からよく言われていたのが、「よく学び、よく学び、よく遊び」だったそうです。
最初の学びはもちろん仕事だが、2番目の「学び」は、「当時手本とされていた英国紳士と対等につきあえる教養を身につけること・・・特に基督教を理解し・・・モラルと正義感を合わせ持つ、立派なジェントルマンであることを目指したのである」と著者の八木さんは書きます。
「よく遊べ」とは、「外国人との付き合いには欠かせない遊びの習得である」とあります。

そういう時代だったのでしょうね。
いまのトランプさんのアメリカとは、天と地も違うような気もしますが。


今川氏の場合は、水戸中時代に熱心に教会に通い、英語を学び、やがて二高時代に洗礼を受ける。教会で一緒だった女性と結婚する。
東大では、大正デモクラシーと言われた時代に、「民本主義」を唱えた吉野作造の薫陶を受ける。
したがって、2番目の「よく学ぶ」は習得が早かったでしょう。
そしてこういう教育環境にも、「ある時代」を感じます。



(5)海外勤務の話は、いろいろと興味深いですが、1つだけあげると、
インドのカルカッタ支配人から、いまのインドネシアに転勤するにあたって、現地行員一同から感謝状を贈られたそうです。
「インド勤務最後の日、勢ぞろいしたインド人の現地行員たちが、まるでマハラジャの品のように美しい、本体が銀製で精密な金細工がほどこされた免状入れの筒に入れた感謝状を持ってきたから皆がびっくりした」とあります。
クリスチャンということも、同氏の人柄に影響を与えたのかもしれません。
前例のない出来事だそうで、しかも感謝状の日付は1939年6月24日。開戦の2年半前ですが、すでに日英関係はデリケートな時期。しかもインドは英国の植民地でした。


(6)今川氏の、捕虜になってからの言動もなかなか立派だったようですが、紹介する紙数が尽きました。
教育や家庭のせいか、社会全体の空気のようなものか、昔はそれなりの立場にあって立派な人物が(もちろん今と同じく、威張ってばかりの碌でもない人間も多かったでしょうが)いたように思います。
いまも、どこかにおられるのでしょうか。お会いしたいものです。


3. 最後に、京都で知り合った、中高の後輩・立命館大教授の美川さんの本を紹介する紙数もなくなりましたが、同書はすでに日経の書評にも載り、毎日新聞磯田道史氏が、「今年の3冊」の1冊にあげています。

サーロー節子さん講演「被爆者として北米に生きて」

1. 先週は、まだ穏やかな日が続きました。
所用があって、久しぶりに本郷の東大キャンパスまで出向き、三四郎池の紅葉も見てきました。

4日(火)には、六本木の国際文化会館でサーロー節子さんの講演を聞いてきました。


2. その前に前回のダニ・ロドリック教授の政治的「トリレンマ」仮説と「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」について幾つか質問&コメントを頂いたので少し補足します。


(1) まず「トリレンマ」――グローバル化、国家主権、民主主義の3つの同時達成は難しいーーについてです。
これはあくまで仮説なので、一般化することの危険もある。あくまでケース・バイ・ケース、国ごと、事例ごとにどこまで当てはまるか検証していく必要があるだろうというご意見を頂きました。まことにご指摘の通りと思います。


(2) 例えばエコノミスト誌は、オーストラリアは、少なくとも現時点では例外ではない
かと言います。
たしかに移民政策1つをとってもこの国は、トリレンマをある程度克服して、民意(民主主義)を尊重し、国民国家としてのアイデンティティを損なうことなく、「人の移動」というグローバル化を、かなりの程度達成できていること、前回報告した通りです。
今から50年昔までこの国は悪名高い「白豪主義」―― 白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策。 狭義では1901年の移住制限法制定から73年移民法までの政策方針を指す――を採用していましたが、以後劇的に政策を変換し、いまや国民の半分が移民もしくは親が移民であり、しかもアジアからの受け入れが最大です。



