三田祭・駒場祭と若者から聞いた「出西窯」

1. 先週の日曜日は法事があり、谷中の天王寺という古いお寺に行きました。とくに「売り」がある寺ではありませんが静かなたたづまいを好むのか、最近外国人の旅行者の姿をよく見かけるようになりました。門前のななかまどが紅葉し始めていました。


2. 週の後半には研究会に出るため慶応の三田キャンパスを訪れたところ、ちょうど三田祭をやっていました。その翌日は、朝の散歩コースの東大で駒場祭でした。

駒場祭は祝日かつ好天のせいもあって、たいへんな人出でした。毎年賑やかになっているようです。最近の大学祭は、硬いイベントも殆どなく、平和な催しです。構内はテントの屋台とステージが目につくだけ。牛串だの焼きそばだのおしるこだの、部単位、クラス単位で同じような店を張ってお客を呼びこんでいます。
三田&駒場の両方の写真を並んで載せましたが、似たような会場と雰囲気で、どこの大学も同じでしょうね。

駒場祭は毎年、テーマを設定しています。2015年「祭りは旅」、一昨年は、「めしあがれ」、昨年は「おと、かさなる」、そして今年は「はい、ちーず」だそうです。
テーマの変遷を見ると面白いのですが、徐々に変わっていったとはいえ、1980年代の後半あたりからいまのような「基調」になったようです。

大昔、筆者入学の1958年は「民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう」。その前年の57年は「平和と民主主義を守ろう」・・・・.
たしかに大学祭をみる限り、平和になったものです。


今年も、「週刊東京大学新聞」(100円)の駒場祭特集を買い、「ミス&ミスター東大コンテスト」の最終候補者が決まり、男女合わせ10名の写真入りの紹介記事が目玉です。「最終日の25日午後2時にいちょうステージで結果発表が行われ、インターネット上と当日の投票によってグランプリと準グランプリが決まる」とあります。



3. 構内を歩くと、屋台や音楽と踊りのステージや、男女のレスリングのパフォーマンスまでやっている催しばかりですが、建物の中に入ると、まじめな企画も多少あります。


例えば、「2015年に国連で採択された、2030年までの「持続可能な開発目標(SDGs)」の知識を広め、必要な人材を育成する活動をしているグループの企画など、その1つです。覗いてくれた人に、ゲームとレゴに参加してもらい、開発と環境をどうやって両立させるか考えてもらうそうです。

また、「哲学や史学など人文学者の研究は、学問も実用本位の風潮で予算や人員の削減が続いている。危機感を持った大学院生が、将来を担う高校生など多くの人に人文学の面白さや意義を積極的に発信する」“ジブンXジンブン”という企画もある。

NHK学生ロボコン2018に出場し全国優勝した東大生のチームが作り上げたロボットを、自分の手で動かし、試合で課された課題に挑戦できる」という企画もある。

ということで、大学の名誉のために言えば、真面目な催しももちろんある。
しかし、ごく少ないようだし、どれだけ人も集まるか・・・
と考えると、大学や学生だけの問題ではなく、社会の風潮が、問題提起を好まない・現状維持・保守的・天下泰平、になっているということなのでしょう。


4. 駒場祭の楽しそうな学生姿を眺めながら、
21日(水)に、お昼を一緒にして、そのあと珈琲を飲みながら午後5時過ぎまで、4時間以上も話し合った22歳の女子学生のことを考えました。

彼女の母親と昔職場が同じで、3人で会いました。
会食の理由は、1つは彼女が1年間のアメリカの大学への留学を終えて6月に帰国した、遅まきながら、その帰国祝い。
もう1つは、前回ちょっと触れた私の身内の、浜離宮朝日ホールでのピアノ・リサイタルに大勢の友人を誘って母子で来てくれた、そのお礼です。

「・・・帰り道に我にかえり、4時間以上もお引き留めしてしまったことに気がつきました。内容の濃くあっという間の時間だったと、母と共に浸っていたのでした。
・・・今回は、アメリカ留学で得たものの普遍化、及び現在進行形で模索中のプロジェクトについても、話題にすることができました」というメールをもらいました。


5. 彼女の話で面白かったのは、アメリカの南部での1年間の留学生体験。「90%はしんどかったけど、1割はいい経験だった、行ってよかったと思う」という感想と同時に、アメリカの大学の授業が、素晴らしい、教授が実に学生に親身に接している、を聞きました。
常に、自分の話をいかに学生が聞いてくれるか(アテンション)、授業をいかに楽しく・充実したものにするか(エンターテイン)、この2つを懸命に考えて努力しているのが伝わってくる、こういう先生は日本の大学にはいないのではないか、と言っていました。


6. もう1つ、面白かったのは8日間の山陰ひとり旅をした話です。
まさにバックパッカーの旅で、1泊2000円の安宿に泊まり、見知らぬ土地の人たちと接して、すぐ知り合いになってしまう。その中には、お客のほとんど来ない土産物屋のおばあさんと何時間も店で話込む、藍染めの工房に行って、染の工程をじっくりと見て、話しを聞いて自分でも体験させてもらう、「出西窯」の窯元にも行って仲良くなり、登り窯にも案内してもらう。
(因みに、出西窯(しゅっさいがま)とは、ウィキペディアによれば、島根県出雲市西にある窯元。また、そこで焼かれる陶器のこと。
丹波、益子、唐津などで修行を積んだ地元出身の5人の青年によって開かれた。1947年の開陶と歴史は浅いが、柳宗悦バーナード・リーチ河井寛次郎といった面々の指導を受け、モダンな作風で独特の世界を切り開いた。)


という具合に、いろんな地元の人に親切にしてもらい、車に乗せてもらったり、夕食をご馳走になったりする。
その好奇心、行動力や人間力に、ほとほと感心しました。
素晴らしい若者がいるものです。彼女は、大学祭にはあまり興味はないのではないか、同質の人と群れるのがそもそもあまり好きではないのではないか。自分と違う社会・人間を知りたい、だからアメリカに行き、山陰をひとりで歩き、人に会う。


山陰のある地方都市で、「泊まったゲストハウスを経営している青年と仲良くなり、ここを知らない人たちが集まるスペースとして活用したいというアイディアに共感して、手伝うことにした」とも言っていました。
そのため、「近いうちに、また山陰に戻りたい」という希望を述べていて、「戻る」という言葉が新鮮でした。
若者と、まことに気持ちのよい時間を過ごしました。