ロドリック教授「トリレンマ」説とエコノミスト誌「オーストラリアの支配」

1. 小さな庭の冬薔薇を見ながら我が家を出て、さざんかが咲き銀杏が紅葉する東大研究所から大学キャンパスへと朝の散歩を続けています。

・家人とお喋りしながら歩きますが、娘がロンドンの金融で働いているせいか、英国のEU離脱の行方が気になり、そんな話題も交わします。
メイ首相はEUと合意した離脱協定案を、12月11日に英国議会にかける予定ですが、果たして承認されるかどうか?否決されたら?場合によって、英国の政治経済は相当に混乱するかもしれない・・・・


・そういう状況を懸念しながら、エコノミスト誌が教えてくれた「世界経済の政治的トリレンマ(trilemma,三者択一の窮地)」という仮説を思いだしています。
10年ほど前からハーバード大学のダニ・ロドリック教授が言い出した、
要は、(a)グローバル化,(b)国家主権(National sovereignty)、(c)民主主義、の3つを同時に実現することは難しい、という仮説です。


・すなわち、(1)グローバル化を果たそうとすれば、主権と民主主義とどちらかを犠牲にせざるをえない。
(2) グローバル化を図り、民主主義も守ろうとすれば、主権をある程度諦らめざるを得ない。
(3) 民主主義も主権も維持しようとすれば、グローバル化の実現は難しい。
➜いまの英国のEU離脱をめぐる混迷ぶりを見ていると、残念ながらこの仮説が当てはまるような気がしてきます。


EUと英国の残留派は、(2)を選択しようとし、
他方で、離脱派は(3)を固執している。グローバル化を犠牲にしても、主権(EUの言いなりにはならない)と民主主義(国民投票の民意)を守ろうとしている。
メイ首相は、長い交渉の結果、英国も受け入れ可能な「協定案」をEUと結んだと説明しているが、離脱派はこれでは「主権」が侵害されると反対している。
まさに「トリレンマ」が当てはまる状況ではないでしょうか。

・この仮説が気になるのは、トランプ路線が「グローバル化」の犠牲をもとに「アメリカ第一」を目指していること。
他方で、中国も主権は絶対に譲れない、しかしアメリカと違って民主主義なんか気にしない国だろうから、むしろグローバル化はやりやすいということになってしまう。
結果として、中国がグローバル経済のリーダーになりやすい、という結論になる。これは困りますね。

・民主主義は何としても守ってほしい。
他方で、グローバル化、つまり孤立する、あるいは二国間交渉で(力で)解決していくのではなく、多国間で自由な人の移動や貿易を認め合っていく、この二つが世界平和と発展のために重要だと考えるものですが、そのためには、ロドリック教授の仮説を認めるなら、ある程度「主権」を制限していかざるを得ない。そこが難しい。


2. ロドリック教授の仮説を紹介しているのはエコノミスト誌10月27日号ですが、
実はこの号の特集記事は「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」です。
まず「論説」で、「オーストラリア経済の飛び抜けて優良なパフォーマンスは、他の国々に教訓を与えてくれる」として、この国が唯一この「トリレンマ」から抜け出して,「グローバル化」「主権」「民主主義」の3つをある程度実現できていると高く評価しています。以下にその概要です。

(1) アメリカも日本も英国もフランスも先進諸国のすべてが、格差と所得の低位安定化、
膨張する国家債務、高齢化、移民などの問題を抱えている.
個人所得が増え、国家債務が健全化し、国民が満足する福祉政策が可能になり、大量の移民に国民の支持がある・・・・そんな国家は夢物語と思うかもしれないが、実は先進国の中でオーストラリアが唯一これに該当する。


(2) オーストラリアは、ここ27年間、一度も不況を経験していない。
この間、中間層の所得はアメリカの4倍のスピードで増えている。
国家債務はGDP国内総生産)の41%にすぎず、(日本の2倍強は論外だが)英国の半分である。

(3) 社会保障についていえば、GDPに占める国の年金支出はきわめて健全であり、OECD平均の半分に過ぎない。


(4) さらに目覚ましいのは、積極的な移民政策である。
オーストラリアでは、人口の29%が外国生まれ。国民の半分が、自らが移民か、親が移民かである。
しかも最大の受け入れはアジアからであり、優秀な移民の受け入れが国の基本政策である点で、二大政党の意見にまったく対立はない。
人種間のあつれきや差別も、移民が政治的なタブーである日本はおろか、欧米に比べてもはるかに少ない。


(5) もちろん、オーストラリアに問題がない訳ではない。例えば、
・先住民アボリジニ対策は一向に改善していない。
地球温暖化による干ばつ被害は増えているが、対策は遅れている。
・政治的には、資源の輸出や移民・投資の受け入れで中国の重要性が増している。同じく重要な対米関係とどう両立させるかが徐々に難しくなっている。


3. というような内容です。
オーストラリアは昔から、「ラッキー・カントリー」と言われています。
資源が豊富、気候も恵まれ、地政学的に有利など、努力しなくてもある程度やっていける条件がそろっている。


しかし、エコノミスト誌が指摘しているのは、「ラッキー」だけではなく、移民や福祉などで極めて前向きな改革、場合によっては国民に負担を強いる政策の実現に取り組んできた、そういう人為的な努力も大きい。
その点で、いま「トリレンマ」に苦しんでいる他の先進国も大いに見習うべきではないかという問題提起です。
記事は10頁の特集記事に続き、具体的にどのような取り組みと制度が優れているか説明しています。1点だけ紹介すると、この国の選挙制度です。

この国は、総選挙への投票は国民の義務で、選挙に投票しないと罰せられます。かつ、単純多数決ではなく、全議員が比例代表で選出されます。
従って例えば、選挙権者の40%しか投票せず、その51%をとれば与党になれるという、日本のような国とはまるで違う。
オーストラリアの選挙制度の持つ意味は非常に大きいとエコノミスト誌は指摘します。
日本ではまず実現は難しいでしょうが、考えさせる問題ではあります。