(3) この政策転換には、選挙制度も大きい。
選挙が国民の義務であり、投票率は100%近い。かつ、単純多数決ではなく「プレファレンシャル・システム」をとっている。後者は「選挙権者が、投票で候補者1名を記入するのではなく、優先順位をつける」やり方です。
この二つの制度は、政策を「中道寄り」にする効果をもつ、と同誌は言います。与野党どちらも(アメリカのような)分断や偏見をあおり、反対党を叩く戦術はむしろマイナスに働く。その結果中庸・穏健な意見が多数を占めることになる。移民受け入れもこのような国民の選択の結果、与野党間の対立や分断なく、幅広く支持されている。
選挙制度がこういう効果をもつ、という指摘は面白い、かつ重要だと思います。
アメリカであれば、投票が国民の義務になれば、共和党はいままで投票率の低い少数民族や若者へも、他方で民主党は保守層にも、支持を拡げないと勝てない
➜結果、両方とも少し中道寄りになり、「分断」は緩和されるかもしれない・・・・


(4) 前回のフォローの最後ですが、同誌の特集記事の表題「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」ですが、この国の優越性を語る記事の題名としていまいちぱっとしない英語だなと感じながら訳しました。
某氏から、「オーストラリアン・ボール」というサッカーやラグビーに似ているが少し違い独特のルールがある、この国でいちばん人気のあるこのスポーツを「オージー・ルール」とも呼ぶ、その言葉に掛けているのではないかという指摘がありました。
なるほど、記者は洒落た表題をつけたつもりで、スポーツに明るくない私にはその「言葉遊び」が理解できなかったということのようです。


3. 以上で前回のフォローは終わり、先週の話ですが、まず本郷の東大に行ったのは、
雑用で、文学部の図書室に初めて入りました。
英国の作家チャールズ・ディケンズの伝記が、邦訳が出ているのですが、原書にも当りたいことがあって、ペーパーバックの中古をアマゾンで注文しました。ところがいつまで経っても届かないのでしびれを切らして駒場の東大図書館で検索したら、本郷の大図書館にはないが文学部にあるというので出向いたものです。
まあ要するに暇なのでしょうね。しかし、アマゾンは未着の照会をしても電子商取引の応対でろくに返事もくれない。他方で、東大文学部の図書室は受付の「人間」が、こんな白髪の老人にもまことに親切に対応してくれて、嬉しかったです。それにしても、昔に比べて何ときれいなキャンパスになったものだろうと、いまの学生を羨ましく思いながら、しばらく散歩しました。


4. 最後に、講演会の話です。
(1) 国際文化会館の案内にはこうありますーー「2017年のノーベル平和賞受賞式で、世
界に向けて核兵器廃絶を訴えたサーロー節子氏は、13歳の時に広島で被爆し、1954年にアメリカへ留学しました。
対日感情の厳しい時代にアメリカで暮らした経験や、ソーシャルワーカーとしての思い、核廃絶運動などの社会的な活動に取り組むに至った経緯などのお話を通して、これからの平和を担う私たちが何をすべきか考えます」。

(2) 300人の聴衆が抽選で、幸いに私も当選しました。
サーローさんは、昨年末のノーベル平和賞受賞時以来の来日。同時通訳付きで、小一時間のスピーチを英語で、30分の質疑応答を日本語で応じました。完全なバイリンガルで、英語で発信できる被爆者の存在意義を強く感じました。
当年86歳、車椅子で登場し、杖とスタッフに支えられて登壇し、胸が熱くなりました。


(3) スピーチは平和賞受賞時のそれと重なる内容で、以前このブログでも紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20180121
今回も広島で被爆死した4歳の甥の話から始めて、モデレーターの道傳愛子さん(NHK国際放送局)がきれいな英語で「甥御さんの悲惨な死がサーローさんの活動の原点にあると思う」とコメントすると、サーローさんの眼がうるんだように思えました。


(4) 質疑応答では、
・「私たちは何をすべきと思うか?」のQ(質問)には、「日本には公開論争(Public debate)が本当に少ない。もっと政府と市民が公開でディベイトをすべき」と強調しました(日本ではディベイトというとマイナス・イメージがあるようですが、とても大事なことだと思います)。

・女子高校生からの「5年後、10年後の日本に何を期待しますか?」というQには「寛容で世界に尊敬される国であってほしい」というA(答え)。

・また、ノーベル平和賞を受賞したICAN核兵器廃絶国際キャンペーン)について訊かれて、「情熱とコミットメントを持って、ITも駆使した独創的かつ新鮮な取り組みを続ける世界の若者に感動している」と答えてくれました。


