G.オーウェルの「ナショナリズムについて」とマクロンの演説

1. 秋深まり、先週日曜日11日は好天で、家人と東大内のカフェで遅い朝食のあと、駒場公園にも寄って「旧前田侯爵邸」を拝見してきました。


修復のため2年以上閉鎖されており再び開館したのはごく最近です。そのせいか来館者も多く賑わっていました。重要文化財。無料なのも有難いです。
前田家本家16代当主の侯爵前田利為氏は、駐英大使館付武官として昭和2年(1927年)渡英、「昭和5年に帰国後は、新築したこの駒場本邸で家族とともに暮らしました。余暇には子供たちと庭園でゴルフや乗馬に興じ、イギリスの田園地帯を彷彿とさせる閑静な駒場での生活を楽しんでいたようです」
園遊会やパーテイの折に訪れた人は、田園の野趣が残る駒場の地に建つ英国風の重厚な洋館と瀟洒な和館のたたづまい、邸内を彩る外国製の調度品や前田家伝来の品々に目を見張ったといいます」と案内書にあります。


太平洋戦争が開戦すると、予備役に退いていた利為は、ボルネオ守備司令官として戦地に赴き、翌年搭乗していた飛行機の墜落により58歳で死去した由です。戦死と認定されました。
駒場での優雅な日々も長くはなく、侯爵といえども戦場で命を落としました。


2. 13日にはピアノのリサイタルを聴きに浜離宮朝日ホールに出掛けました。
身内に音楽家がいるのでいわばお義理ですが、久しぶりにスタンウェイのピアノから流れる生の音楽はとてもよかったです。
家族・親戚・友人など30人ほどが来てくれて、皆さん喜んでくれました。本人が作曲した本邦初演の組曲には「心底感動した」とコメントしてくれた友人もいました。
これも平和な日本の光景でしょうね。
朝の散歩時の東大キャンパスで早くから、野球の練習姿も見られます。
彼らが野球も学問も捨てて、戦争に狩りだされた時代もありました。

エコノミスト誌の引用ですが、「それでも2000年以降、毎年10万人に1人弱が戦争で命を落とした。しかし、この数字は、1950〜2000年に比べて6分の1、1900〜1950年に比べて50分の1に減った」そうです。


3. 戦争といえば、11月11日は第一次世界大戦終結から100年。
主な戦場となったフランスを初め世界のあちこちで追悼の式典が開かれました。
パリでの60か国以上の首脳が(トランプとプーチンも含め)集まった式典でマクロン大統領がスピーチ。「ナショナリズムを拒否することを彼らに訴えた」と英国BBCは報じました。
「昔からの悪魔がまた顔を出してきていることを私は知っている。大混乱と死とをもたらすつもりなのだ。歴史というものは時に、不吉な歩みをくり返すことがある」
「自らの利益を第一にし、他者を顧みない、それは国家がもつ最も大切な道徳的な価値を踏みにじることになる」
そして、「ナショナリズム愛国心を裏切るものであり、両者は対極にある考えである」(英訳は、Patriotism is the exact opposite of nationalism . Nationalism is a betrayal of patriotism.)
と発言して注目を浴びました。

英国BBCは,「自らを繰り返し“ナショナリスト”と呼ぶ(最前列に座った)トランプ大統領は、固い表情で聞いていた」として、

帰国してトランプはツイッターでさっそくマクロンを攻撃しました。
ちなみに、彼のツイッターは有名ですが、最近とみに増えて、1日平均10回以上発信しているそうです。
歩きながらでもスマホで発信する最近の若者を象徴するような老人で、百数十字以上の長い・よく考えた文章は、自分では書けないのではないでしょうか。


4. ナショナリズムについて、『動物農場』や『1984』の著作で世界的に知られるジョージ・オーウェルの言葉を思いだして、書棚から『オーウェル評論集』(小野寺健訳、岩波文庫)を取り出しました。

ナショナリズムについて」と題するエッセイの中で、彼はマクロンと同じように、愛国心との違いを以下のように明解に述べます。


――ナショナリズム愛国心(patriotism)ははっきり違うのだ。
ここには二つの異なったというより対立する概念がひそんでいるのであって、両者ははっきり区別しておかねばならない。
わたしが「愛国心」と呼ぶのは、特定の場所と特定の生活様式にたいする献身的愛情であって、その場所や生活様式こそ世界一だと信じてはいるが、それを他人にまで押しつけようとは考えないものである。愛国心は、軍事的にも文化的にも、本来防御的なのだ。
 ところがナショナリズムのほうは権力志向とかたく結びついている。ナショナリストたるものはつねに、より強大な権力、より強大な威信を獲得することを目指す。それも自分のためではなく、個人としての自分を捨て、その中に自分を埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのであるーーー


5. オーウェルがこれを書いたのは1945年、第二次世界大戦終結の年です。
マクロン大統領はおそらく読んだことがあるのではないか。

オーウェルはまた、「出版の自由」と題する文章の中で、「自由(liberty)」について語ります。
――ヴォルテールの「わたしはきみの言うことが嫌いだ。だが、きみがそれを言う権利は死を賭(と)しても守る」という有名な言葉を引用したあと、
「もし自由に何らかの意味があるとするならば、それは相手が聞きたがらないことを相手に告げる権利をさすのである」と述べます。


6. Liberalという言葉はもちろん“liberty”から来ています。
リベラル派はいま、ナショナリスト、ポピュリスト、保守主義者などからの攻撃にさらされている、と創刊175年を迎えるエコノミスト誌は言います。

そこで同誌は、リベラルな思想の力を依然として信じて、その再生と「世界のリベラルよ結集しよう!」と呼びかける「マニフェスト」を発表しています。さらに、これに続く10頁におよぶ長文のエッセイで、「自由な市場」「移民と開かれた社会」「新しい社会契約(格差の是正など)」「新しい世界秩序」の4項目について具体的な提言をしています。


もちろん、これには多くの評価とともに、「ナイーブだ」「エリートらしい優越意識と建前論だ」「“自由”は強者が振り回す特権ではないか」といった批判が寄せられています。

同誌は、このように攻撃される状況になったのには、リベラル自身にも(エコノミスト誌自身の自己批判も含めて)大いに責任があることを認めています。

さすれば、リベラルは、まさにオーウェルの言うように、「聞きたがらないことを告げる」相手の権利をみとめ、批判に対して,素直に・謙虚に耳を傾けるべきでしょう。
リベラリズムの再生」はそこから始まるのだと思います。

それにしても、トランプという人は、マクロンと違って本をまるで読まないのでしょうね。現代を象徴するように、テレビとインターネットの世界にのみ生きているのでしょう。