(5) 今年の国連では、昨年122か国の賛成で採択された「核禁止条約」の制定を歓迎し、各国に早期の署名・批准を求める決議案を126か国の賛成多数で採択しました。

(6) 核保有国やNATO加盟国など41か国が反対し、16か国が棄権。日本も反対しました。
「核禁止条約」については「現実的でない。ナイーブ」といった批判がこうした反対国を中心に強くあります。もちろんサーローさんもICANの36歳の事務局長ベアトリス・フィンさんも十分承知しているでしょう。
しかし、サーローさんは「核廃絶に命の限り迫る」と語りました。


サーローさん来日については、日経などの主要なメディアも取り上げないかもしれません。彼女の存在を知らない人、無関心な人、反対国と同じく「理想論だ」と反対する日本人の方が多いかもしれません。

しかしこういう人たちの存在とその活動について、少なくとも知ってほしい・・・・
そんな思いでこのブログを書きました。

ロドリック教授「トリレンマ」説とエコノミスト誌「オーストラリアの支配」

1. 小さな庭の冬薔薇を見ながら我が家を出て、さざんかが咲き銀杏が紅葉する東大研究所から大学キャンパスへと朝の散歩を続けています。

・家人とお喋りしながら歩きますが、娘がロンドンの金融で働いているせいか、英国のEU離脱の行方が気になり、そんな話題も交わします。
メイ首相はEUと合意した離脱協定案を、12月11日に英国議会にかける予定ですが、果たして承認されるかどうか?否決されたら?場合によって、英国の政治経済は相当に混乱するかもしれない・・・・


・そういう状況を懸念しながら、エコノミスト誌が教えてくれた「世界経済の政治的トリレンマ(trilemma,三者択一の窮地)」という仮説を思いだしています。
10年ほど前からハーバード大学のダニ・ロドリック教授が言い出した、
要は、(a)グローバル化,(b)国家主権(National sovereignty)、(c)民主主義、の3つを同時に実現することは難しい、という仮説です。


・すなわち、(1)グローバル化を果たそうとすれば、主権と民主主義とどちらかを犠牲にせざるをえない。
(2) グローバル化を図り、民主主義も守ろうとすれば、主権をある程度諦らめざるを得ない。
(3) 民主主義も主権も維持しようとすれば、グローバル化の実現は難しい。
➜いまの英国のEU離脱をめぐる混迷ぶりを見ていると、残念ながらこの仮説が当てはまるような気がしてきます。


EUと英国の残留派は、(2)を選択しようとし、
他方で、離脱派は(3)を固執している。グローバル化を犠牲にしても、主権(EUの言いなりにはならない)と民主主義(国民投票の民意)を守ろうとしている。
メイ首相は、長い交渉の結果、英国も受け入れ可能な「協定案」をEUと結んだと説明しているが、離脱派はこれでは「主権」が侵害されると反対している。
まさに「トリレンマ」が当てはまる状況ではないでしょうか。

・この仮説が気になるのは、トランプ路線が「グローバル化」の犠牲をもとに「アメリカ第一」を目指していること。
他方で、中国も主権は絶対に譲れない、しかしアメリカと違って民主主義なんか気にしない国だろうから、むしろグローバル化はやりやすいということになってしまう。
結果として、中国がグローバル経済のリーダーになりやすい、という結論になる。これは困りますね。

・民主主義は何としても守ってほしい。
他方で、グローバル化、つまり孤立する、あるいは二国間交渉で(力で)解決していくのではなく、多国間で自由な人の移動や貿易を認め合っていく、この二つが世界平和と発展のために重要だと考えるものですが、そのためには、ロドリック教授の仮説を認めるなら、ある程度「主権」を制限していかざるを得ない。そこが難しい。


2. ロドリック教授の仮説を紹介しているのはエコノミスト誌10月27日号ですが、
実はこの号の特集記事は「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」です。
まず「論説」で、「オーストラリア経済の飛び抜けて優良なパフォーマンスは、他の国々に教訓を与えてくれる」として、この国が唯一この「トリレンマ」から抜け出して,「グローバル化」「主権」「民主主義」の3つをある程度実現できていると高く評価しています。以下にその概要です。

(1) アメリカも日本も英国もフランスも先進諸国のすべてが、格差と所得の低位安定化、
膨張する国家債務、高齢化、移民などの問題を抱えている.
個人所得が増え、国家債務が健全化し、国民が満足する福祉政策が可能になり、大量の移民に国民の支持がある・・・・そんな国家は夢物語と思うかもしれないが、実は先進国の中でオーストラリアが唯一これに該当する。


(2) オーストラリアは、ここ27年間、一度も不況を経験していない。
この間、中間層の所得はアメリカの4倍のスピードで増えている。
国家債務はGDP国内総生産)の41%にすぎず、(日本の2倍強は論外だが)英国の半分である。

(3) 社会保障についていえば、GDPに占める国の年金支出はきわめて健全であり、OECD平均の半分に過ぎない。


(4) さらに目覚ましいのは、積極的な移民政策である。
オーストラリアでは、人口の29%が外国生まれ。国民の半分が、自らが移民か、親が移民かである。
しかも最大の受け入れはアジアからであり、優秀な移民の受け入れが国の基本政策である点で、二大政党の意見にまったく対立はない。
人種間のあつれきや差別も、移民が政治的なタブーである日本はおろか、欧米に比べてもはるかに少ない。


(5) もちろん、オーストラリアに問題がない訳ではない。例えば、
・先住民アボリジニ対策は一向に改善していない。
地球温暖化による干ばつ被害は増えているが、対策は遅れている。
・政治的には、資源の輸出や移民・投資の受け入れで中国の重要性が増している。同じく重要な対米関係とどう両立させるかが徐々に難しくなっている。


3. というような内容です。
オーストラリアは昔から、「ラッキー・カントリー」と言われています。
資源が豊富、気候も恵まれ、地政学的に有利など、努力しなくてもある程度やっていける条件がそろっている。


しかし、エコノミスト誌が指摘しているのは、「ラッキー」だけではなく、移民や福祉などで極めて前向きな改革、場合によっては国民に負担を強いる政策の実現に取り組んできた、そういう人為的な努力も大きい。
その点で、いま「トリレンマ」に苦しんでいる他の先進国も大いに見習うべきではないかという問題提起です。
記事は10頁の特集記事に続き、具体的にどのような取り組みと制度が優れているか説明しています。1点だけ紹介すると、この国の選挙制度です。

この国は、総選挙への投票は国民の義務で、選挙に投票しないと罰せられます。かつ、単純多数決ではなく、全議員が比例代表で選出されます。
従って例えば、選挙権者の40%しか投票せず、その51%をとれば与党になれるという、日本のような国とはまるで違う。
オーストラリアの選挙制度の持つ意味は非常に大きいとエコノミスト誌は指摘します。
日本ではまず実現は難しいでしょうが、考えさせる問題ではあります。

三田祭・駒場祭と若者から聞いた「出西窯」

1. 先週の日曜日は法事があり、谷中の天王寺という古いお寺に行きました。とくに「売り」がある寺ではありませんが静かなたたづまいを好むのか、最近外国人の旅行者の姿をよく見かけるようになりました。門前のななかまどが紅葉し始めていました。


2. 週の後半には研究会に出るため慶応の三田キャンパスを訪れたところ、ちょうど三田祭をやっていました。その翌日は、朝の散歩コースの東大で駒場祭でした。

駒場祭は祝日かつ好天のせいもあって、たいへんな人出でした。毎年賑やかになっているようです。最近の大学祭は、硬いイベントも殆どなく、平和な催しです。構内はテントの屋台とステージが目につくだけ。牛串だの焼きそばだのおしるこだの、部単位、クラス単位で同じような店を張ってお客を呼びこんでいます。
三田&駒場の両方の写真を並んで載せましたが、似たような会場と雰囲気で、どこの大学も同じでしょうね。

駒場祭は毎年、テーマを設定しています。2015年「祭りは旅」、一昨年は、「めしあがれ」、昨年は「おと、かさなる」、そして今年は「はい、ちーず」だそうです。
テーマの変遷を見ると面白いのですが、徐々に変わっていったとはいえ、1980年代の後半あたりからいまのような「基調」になったようです。

大昔、筆者入学の1958年は「民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう」。その前年の57年は「平和と民主主義を守ろう」・・・・.
たしかに大学祭をみる限り、平和になったものです。


今年も、「週刊東京大学新聞」(100円)の駒場祭特集を買い、「ミス&ミスター東大コンテスト」の最終候補者が決まり、男女合わせ10名の写真入りの紹介記事が目玉です。「最終日の25日午後2時にいちょうステージで結果発表が行われ、インターネット上と当日の投票によってグランプリと準グランプリが決まる」とあります。



3. 構内を歩くと、屋台や音楽と踊りのステージや、男女のレスリングのパフォーマンスまでやっている催しばかりですが、建物の中に入ると、まじめな企画も多少あります。


例えば、「2015年に国連で採択された、2030年までの「持続可能な開発目標(SDGs)」の知識を広め、必要な人材を育成する活動をしているグループの企画など、その1つです。覗いてくれた人に、ゲームとレゴに参加してもらい、開発と環境をどうやって両立させるか考えてもらうそうです。

また、「哲学や史学など人文学者の研究は、学問も実用本位の風潮で予算や人員の削減が続いている。危機感を持った大学院生が、将来を担う高校生など多くの人に人文学の面白さや意義を積極的に発信する」“ジブンXジンブン”という企画もある。

NHK学生ロボコン2018に出場し全国優勝した東大生のチームが作り上げたロボットを、自分の手で動かし、試合で課された課題に挑戦できる」という企画もある。

ということで、大学の名誉のために言えば、真面目な催しももちろんある。
しかし、ごく少ないようだし、どれだけ人も集まるか・・・
と考えると、大学や学生だけの問題ではなく、社会の風潮が、問題提起を好まない・現状維持・保守的・天下泰平、になっているということなのでしょう。


4. 駒場祭の楽しそうな学生姿を眺めながら、
21日(水)に、お昼を一緒にして、そのあと珈琲を飲みながら午後5時過ぎまで、4時間以上も話し合った22歳の女子学生のことを考えました。

彼女の母親と昔職場が同じで、3人で会いました。
会食の理由は、1つは彼女が1年間のアメリカの大学への留学を終えて6月に帰国した、遅まきながら、その帰国祝い。
もう1つは、前回ちょっと触れた私の身内の、浜離宮朝日ホールでのピアノ・リサイタルに大勢の友人を誘って母子で来てくれた、そのお礼です。

「・・・帰り道に我にかえり、4時間以上もお引き留めしてしまったことに気がつきました。内容の濃くあっという間の時間だったと、母と共に浸っていたのでした。
・・・今回は、アメリカ留学で得たものの普遍化、及び現在進行形で模索中のプロジェクトについても、話題にすることができました」というメールをもらいました。


5. 彼女の話で面白かったのは、アメリカの南部での1年間の留学生体験。「90%はしんどかったけど、1割はいい経験だった、行ってよかったと思う」という感想と同時に、アメリカの大学の授業が、素晴らしい、教授が実に学生に親身に接している、を聞きました。
常に、自分の話をいかに学生が聞いてくれるか(アテンション)、授業をいかに楽しく・充実したものにするか(エンターテイン)、この2つを懸命に考えて努力しているのが伝わってくる、こういう先生は日本の大学にはいないのではないか、と言っていました。


6. もう1つ、面白かったのは8日間の山陰ひとり旅をした話です。
まさにバックパッカーの旅で、1泊2000円の安宿に泊まり、見知らぬ土地の人たちと接して、すぐ知り合いになってしまう。その中には、お客のほとんど来ない土産物屋のおばあさんと何時間も店で話込む、藍染めの工房に行って、染の工程をじっくりと見て、話しを聞いて自分でも体験させてもらう、「出西窯」の窯元にも行って仲良くなり、登り窯にも案内してもらう。
(因みに、出西窯(しゅっさいがま)とは、ウィキペディアによれば、島根県出雲市西にある窯元。また、そこで焼かれる陶器のこと。
丹波、益子、唐津などで修行を積んだ地元出身の5人の青年によって開かれた。1947年の開陶と歴史は浅いが、柳宗悦バーナード・リーチ河井寛次郎といった面々の指導を受け、モダンな作風で独特の世界を切り開いた。)


という具合に、いろんな地元の人に親切にしてもらい、車に乗せてもらったり、夕食をご馳走になったりする。
その好奇心、行動力や人間力に、ほとほと感心しました。
素晴らしい若者がいるものです。彼女は、大学祭にはあまり興味はないのではないか、同質の人と群れるのがそもそもあまり好きではないのではないか。自分と違う社会・人間を知りたい、だからアメリカに行き、山陰をひとりで歩き、人に会う。


山陰のある地方都市で、「泊まったゲストハウスを経営している青年と仲良くなり、ここを知らない人たちが集まるスペースとして活用したいというアイディアに共感して、手伝うことにした」とも言っていました。
そのため、「近いうちに、また山陰に戻りたい」という希望を述べていて、「戻る」という言葉が新鮮でした。
若者と、まことに気持ちのよい時間を過ごしました。

G.オーウェルの「ナショナリズムについて」とマクロンの演説

1. 秋深まり、先週日曜日11日は好天で、家人と東大内のカフェで遅い朝食のあと、駒場公園にも寄って「旧前田侯爵邸」を拝見してきました。


修復のため2年以上閉鎖されており再び開館したのはごく最近です。そのせいか来館者も多く賑わっていました。重要文化財。無料なのも有難いです。
前田家本家16代当主の侯爵前田利為氏は、駐英大使館付武官として昭和2年(1927年)渡英、「昭和5年に帰国後は、新築したこの駒場本邸で家族とともに暮らしました。余暇には子供たちと庭園でゴルフや乗馬に興じ、イギリスの田園地帯を彷彿とさせる閑静な駒場での生活を楽しんでいたようです」
園遊会やパーテイの折に訪れた人は、田園の野趣が残る駒場の地に建つ英国風の重厚な洋館と瀟洒な和館のたたづまい、邸内を彩る外国製の調度品や前田家伝来の品々に目を見張ったといいます」と案内書にあります。


太平洋戦争が開戦すると、予備役に退いていた利為は、ボルネオ守備司令官として戦地に赴き、翌年搭乗していた飛行機の墜落により58歳で死去した由です。戦死と認定されました。
駒場での優雅な日々も長くはなく、侯爵といえども戦場で命を落としました。


2. 13日にはピアノのリサイタルを聴きに浜離宮朝日ホールに出掛けました。
身内に音楽家がいるのでいわばお義理ですが、久しぶりにスタンウェイのピアノから流れる生の音楽はとてもよかったです。
家族・親戚・友人など30人ほどが来てくれて、皆さん喜んでくれました。本人が作曲した本邦初演の組曲には「心底感動した」とコメントしてくれた友人もいました。
これも平和な日本の光景でしょうね。
朝の散歩時の東大キャンパスで早くから、野球の練習姿も見られます。
彼らが野球も学問も捨てて、戦争に狩りだされた時代もありました。

エコノミスト誌の引用ですが、「それでも2000年以降、毎年10万人に1人弱が戦争で命を落とした。しかし、この数字は、1950〜2000年に比べて6分の1、1900〜1950年に比べて50分の1に減った」そうです。


3. 戦争といえば、11月11日は第一次世界大戦終結から100年。
主な戦場となったフランスを初め世界のあちこちで追悼の式典が開かれました。
パリでの60か国以上の首脳が(トランプとプーチンも含め)集まった式典でマクロン大統領がスピーチ。「ナショナリズムを拒否することを彼らに訴えた」と英国BBCは報じました。
「昔からの悪魔がまた顔を出してきていることを私は知っている。大混乱と死とをもたらすつもりなのだ。歴史というものは時に、不吉な歩みをくり返すことがある」
「自らの利益を第一にし、他者を顧みない、それは国家がもつ最も大切な道徳的な価値を踏みにじることになる」
そして、「ナショナリズム愛国心を裏切るものであり、両者は対極にある考えである」(英訳は、Patriotism is the exact opposite of nationalism . Nationalism is a betrayal of patriotism.)
と発言して注目を浴びました。

英国BBCは,「自らを繰り返し“ナショナリスト”と呼ぶ(最前列に座った)トランプ大統領は、固い表情で聞いていた」として、

帰国してトランプはツイッターでさっそくマクロンを攻撃しました。
ちなみに、彼のツイッターは有名ですが、最近とみに増えて、1日平均10回以上発信しているそうです。
歩きながらでもスマホで発信する最近の若者を象徴するような老人で、百数十字以上の長い・よく考えた文章は、自分では書けないのではないでしょうか。


4. ナショナリズムについて、『動物農場』や『1984』の著作で世界的に知られるジョージ・オーウェルの言葉を思いだして、書棚から『オーウェル評論集』(小野寺健訳、岩波文庫)を取り出しました。

ナショナリズムについて」と題するエッセイの中で、彼はマクロンと同じように、愛国心との違いを以下のように明解に述べます。


――ナショナリズム愛国心(patriotism)ははっきり違うのだ。
ここには二つの異なったというより対立する概念がひそんでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。
わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式にたいする献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。
 ところがナショナリズムのほうは権力志向とかたく結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのであるーーー


5. オーウェルがこれを書いたのは1945年、第二次世界大戦終結の年です。
マクロン大統領はおそらく読んだことがあるのではないか。

オーウェルはまた、「出版の自由」と題する文章の中で、「自由(liberty)」について語ります。
――ヴォルテールの「わたしはきみの言うことが嫌いだ。だが、きみがそれを言う権利は死を賭(と)しても守る」という有名な言葉を引用したあと、
「もし自由に何らかの意味があるとするならば、それは相手が聞きたがらないことを相手に告げる権利をさすのである」と述べます。


6. Liberalという言葉はもちろん“liberty”から来ています。
リベラル派はいま、ナショナリスト、ポピュリスト、保守主義者などからの攻撃にさらされている、と創刊175年を迎えるエコノミスト誌は言います。

そこで同誌は、リベラルな思想の力を依然として信じて、その再生と「世界のリベラルよ結集しよう!」と呼びかける「マニフェスト」を発表しています。さらに、これに続く10頁におよぶ長文のエッセイで、「自由な市場」「移民と開かれた社会」「新しい社会契約(格差の是正など)」「新しい世界秩序」の4項目について具体的な提言をしています。


もちろん、これには多くの評価とともに、「ナイーブだ」「エリートらしい優越意識と建前論だ」「“自由”は強者が振り回す特権ではないか」といった批判が寄せられています。

同誌は、このように攻撃される状況になったのには、リベラル自身にも(エコノミスト誌自身の自己批判も含めて)大いに責任があることを認めています。

さすれば、リベラルは、まさにオーウェルの言うように、「聞きたがらないことを告げる」相手の権利をみとめ、批判に対して,素直に・謙虚に耳を傾けるべきでしょう。
リベラリズムの再生」はそこから始まるのだと思います。

それにしても、トランプという人は、マクロンと違って本をまるで読まないのでしょうね。現代を象徴するように、テレビとインターネットの世界にのみ生きているのでしょう。

米中間選挙、再びリベラリズムとJ.S.ミルについて考える

1.11月に入り、東大駒場の銀杏並木が少しずつ色づいてきて、歩く楽しみです。

2.米国の中間選挙については日本のメディアも大きく報じました。
翌日朝刊一面でほとんどの新聞は「ねじれ」議会という見出しでした。

他方でニューヨーク・タイムズ(NYT)は「今回の選挙は分断を裏付けた」と“division”という表現を使いました。
その象徴として、
共和党はますますトランプの党になり、
民主党は、ますます少数民族・女性・若者が支持する党になっている、と伝えました。
(そして長期的な人口構成の変化を考えると、共和党のリスクが大きいのではないかとも指摘)
・NYTは下院の民主勝利は女性の躍進にあるとして、「彼らは、動き出し、走り回り、そして勝った(They marched, they ran,and on Election Day,they won.)」「州で初めての黒人女性、イスラム系女性2人、ネイティブアメリカンの女性2人、最年少の女性議員」など、「史上初めて」を連発した、と報じました。


またワシントン・ポスト(WP)は「民主主義にとって偉大な日」と題する社説を載せました。
「民主主義のため、国民のために今回の“ねじれ”は良いことだ」、「なぜなら権力分立というアメリ憲法の理念からして、立法府(注:日本の憲法では「国権の最高機関」と規定されている)が行政府をチェックすることはとても重要だから」という論調です。日本ではややネガティブなニュアンスで使われる「ねじれ」をむしろ前向きにとらえる姿勢が見られます。
NYTは「民主が下院を制した、じゃどうする?」と題する社説で、勢いに乗って大統領弾劾に動くなどではなく、冷静に長期的に、トランプに批判的な共和党員の支持をも得られるような政策を打ち出すことを主張しています。


4.ところで、前回は英国エコノミスト誌の175周年について触れました。
1843年、リベラリズムを旗印に掲げて発刊された同誌は、今年周年行事として「開かれた未来を目指すプロジェクト」と題して、リベラリズム再生のための企画を、エッセイ・討論会・インターネット・映像など様々な形で行っており、前回紹介した論説「マニフェスト」もその1つです。

「再生」のために同誌が重要と考えるのは、
(1) リベラリズムという思想・価値観を再確認すること。
即ち、守るべきものは、個人の自由、みんなの利益、権力集中への警戒、そしてより良き社会を信じて、目指すこと。
(2) 同時にリベラリズムの方法論を再確認すること、
・ラディカル(急進的・現状破壊的)な姿勢を保つ(しかし革命は否定し、草の根の市民の力を信じる)
・プラグマティック(現実的)で、弾力的(アダプタブル)である。
(3)その上で、
・「論争(debate)」を歓迎する
・「過去」を振り返る
の2つから「再生」のための新しいアイディアが生まれる、と主張します。


論争というと、これまた日本では「争ってでも黒白の決着をつける」というネガティブなニュアンスがあるかもしれません。
しかしリベラルは「論争」を恐れない、むしろ大いに歓迎する、これは本誌を読んで面白いなと感じたところです。
ということは、時に「論争」で合意に達しない場合もあるだろう。あるいは相手の主張に納得することもあるだろう。
だからこそ「現実的・弾力的」な姿勢が評価されるのでしょう。
「合意」に達しない場合はどうするか?「それなら我々だけでなく他者の意見も聞いてみよう、あるいは、実践によってどちらがより妥当かを実証しよう」ということになる。何れにせよ、リベラルは決して「自分が常に正しい」と独善的になるべきではない。


6.もう一つの「過去」を振り返るという点ですが、エコノミストは誌上で、6回に分けて過去の思想家を取り上げました。
第1回は、8月4日号で、19世紀の英国を代表する思想家ジョン・スチュアート・ミルです。


7.エコミスト誌は「過去のリベラルな思想家から今も学ぶことがある」として、ミルが生きていれば以下の三点について大いに懸念するだろうと指摘します。
(1)「フェイク・ニュース」の名のもとに、「真実」が見えにくくなっている現状。
(2)個人の自由を保持することが難しくなっている現状。とくに、ミルが言い出した「多数の専制」という言葉がいまほど懸念される状況はないのではないか。

(3) 最後に、リベラル派が「進歩」に疑いを持ちつつある現状に、ミルはいちばん嘆くのではないか。
いま、未来が良くなると考えない人たちが増えている、民主主義が自国第一の偏狭なナショナリズムに取って代わられている、そしてリベラリズムは、個人の自由を制限しつつ国家資本主義を標榜する中国という、もっとも強力な対抗馬の挑戦を受けている・・・・


とした上で、同誌は「だからこそ過去の思想家を思い起そう。
ミルを初め、トクヴィルケインズシュンペーターロールズなどなど、過去のリベラルな思想家がいま生きていたら、より良い世界を目指して、もういちど腕まくりをして立ちあがるのではないだろうか・・・・」
と訴えます。


8.ミルの「自由論」をまた広げてみました。
明治の初め、福沢諭吉中江兆民などに多大の影響を与えた著作です。
彼は冒頭から、民主主義のもとでの「多数の専制」を懸念し、「自由」を守ることの大切さを語ります。ミルと同世代19世紀のフランスの歴史家トクヴィルもまた、新興国アメリカを訪れて書いた『アメリカのデモクラシー』の中で、同国の民主主義の精神を高く評価する一方で、民主主義を信じすぎているがゆえの「多数派の専制」に陥る可能性も指摘します。
だからこそ、ミルは「世論の専制を打ち破るために、われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。現在、あえて変わった人になろうとする者がきわめて少ないことこそ、この時代のもっとも危うい点なのである」と述べます。
そしてまた、
「人は何をするかだけが重要なのではない。(略)人が一生をかけて完成させ、磨き上げるべき作品のなかで、一番重要な作品はまさしくその人の、人間そのものである」
とも語ります。(斎藤悦則訳、光文社古典新訳文庫


エコノミスト誌が言うように、リベラルな優れた思想家を振り返ることにはたしかに意味があると思います。
そういえば、福沢や兆民が生きていたら、いまの状況を同じように嘆くのではないか、とも考えました。